さて、本章での紙面も残り少なくなってきたので、最後に、赤塚にとって主戦の舞台となった「週刊少年サンデー」、「週刊少年マガジン」以外の少年週刊誌、青年誌に、1974年から数年間の間に発表された、赤塚時代の最後の光芒とも言うべき諸作品についても、マニアックな注釈を添えながら、論述してゆきたいと思う。
1972年より丸二年間に渡り、長期掲載されたリバイバル版『おそ松くん』の終了後、「週刊少年キング」では、後に『ギャグの王様』のタイトルで、上巻、下巻に分けて単行本化される『ギャグギゲギョ』(74年5号~38号)の連載が開始される。
特定の主人公を定めず、毎回、パンチの効いた特技と個性を持った異常人物達が、我こそがその道の王様だと言わんばかりに、どぎつく画稿狭しと暴れまくる、ブラックユーモアとセンス・オブ・ワンダーの分水嶺を境にした異端の一作だ。
中でも、元旦、動物園を脱走した巨大虎に、身体ごと飲み込まれてしまったホームレスが、体内で虎を自在に操り、獅子舞い宜しく、珍芸、曲芸を披露して大金持ちになる「トラの絵の王様」(74年6・7合併号)や、いじめられっ子が、いじめっ子を復讐しようと、五〇年の歳月を待つものの、死んだその時、身も蓋もないどんでん返しに足元を掬われる「忍耐と勝利の王様」(74年35号)等は、ブラックユーモアの枠組みを突き抜け、ハード&エッジなイリュージョンへのサブリメーションを施した、取り分け傑作の部類に入る作品群である。
人間のそこはかとない煩悩や負の生理的メカニズムを、非日常に照らし合わせて誇張したエピソードも多い本作のテイストは、特定の主人公を設定していない形質も含め、以前、青年向けナンセンスとして「リイドコミック」誌上に連載されていた『名人』(71年12月創刊号~73年6月号、『名人‼』(読み切り)77年3月17日号)の流れを汲むものであり、その系譜は、時を経て、同じくリイド社より新創刊された「コミック野郎」連載の『あんたが名人』(77年8月創刊号~78年4月号)へと縮小再生産される。
『名人』では、所謂青年層に照準を合わせ、セクシャルに纏わる背徳的なテーマや、良識を挑発するような超モラルな作品等が幾つも執筆されたが、この『ギャグギゲギョ』もまた、子供向けの荒唐無稽な笑いを身上としながらも、同誌の想定読者層の理解の範疇を越えているであろうハイブローなギャグがさらりと描かれており、シュールな世界観にも通底する、スぺキュレイティヴなフィクションを枠組みとしたエピソードも数多い。
そんな漫画本来が持つ出鱈目なドラマが、奇抜な着想を得て展開された時、読み手の脳を軟化させるような、前代未聞となる笑いのセオリーを生み出してゆく。
連載後期に描かれた「地球最後の日の王様」(74年31号)などは、まさにその典型である。
長い大雨の日が続き、また雨が止むと、今度は恐ろしく暑い異常気象となり、この世は辺り一面カビだらけの世界となる。
ノストラダムスの大予言にも記されていない天変地異に恐れ戦く人間達。気象現象は更に悪化し、人々の身体が糸を引くように溶け出してゆく。
そして、この世の最後か、天空からは、黒い雨が降り注ぎ、今度は放射能なのか、真っ白い粉雪状の結晶が世界全土を覆い尽くす。
やがて、幾つもの円盤が地球に不時着し、最後には、黄色く光る巨大な流星が地球を飲み込み、遂に全人類は一巻の終わりを告げる。
最後のコマは、一家団欒の食卓。母親がお皿に入っている何かを、箸でかき混ぜながら一言「きょうのナットウはよくねばるわ」。
実は、このエピソード、納豆が出来るまでを綴ったもので、作中登場する人類は水戸納豆、黒い雨は醤油、粉雪状の結晶は味の素、不時着した円盤は刻みネギ、黄色い巨大流星は生卵に見立てたギャグになっているのだ。
恐怖漫画を想起させる殺伐としたカタストロフィーが一気にナンセンスな笑いへと跨がってゆくその見事な脱線は、読者に一時の放心をもたらす、赤塚ならではの高度なスカシのテクニックと言えよう。
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