文化遺産としての赤塚不二夫論 今明かされる赤塚ワールドの全貌

赤塚不二夫を文化遺産として遺すべく、赤塚ワールド全般について論及したブログです。主著「赤塚不二夫大先生を読む」ほか多数。

赤塚不二夫とは、愚弄されて然るべき存在なのか? タモリによる弔辞「私もあなたの数多くの作品のひとつです」の真意とは?

2024-10-28 20:32:17 | 論考

 

赤塚不二夫ディレッタントを自認する者として、常々突き付けられている疑問がある。

それは「赤塚不二夫とは、愚弄されて然るべき存在なのか?」という問題だ。

赤塚不二夫レベルの社会的なムーブメントを巻き起こすこともなく、商業的においても、マイナーなまま没落した漫画家などごまんといるにも拘わらず、相も変わらず赤塚にのみ、ゴミクズ以下、虫けら以下の漫画家であるとの批判が集中している。

赤塚不二夫ディレッタントとしては、この現状に対し、実に嘆かわしく、また腹立たしく思えてならない。

あくまでこれは、筆者による個人的な見解となるが、戦後ギャグ漫画の歴史に礎を築いた偉大なる足跡、それ故、後進に齎した多大な影響力を鑑みた際、赤塚不二夫が世人から悪口雑言を浴びせられる世界線なんて、到底考えにも及ばない、パラレルな概念なのだ。

では、何故ゆえに、これ程にまで、余人をもって代え難い存在たる赤塚が地に堕ちた評価に身を落とすに至ったのか……。

それは、重度のアルコール依存症へと陥った晩年におけるメディアでの醜悪なイメージが、今尚悪目立ちし過ぎているからであろう。

かつて、赤塚マンガの熱烈なファンだったと語る演出家で、劇団「大人計画」を主宰する松尾スズキは、NHK『こだわり人物伝』の赤塚不二夫を取り上げた特集(2010年6月2日〜23日、第四夜に分けて放送)で、番組ナビゲーターを務めた際、「絵に描いたような残念な天才」と題された第三夜となる放送で、赤塚について「酒でそれまでの漫画家としての評価をチャラにしてしまった」と語っていたが、今の赤塚に向けられた世評は、チャラになってしまったどころか、マイナス無限大のレベルまで堕ちてしまったというのが、筆者による忌憚のない見解である。

また、ブレーンストーミングによって、アイデアを掬い上げてゆく特殊な創作方法も、赤塚を愚弄するには十分な触発材料になり得ていることは明白だ。

実際、インターネットの匿名掲示板などでは、フジオ・プロのブレーンストーミングを引き合いに出し、「赤塚不二夫程度の漫画家など、多少絵心があって、アイデアを纏める力があれば、俺でも余裕でなれる」と、愚にも付かないスレッド住民達から、謗言、嘲罵の対象として軽んじられている。

この拙ブログを、そして当エントリーをご覧頂いている殊勝な御仁には、今一度考え直して頂きたい。

「ギャグ漫画ってその場で面白くなかったら駄目なわけじゃない。はっきりしてるのね。ところがストーリー漫画になると、その場ではおもしろくなくててもあとに続いてるからさ、そのおもしろくなさは次回の展開のための伏線なんだって言い逃れできるじゃない。それが許されない赤塚不二夫はたいへんだったと思うよ。」(「ギャグくん」/『赤塚不二夫のペッパーショップ』所収、ペッパーショップ刊、94年)とは、美術評論家の椹木野衣の発言だが、この言葉の真意とは何なのだろうか……。

赤塚マンガは、他のどのギャグ作品よりも、ドタバタやナンセンス、スラップスティックにシュールと笑いの密度が濃い漫画だ。

従って、通常のギャグ漫画の何倍もの笑いを掃射砲の如く、連打しなければならない。

謂わば、紙の上に描かれた豪華バラエティーショーである。

赤塚の人気絶頂期と同時期に活躍し、テレビ界を席巻したハナ肇とクレージー・キャッツ、ザ・ドリフターズ、コント55号といった人気のコメディアン達が、それぞれ、青島幸男、塚田茂、岩城未知男を筆頭とする複数のブレーンによるサポートを仰いでいたように、沢山のギャグを複数の作品に投入しなければならない赤塚にとって、長谷邦夫や古谷三敏、そして、赤塚番の各編集者を交えたアイデア会議は必要不可欠なものであったのだ。

