文化遺産としての赤塚不二夫論 今明かされる赤塚ワールドの全貌

赤塚不二夫を文化遺産として遺すべく、赤塚ワールド全般について論及したブログです。主著「赤塚不二夫大先生を読む」ほか多数。

赤塚漫画史上、究極のインモラリティーを発動した 『ワルワルワールド』

2021-12-21 22:41:24 | 第6章

『ブラックジャック』、『魔太郎がくる‼』、『ドカベン』、『恐怖新聞』等、強力な作品ラインナップを擁立し、「週刊少年チャンピオン」が一躍少年週刊誌№1の座に躍り出たのが1974年、この年漸く「チャンピオン」でも、本格的な赤塚のシリーズ連載がスタートする。

赤塚漫画史上、究極のインモラリティーを発動した作品であると、今尚往年の漫画ファンの間で語り草となっている異端作『ワルワルワールド』(74年41号~43号、47号~75年13号、20号~37号)である。

『ワルワルワールド』は、窃盗、喫煙、虐待と不徳義の限りを尽くす悪ガキ小学生・タロと、会社の傘を拝借する程度でしか、ワルの能力を発揮出来ない出版社勤務のダメパパ、姑をいびりまくる鬼嫁のママ、もはや説明不要の悪名高きダークキャラの目ん玉つながりの四人を主要キャラク ターに迎え、彼らに絡むゲストキャラもまた、とてつもなく極悪非道な輩ばかりという、怪奇千万な平行世界を舞台に、強烈な変質作用をもたらすドス黒い笑いが、二の矢、三の矢を放つかの如く繰り出されてゆく、バッドテイスト渦巻くシリーズだ。

本来神聖である筈の学舎でさえ、教師が、万引きのやり方を授業で教えたり、子供が父親を毒殺する過程を日記に綴って、発表したりと、倒錯性極まりない世界として機能し、間抜けやお人好しは、このワルワルワールドでは、次々と排除されてゆく……。

何しろ、この街では、殺人以外の罪状は、法による裁きの対象外で、夜にもなれば、街中泥棒だらけとなり、泥棒同士が顔を合わる都度、「おかせぎなさい‼」と、挨拶を交わす姿が、日常風景として見られる始末なのだ。

「ババアはいてこませ!」(74年42号)は、現在の姥捨山を彷彿とさせるエピソードで、チリ紙交換に出された老人や子供、病人達が、ワルワル警察の射撃訓練所に収容され、動く標的として使われるという、残虐性を窮極にまで跳ね上げた、この上なく苛辣な一編だが、そんな老人達も、日々、ワルワルワールドの毒気に揉まれているからか、パワフルさにおいては、猛悪な住民どもにさえ、負けてはいない。

ワルワルワールドで迫害を受けてきた彼らは、老人至上主義を標榜とする秘密結社・シワトカゲ団を結成。シワトカゲ団は、かつてのクー・クラックス・クランを偲ばせる、白装束姿に身を包んだ武装コミュニティーで、夜な夜な、集団で現れては、息子や娘、孫世代への討伐に乗り出し、ワルワルワールドの住民達を恐怖のどん底へと叩き落としてゆく。

また、連載後期に至っては、ワルワルワールドの壊滅を目的に潜入して来た「いいことしよう会」の秘密工作員や、昼間は天下無敵の大番長でありながらも、夜はジキルとハイド宜しく、人格が180度変貌し、善行に励んでゆく良事スル造などが登場し、ワルワルワールド特有の悪逆無道な価値観に、微妙な変化が生じ始める。

そして、道徳観念が住民の心に芽生え出すと、何処ともなく、イヤミそっくりなワルワル仮面が颯爽とバイクで現れ、彼らの邪悪な感情を取り戻すべく、街中に爆弾を投げ入れ、パニックに陥れるという、尚もって、ワルワルワールドは、カオス的な様相を呈するのだった。

このように、赤塚は、本作『ワルワルワールド』で、漫画本来のフィクショナルな表顕スタイルを最大限に活かし、悪が条理で、善が不条理という本末転倒の世界を創り上げ、新たなナンセンスの境地へと辿り着く。

