『レッツラゴン』の連載終了後、「週刊少年サンデー」では、『ロビンソン・クルーソー』の現代版を目指したナンセンスパロディー『少年フライデー』を、三週間のインターバルを挟んで、33号(~75年11号)より開始する。
行き先も目的もなく、ただひたすら砂漠の大海原をボートで漂流する親分(少年)は、旅の道中、みなし子のフライデーに遭遇する。
生き残りの日本兵らしき人物に日々虐待を受けていたフライデーを、日本兵から救った親分は、フライデーと兄弟のように意気投合し、二人して自由気ままな冒険の旅へと出掛ける。
時には、海賊キッドを向こうに回し、宝探しへと、また時には、ジャングルで猛獣退治をするなど、途中、甲羅を失った愚鈍な亀・バカメも交え、時空を超えた、異質な世界を舞台に、眩暈感漂う不可思議な日常へと迷い込んでゆく……。
そして、何にも増して強烈なのは、毎回、ショッカーとして現れる奇々怪々なゲストキャラで、その狂逸ぶりは、いずれも、同時期の『天才バカボン』に登場するバカ大生の異常言動が霞んで見えるくらい、非日常のレッドゾーンを振り切った禁断性を孕んだものと言っても過言ではない。
結局、この日本兵は、親分に肛門を岩石で塞がれ、窒息死するという、最低な最期を迎えるわけだが、こうした不条理と破壊性が溢れ出たアブノーマルなキャラクター達が、首尾一貫して、親分、フライデー、バカメのトリオの前に刺客の如き現れては、彼らを、狂気性を跳ね上げたデモニッシュな世界へと引き摺り込んで行くのだから、そのどぎつさと言ったら、前作『レッツラゴン』さえ、遥かに凌いでいると解釈して然るべきだろう。何しろ、前述した第一回目のゲストキャラである生き残りの日本兵などは、何十倍にも拡張する伸縮自在の肛門を持ち、ブラックホールの如き、フライデーを体内へと飲み込んでしまったり、「たびゆけば教育問題やんけ」(74年46号)に登場する、無人島の分校に赴任してきたオカマの教師に至っては、生徒となったバカメの男性シンボルそのままの姿態に欲情し、ウェディングドレスを着て結婚を迫って来たりと、それこそ、悪夢の記憶として残るような、グロテスクなインパクトを放つ異形の奇人変人達が、これでもかこれでもかと沸いては消えてゆくのだ。
しかしながら、この何処までも自由過ぎるシュールな奥行きそのものが、作品総体に緻密なタッチの劇画やストーリー漫画とは趣を異にする麻薬妄想的なデペイズマンを宿し、加えて、そこで展開される脱論理的ギャグの応酬が、読む者に観念と視覚的次元の差異化を知覚させる指標となっていることも、また事実である。
そういった意味では、その危ういアシッド感覚も含め、この『少年フライデー』こそが、赤塚アバンギャルドの臨界点を示した象徴的タイトルと言えなくもない。
余談であるが、本シリーズの紛うことなき傑作の一本に、「フライデーは養子だデー」(74年50号)というエピソードがある。
財産をガッポリぶん取ってやろうと企て、大富豪のデカパンの家に養子にいったフライデーが、デカパンの優しさに触れるうちに、デカパンを本当の父親として見るようになり、遂には、親分やバカメとの友情を取るか、デカパンへの情を取るか、途方もない葛藤に晒されるという、この時期の赤塚ギャグには珍しい、ヒューマンナイズされた一作だ。
このエピソードの中で、広い庭を自家用車で廻るフライデーが、デカパンに「パパ、どうしてこんなお金持ちになったの⁉」と訊ね、それに対し、デカパンが「文藝春秋十一月号にのってるのと同じようにしてもうけたダス‼」と答えるシーンがあるが、ここで、デカパンが語る「文藝春秋」74年11月号には、この時より既に、金権政治を一身に象徴する存在だと揶揄され続けた時の宰相・田中角栄への莫大な政治献金と、その源泉である人脈の解明に挑み、後に田中宰相退陣に追い込む切っ掛けとなった、ジャーナリスト・立花隆による渾身のレポート『田中角栄研究―その金脈と人脈』が掲載されていた。
この記事では、日本列島改造論を唱えた裏で、田中のファミリー企業が、地価狂乱に乗じ、土地の転売を繰り返すことで、金脈、人脈を築いていったプロセス、実態を持たない幽霊企業の存在、そして巧妙極まりない逃税の手口までもが、白日の下に晒されており、赤塚も後年、立花隆との対談(『赤塚不二夫の「これでいいのだ‼」人生相談』所収)で、「あれは衝撃だった」と、当時受けた率直な感想を述べている。
因みに、中学生時代(1988年)、この号の存在が気になった筆者も、地元図書館で「文藝春秋」のバックナンバーを出納し、当該記事やそれに準ずる資料や文献を、なけなしの小遣いを叩いて、大量にコピーした記憶がある。
このように、一〇代の頃、時代を震撼させた歴史的な事件や社会的な事柄等、赤塚作品の影響から関心を示し、後に教養として身に付けたものは、個人的に少なくない。
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『少年フライデー』もまた、曙出版より全2巻に渡って単行本化されるが、第2巻に採録された読み切り作品で、今尚忘れ得ぬ傑作短編がある。「週刊少年サンデー」誌上にて、藤子・F・不二雄や石ノ森章太郎、楳図かずおといった小学館漫画賞受賞作家が、毎号リレー形式により、力作読み切りを発表するという企画物で、75年17号に掲載された『中年フライデー』なる作品がそれだ。
仕事をバリバリこなす気力も能力もない、解雇寸前の窓際族であるダメサラリーマンを主人公に据えたショートストーリーで、職場の同僚や女房子供に馬鹿にされ、また白眼視されながらも、悪辣な不正だけは、自分がどんな立場に置かれようが、断じて許さず、社長の背任行為を阻止しようと、敢然と立ち向かう。
そんな烈々たる展開が物語終盤から一気に加速してゆく様は、何度読んでも、魂を熱く高揚させられる。
どんなに落ちぶれようとも、心の誇りとそれを貫く勇気だけは棄ててはならない。
本作で掲げられたテーマは、終身雇用制の崩壊、常態化するパワーハラスメントの問題等、様々な病理が噴出するバブルエコノミー以降のビジネス社会おいて、それそのものが永久普遍のコンセンサスとなって余りあるメッセージと言えるだろう。
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