最も多忙な時代には、週刊誌五本、月刊誌七本(そのうちの二本は代筆)の同時連載、加えて読み切りやイラスト、その他の諸々の締め切りを抱えていた赤塚である。

最早、個人の能力を越えたバックボーンを整えなければ、赤塚が理想とする猛爆ギャグ・ナンセンスの世界など構築し得ることなどなかったのだ。

但し、ギャグの発生源は、常に赤塚本人であり、赤塚自身も交えたブレーンストーミングで生み出されたギャグの数々を纏めて一本のストーリーとして構築するのも赤塚である。

従って、複数の人間のアイデアが血と肉としてその作品に注がれながらも、赤塚マンガとしての文体、リズムが損なわれることはなく、そのアイデンティティは保持され続けていたのだ。

(無論、長谷邦夫をはじめとする完全代筆作品については、その限りではない。)

その後も、テレビバラエティーの世界では、世代交代を重ね、ビートたけしや明石家さんま、とんねるず、ダウンダウン、ウッチャンナンチャンといった数々のお笑いスターが台頭するが、そんな彼らに、複数のブレーンスタッフが存在することに寄せられた批判など、寡聞にして聞いたことはない。

しかし、漫画家である赤塚不二夫がブレーンを抱えることは、言語道断、不徳義な行為として見做されてしまっているのだ。

地下鉄サリン事件を筆頭に数々の反社会的行為を引き起こし、我が国における最大にして最悪な犯罪者ともいうべき元オウム真理教教祖・麻原彰晃こと松本智津夫元死刑囚、ジャニーズ事務所の創業者であり、プロモートする多数の男性アイドルに対し、悍ましき性加害を恒常的に繰り返してきたジャニー喜多川、塾生に対する傷害致死や監禁致死により実刑判決を受けた戸塚ヨットスクール校長の戸塚宏、政治資金法違反の疑いや首相官邸における公私混同、理不尽な財税政策により日本社会に大きな傷跡を残し、戦後最低の支持率を叩き出した第100、101代内閣総理大臣・岸田文雄…。このような卑俗この上ない、唾棄すべき連中にすら、トチ狂った味方や信者が複数存在するというのに、赤塚不二夫には冷静なシンパサイザーさえ一切いないという惨めな現実が、この30年余り常に横たわってきた。

筆者がリアルに接してきた人間においても、著しくモラルの欠落した生活保護の不正受給者、青少年育成条例違反や猥褻物領布等の罪で逮捕歴のある元性犯罪者、全く相手にもされていないにも拘わらず、若い女性への付き纏い行為を反復継続的に繰り返し、ストーカー規制法に触法した高齢童貞等々、そうした社会的にレッドカードを突き付けられて然るべき愚民どもでさえ、赤塚に対し、「こいつよりかはマシ」といった蔑んだ目線を投げ掛けているというのが実情だ。

こうした赤塚への憎悪渦巻く批判は、新たな世代へと連綿と受け継がれた結果、YouTubeの泡沫ユーザーらが、赤塚をディスりまくる動画をアップし、いずれも高評価や絶賛コメントを獲得しているという、筆者にとっては、実に由々しき問題が孕んでいる。

その一例を挙げてみよう。

「しげお大先生『芸能雑学』」という、箸にも棒にも掛からない名も無き底辺YouTuberがいる。

赤塚不二夫とタモリの絆を隠れ蓑に、赤塚を愚弄して憚らない何とも気分の悪い動画だが、ここで、赤塚が「おい!タモリ、最近売れ出した思っていい気になるなよ!」と、タモリにキレ出し、「売れない漫画家にそんなこと言われたくない!」と言い返したタモリと、居酒屋で大喧嘩になったというエピソードが紹介されている。

この手の底辺YouTuberにはありがちな話だが、ろくに調べもせずに何処かで見聞きしたエピソードを繋ぎ合わせて、パッチワークしたのだろう。

実際、これに近いエピソードはあったものの、事実は遠く掛け離れており、これでは、漫画家として落ちぶれた赤塚が、タレントとして昇り調子にあるタモリに対し、陰湿なジェラシーを抱いているという、その人間性において、誤解を招くには十分過ぎるネタとして仕立てられてしまっている。

