乗効果
このように、日本中の少年読者を爆笑と熱狂の坩堝へと引き込み、漫画とは縁遠い高年齢層にも人気と知名度を上げた『おそ松くん』だが、既に、テレビアニメ化もされ、社会現象を巻き起こしていた藤子不二雄の『オバケのQ太郎』が、『おそ松くん』と同じく「週刊少年サンデー」を発表媒体としていたことによる相乗効果によって、更なる輝きを引き立てたのも、また事実であろう。
元々『オバQ』は、スタジオ・ゼロの財務を支えるべく、新設された雑誌部の企画として始まった藤子・F・不二雄と藤子不二雄Ⓐによるコラボレート作品であり、石ノ森章太郎が脇キャラを描いたほか、当初は赤塚も仕上げと背景を担当するなど、スタジオ・ゼロの豪華メンバーが作画協力に携わったシリーズとしても知られている。
そして、これまで科学冒険物やアクション物などドラマ性を強く打ち出したスタイルの作品を得意としていた藤子不二雄が、ギャグメーカーとしてのそのポストを確固たるものにした磐石こそが、この『オバQ』なのだ。
本来なら、同じ雑誌に連載される競合作品であり、しかもギャグ漫画という形態上、互いの気受けを損ないかねないライバル関係に陥りがちだが、ナンセンスな飛躍にドラマの展開を委ねた、即効性の強い爆笑誘発型の『おそ松』に対し、『オバQ』は、一見オバケという異質で超常的なキャラクターを主人公に据えながらも、子供達のリアルな生活感覚に即した、遅効的な微笑誘発型のギャグを身上としており、両者の笑いにおける質感と起爆性が全く異なるものであるという作品の温度差からも、この二つのギャグ漫画は、互いの魅力を際立たせ、隣接し合う結果となったのだ。
実際、1965年から66年に掛けての『オバQ』、『おそ松』の存在感の際立ちは、同時期におけるあらゆるジャンルの人気漫画とは明らかなディファレンスを放ち、ギャグ漫画という少年漫画の新たなメインストリームをリードする両輪として、漫画出版界に『オバQ』&『おそ松』の二強時代を現出した。
版元の小学館と広告代理店の主導による、他媒体との流通に基準を合わせた斬新なブランディングも効を奏し、両作品のブランドプレミアムがより強化された点も、メディアミックスの先駆けと言えるだろう。
本誌においても、『西遊記』をオリジンとし、『おそ松』、『オバQ』の人気者達と、つのだじろうの『ブラック団』のキャラクター達が一堂に介するグルービーなノリが、お祭り騒ぎ的な高揚ムードをもたらす『ギャハハ三銃士』(『週刊少年サンデー増刊 お正月まんが号』66年1月5日発行)、オバQとチビ太がお互いの優秀さ(?)を競い合う、ドツキ漫才のようなやり取りが緩やかな笑いを振り撒く『オハゲのKK太郎』(「週刊少年サンデー」66年10号)等、作品の垣根を越えて客演するオールスターキャストによる大作漫画のコラボレーションが続々と企画された以外にも、巻頭ページでも両作品の特集記事が頻繁に組まれ、様々な『オバQ』、『おそ松』グッズが、ほぼ毎号のように裏表紙等に広告として大きく宣伝された。
このように、当時、漫画雑誌史上最大の発行部数を誇った「週刊少年サンデー」のツートップとしての『オバQ』、『おそ松』の超絶的人気と、二次媒体との連動を伴ったセンセーショナルなプロモート戦略が、誌面上からもひしひしと伝わってくる。
人気絶頂期の両作品は、総集編として、幾度も「別冊少年サンデー」に纏められ、また、その特集号が、軒並み数十万部という爆発的な売れ行きが続いたことも、特筆に値するだろう。
留まることを知らない『オバQ』&『おそ松』人気に着目した東宝映画は、『喜劇駅前』シリーズの第十五作目『駅前漫画』(監督/佐伯幸三)で、この二大ギャグ漫画を起用。ブラウン管から飛び出したオバQ、おそ松は、森繁久弥、伴淳三郎、フランキー堺といった喜劇界の大御所スター達とも夢の共演を果たし、遂にスクリーンデビューを飾ることになる。
更にブームを拡大した両作品は、この映画のヒットも一つの跳躍材料となり、戦後大衆文化史の一幕に『オバQ』、『おそ松』時代の刻印を刻んだ。