文化遺産としての赤塚不二夫論 今明かされる赤塚ワールドの全貌

赤塚不二夫を文化遺産として遺すべく、赤塚ワールド全般について論及したブログです。主著「赤塚不二夫大先生を読む」ほか多数。

カルト的絶賛を受けた異色プログラム『私のつくった番組 マイテレビジョン』「赤塚不二夫の激情№1」 

2021-12-21 20:56:17 | 第6章

余談だが、この「まんが№1」の世界観をテレビバージョンで展開してみようという打診が、独立系製作プロダクションの草分け的存在である〝テレビマンユニオン〟からあり、「№1」の付録として収録されたレコード曲をフィーチャーした番組が、赤塚ら「№1」関係者総出演によって製作放映されたことがある。

「赤塚不二夫の激情№1」(73年1月25日放映)というタイトルで、東京12チャンネル系列の『私のつくった番組 マイテレビジョン』というシリーズ枠で放映されたこの番組は、近年名画座でのリバイバル上映により、一部のサブカルファンの間で、カルト的な絶賛を受けた異色のプログラムとしても知られる。

今回、本稿を執筆するにあたり、当時オープンリールで録画されたこの番組のVTRを、幸運にも入手することが出来た。

出演者の肖像権等の問題もあり、この先も視聴可能な機会が少ないと思われる本番組の詳細と感想を、この場を借りて若干記しておきたい。

花弁が舞い散る桜の木の下で、齢七二歳のスーパー老婆(通称・小林のおばあちゃん)と全裸姿で猫を抱いた赤塚が、ひたすら「まんが№1、まんが№1」と連呼する強烈なアバンタイトルから始まり、白煙がなびく中、黒の丸眼鏡とミリタリールックに身を纏った赤塚将校が登場するスタジオへと、カメラが切り替わる。

場面は、赤塚将校と真紅のマントに青タイツという出で立ちのスーパー老婆が直立不動のまま敬礼し、ジャズピアニスト・佐藤允彦率いるシャドウ・マスクの軽快なセッションをバックに、中山千夏が熱唱する『自衛隊讃歌』に耳を傾けながら、スタジオを旋回するというナンセンスな空間へと雪崩れ込んでゆく。

やがて、テンションが最高ボルテージに達し、再び全裸になった赤塚は、ウナギイヌ合唱団(長谷邦夫、奥成達、高信太郎、川本コオ、原田知司、高橋肇、阿部慎一)が編成する騎馬に跨がり、ヌード女優を追い廻したり、全裸相撲を取ったりと破廉恥三昧。その醜態たるや、まるで大奥における殿様と腰元の肉体の饗宴を彷彿させるかのようだ。

番組中盤、セーラー服姿の赤塚がスカートを捲ると、局部のところにクロマキー処理が施され、そのクロマキー部分に浮かび上がる友人の漫画関係者らに自身の悪口を言わせるという、当時の映像技術としては、極めて新奇な演出の光るコーナーが無造作に挟み込まれ、観る者を興醒めさせる。

そして、番組エンディングでは、電気バリカンで赤塚のトレードマークとも言うべき長髪がガリガリと刈り取られ、赤塚の「あ~、サッパリした」の一言で締め括られる。

この時、既婚者であった赤塚は、将来に向け、前妻との離婚調停を見据えていた時期であり、長らく同時進行で付き合っていた恋人との結婚を真摯に考えていた頃だった。

そのような理由もあり、職業柄厳格な人物である恋人の父親にけじめの挨拶を付けるべく、番組を通しての公開断髪に踏み切ったという。

率直に言うなら、こうした公私混同も含め、悪ふざけの連続でしかない番組であり、特別なファンでもない限り、著しく客観性を損なった宴会芸にしか映らないだろう。

しかしながら、異様な毒気と強烈なアシッド感覚が渦巻くこの究極のナンセンス映像は、単なる有名文化人の旦那芸では片付けられない、三次元における白昼夢の世界を見事に体現化している。

勿論これは、ライティングやカット割りといった演出面も含め、当番組のディレクターである佐藤輝の辣腕によるところが大きい。

また、個人的には騎馬戦ごっこの際、蓮っ葉な歌い方で『女番長ロック』をパワフルに歌いながらも、時折見せるキュートな笑顔が眩しいセーラー服姿の青山ミチや、紙吹雪と五色テープが乱れ飛ぶクライマックスの中、バックで石川社中のご婦人達が『花笠音頭』を手かざしで踊る居心地の悪さにたじろぎながらも、名曲『ルイジアンナ』、『グッド・オールド・ロックンロール』を熱唱する矢沢永吉率いるキャロル(相原誠在籍時代)の躍動する雄姿を、この目で確認出来たことは誠に喜ばしい。

因みに、当時マルチタレントとして八面六臂の活躍をし、後に映画監督としても名を馳せる伊丹十三は、オンタイムでこの番組を視聴し、次のような感想を述べている。

「赤塚不二夫が例の肉体でサ、セーラー服着て立ってるわけだヨ。でさァ、天井からはどんどん紙吹雪が降ってくるしさァ、赤塚不二夫のフンドシの中では、牛次郎が「みんな赤塚不二夫のマンガは読まない方がいいと思います」なんてボソボソやってるしさァ、これはもう、ナニ? もうテレビとしかいいようがないのネ、文章でも写真でもダメ、テレビそのものなのネ。テレビじゃなきゃできないことを、テレビはやれ! それを赤塚不二夫は一発で喝破したわけだ。」

(『メガネをくれる人』/『赤塚不二夫1000ページ』所収、

話の特集、75年)

このような証言からも、一部芸術文化の前衛派才能人の間では、放映当時より、多少なりとも評価されていた番組であったと察せられる。

尚、前述した『赤塚不二夫責任編集 ベスト・オブ・まんが№1』の特典に、この番組のDVDを付けようという提案もあったというが、諸般の事情により、実現の運びに至らなかったことが非常に悔やまれるところだ。


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