腹立たしい話、タモリを持ち上げるために、赤塚を陥れたい姑息な印象操作がなされていることに、疑いの余地はあるまい。

事の真相は以下の通りである。

「新宿の酒場で飲んでいる二人は、酒の勢いをかりて、口論を始める。ぼくがタモリの出世をねたみ、タモリはぼくの落ち目をあざけり笑うという寸劇だ。だんだん声が大きくなると、あたりはシーンと静かになり、客はことの成りゆきをカタズをのんで聞く耳をたててる。芸能人などのケンカほど、話のネタとしておもしろいものはないからだ。やがて、二人は仲直りをして、ハダカになり、ローソクをたらしあい、まるで、同性愛のようなしぐさを演じるのである。何やら実生活までギャグのサービスをしているような気がしてくる。」(「笑いは人間の特権」/『まんが劇画ゼミ①』手塚治虫、ちばてつやとの共著、集英社刊、79年)

また、タモリとの邂逅を綴った『ボクとタモリ』(「月刊少年ジャンプ」81年8月号)では、数多くの著名人が行き着く「アイララ」を舞台に次のような赤塚とタモリの遣り取りが一つのプロットとして用いられている。

赤塚「タモリッ!!」

タモリ「なによ 不二夫チャン」

赤塚「おまえってどうしてそうズーズーしいんだ!!」

タモリ「どうしたの きゅうに赤いかおしちゃって」

赤塚「うるせえ!! おまえ 気に入らないんだ!!」

タモリ「だから なんだときいているんだよ!!」

赤塚「おまえ 絶交しようぜ!!」

タモリ「ああ けっこうですよ おれもマンガ屋なんかとつきあいたくないよ!!」

赤塚「マンガ屋とはなんだ!!」

その後、周りの山下洋輔、滝大作、高平哲郎、喰始と思しき人物らが止めに入るが、赤塚がタモリに強烈なビンタをお見舞いし、激昂したタモリが赤塚を表に連れ出す。

喰始と思われる帽子姿の一人が心配顔で、外に出てみると、そこには笑い転げる赤塚とタモリの姿が……。

騙された仲間達は、カンカンになって、夜のネオン街で、赤塚とタモリを何処までも追い掛けてゆくという遣り取りがドタバタ仕立てで綴られている。

こうした述懐からもわかるように、あくまで赤塚、タモリ特有の所謂「本気ふざけ」の延長線上にある「ワルノリ」行為に過ぎないのだ。

このYouTube動画の最後には、赤塚の葬儀でタモリが詠んだ弔辞にあったとされる「私もあなたの作品です」という一文によって締め括られているが、正しくは、「私もあなたの数多くの作品の一つです」であり、この言葉自体、誤りなのである。

赤塚不二夫は、日本の漫画家の中でも、最も描いたページ数が少ない寡作作家であるという認識が支配的だ。

その要因の一つに、公式が赤塚の足跡を正確に纏めた作品リストを持ち得ていないことも挙げられようが、漫画家としてのその存在から目を逸らし続けている連中にとって、赤塚は先に述べた唾棄すべき人間どもをも下回る最低なクズであり、俗物的存在でなければならず、赤塚が大量生産した漫画家であったという過去は、是が非でも認めたくない事実と言えるだろう。

手前味噌ながら恐縮だが、赤塚不二夫が多作の作家であるというファクトは、拙著『天才・赤塚不二夫とその時代 文化遺産としての赤塚マンガ論』(デザインエッグ社刊、22年)ほか、赤塚不二夫ディレッタントとして名高く、我が盟友でもある才賀涼太郎主宰のブログ「赤塚不二夫保存会 フジオNo.1」の「暫定最新版・赤塚不二夫・作品リスト」を一読してもらえば、一目瞭然なのだが、赤塚不二夫ヘイトを標榜する連中にとっては、そうしたリストを目にすること自体、敗北を意味しているのであろう。

このように、アンチが赤塚を巨匠漫画家として認めざるを得ない情報をシャットアウトし続けるのは、その存在そのものを誹謗中傷することによって、己の儘ならない現実に対する憂さ晴らしとなるもってこいの人物ではなくなってしまうからに他ならない。