善悪が価値転倒した超倫理的な世界観を主題とした作品は、「少年サンデー」版『おそ松くん』の最終話「ドロボウは芸術のために」(69年15号)で既に描かれてはいた。

規範的とも言えるギャング映画の構造をベースに踏まえたこの作品は、ギャングや泥棒が蔓延る街で、チビ太やイヤミ、バカボンのパパが、銀行を襲撃したり、詐欺を働いたりと、悪行の限りを尽くし、画稿狭しと大暴れするという、当時としてはその過激なブラック性を道標に、次なる笑いの機軸を模索した、謂わば試金石的な位置付けとなる長編ストーリーだ。

だが、『ワルワルワールド』で描かれた背徳の世界は、狂気や加虐といった破壊蕩尽に更なる拍車を掛け、読む者を常態が喪失した心理状態へと陥らせる、グロテスクなユーモアを存立基盤としていた。

不快指数も極限の値まで到達すると、一周廻って、ある種の生理的快感を生み出す。

そこには、レディメイドな笑いの表現など一切なく、矛盾を孕んだ複雑性が、ドラマの論理に併合され、躍動する多次元性へと還元した、循環的悪夢を哄笑とともに想起させてゆくのだ。

また、これまでにないリアルな活写で、脱糞や嘔吐、ただれた睾丸といった、スカトロジックな笑いが満載されており、そうした傾向も、この作品をグロテスクな作風へと傾きを掛けてゆく一要因になっている。

尚、その後描かれることになる『不二夫のワルワルワールド』(『別冊コロコロコミック』82年8号~83年12号)は、そのタイトル名から、『ワルワルワールド』の続編と混同されることがあるが、この作品は、満州から引き揚げして間もなく、奈良の大和郡山で、悪ガキとして過ごした日々を、程好い笑いと感傷をもって追壊した回想録的な作品で、両タイトルの作品的繋がりは全くない。

この時代の赤塚の活動の舞台は、少年週刊誌のみならず、月刊少年誌、月刊少女誌、隔週少年誌などにも広がり、70年代半ばに至っては、前述の通り、最大で週刊誌五本、月刊誌七本の同時連載を抱えることになる。

代表的なタイトルを列挙すれば、『はくち小五郎』(「冒険王」72年~74年)『ニャンニャンニャンダ』(「冒険王」75年~76年)、『つまんない子ちゃん』(「プリンセス」75年~76年)、『わんぱく天使』(「プリンセス」76年~77年)、『タトル君』(「マンガくん」77年)、『怪球マン』(「どっかんV」77年~78年)等があり、小学館系の各学年学習誌でも、『ぼくはケムゴロ』(「小学四年生」71年~72年)を筆頭に、『くりくりくりちゃん』(「幼稚園」71年11月号~72年8月号)、『クロッケくん』(「小学四年生」72年4月号~73年3月号)等、タッチ、ストーリー構成ともに安定感を纏った、オーソドックスな語り口の児童漫画も数多く執筆している。

『くりくりくりちゃん』は、お伽の世界をイメージさせる野菜の村を舞台に、栗の実を可愛らしく擬人化したくりちゃんと、トマト、茄子、きゅうり、チェリーと、様々な野菜やフルーツをキャラクター化した仲間達とのカーニバル的日常を、ポップテイストいっぱいに滲ませて綴ったフェアリーテイルで、かつての『たまねぎたまちゃん』の童話的世界観を再び語り直したシリーズ。

『クロッケくん』は、街外れの古い洋館に、幽霊を装い住み着いた、人語を喋るブタ・クロッケくんとそのファミリーが、持ち前のガッツと賢慮で、悪辣な人間どもを向こうに回し、人間社会で奮闘してゆく姿をドタバタ風味いっぱいに描きつつも、その根幹には、成長小説的特性が注ぎ込まれている一作だ。

いずれも、各学年学習誌という、比較的商業性の稀薄な媒体に発表したタイトルでありながらも、決して手を抜かないその創作態度は、赤塚の幼年漫画に対する真摯な姿勢を物語っているようで、心地良い。


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