つまりは、アンチ赤塚にとって、赤塚不二夫とは、「生まれながらのアル中」「下品で打たれ弱い中卒の馬鹿」ともいうべき漫画界の恥部としての概念を背負っていなければ、己のメンタルの均衡を喪失してしまいかねない存在になってしまうのだ。

ザ・ブルーハーツの名曲「トレイン・トレイン」ではないが、これこそまさに「弱い者達が夕暮れ、更に弱い者を叩く」混濁の世の不条理である。

因みに、プロダクション形式に特化した作風ながらも、自身の筆が入った原稿は凡そ6万5千枚、手塚治虫、石ノ森章太郎、さいとうたかを、永井豪といった量産作家に次ぐ執筆量を誇る漫画家は、誰あろう赤塚不二夫であることを指摘しておきたい。

アンチ赤塚共通の見解である「全ての赤塚作品は長谷邦夫による代筆」という放語漫言がそのまま反映されているのもあるだろうが、こうしたマイナスのジャッジが、広く一般から下されている現状を踏まえた際、先に述べた「私もあなたの作品です」と「私もあなたの数多くの作品のひとつです」とでは、全くもって意味合いが違ってきてしまう。

赤塚不二夫のその作品、露悪的とも言える生前の言動、またはネットやマスメディアのコタツ記事による負の印象操作に触れ、延髄反射的に赤塚を憎む輩がいても、個人の自由であるし、それに対し、筆者が異議を申し立てる気などはさらさらない。

だが、現世において、三人といない赤塚不二夫ディレッタントの一人として、その足跡や偉業にネガティブな歪曲や捏造を加えることで、赤塚矮小化に益々の拍車を掛けてゆく暴挙そのものについては、並々ならぬ憤りを覚える。

無論、そんな程度の低いアンチ赤塚が、赤塚不二夫について有益な情報を網羅した拙著や拙ブログを顧みることなど、今後も一切ないだろうが、この件に限ってだけは、声高々に伝えておきたい。

ギャグ漫画の王様、神様と称された時代は遥かいにしえ…。今や単なるアル中という括りでしか語られなくなってしまった赤塚不二夫。最早、ギャグ漫画の神様としての再評価など、この先も起こり得ることもないだろうが、それでも、赤塚不二夫というメディアの行く末は、我が身が朽ち果てるまで、注視してゆきたい。

余談であるが、筆者は、赤塚不二夫ディレッタントであると同時に、藤子・F・不二雄、藤子不二雄Aの熱烈なファンでもある。

そんな筆者が、膨大にある両藤子作品の中で、特段に愛着を寄せるタイトルが、藤子・F・不二雄の代表作の一つ『パーマン』(「週刊少年サンデー」67年2号〜44号ほか)であり、一番のフェイバリット・エピソードが、「パーマンはつらいよ」(「週刊少年サンデー」67年39号)である。

ざっくり内容を説明すると、パーマン1号である須羽ミツ夫が、どれだけパーマンとして社会正義に貢献しようが、ミツ夫個人に対しては、誰も感謝してくれないし、学校でも、先生からは叱られ、カバ夫やサブら、級友達からもバカにされている毎日に嫌気が差し、遂にパーマンを辞めると、スーパーマン(バードマン)に直談判するというものだ。

パーマンを辞める決心をしたものの、途方もない葛藤に懊悩する中、とある地方で水害が発生し、現地で苦しむ人達のことが脳裏によぎったミツ夫は、マスクとマントを着用し、被災地へと飛び立ってゆく……。

そして、スーパーマンが、「だれがぼめなくても、わたしだけは知ってるよ。きみがえらいやつだってことを」と、被災地へと向かうミツ夫を見守る中、その心情を吐露して物語を締め括る。

ラストシーンにおけるこのスーパーマンの台詞こそが、「パーマンはつらいよ」が数ある『パーマン』のエピソードにおいて、名作として更に誉れ高いものにしているであろうことに疑問の余地はない

そして、このスーパーマンが発した「だれがほめなくても、わたしだけは知っているよ。きみがえらいやつだってことを」という台詞こそが、筆者が、今や最底辺の俗物としての烙印を押されてしまった赤塚不二夫に向けて、永遠に叫び続けていたい、究極のメッセージでもあるのだ。


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