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「詠古二首有所寄」 劉禹錫 (独力での鑑賞に挑戦しました)

2021-09-26 14:01:12 | 日記
「詠古二首有所寄」 劉禹錫
ㄩㄥˇ ㄍㄨˇ ㄦˋ ㄕㄡˇ ㄧㄡˋ ㄙㄨㄛˇ ㄐㄧˋ

車音想轔轔,不見綦下塵。可憐平陽第,歌舞嬌青春。
金屋容色在,文園詞賦新。一朝復得幸,應知失意人。
寂寥照鏡臺,遺基古南陽。真人昔來遊,翠鳳相隨翔。
目成在桑野,志遂貯椒房。豈無三千女,初心不可忘。

原文(繁體字)のあるサイト

(参考) 中国語のサイト

(参考) 日本語のサイト

(語句)
轔轔 車の響く音、きしんだ音をたてたり、地面を轟かしたりするさま
綦(=基) あやぎぬ、萌葱色の絹布、履き物の紐や飾り、
平陽 ①尭帝の住んだ都②春秋時代の魯の国にあった
第 やしき、邸宅
嬌 なまめかしい婦人、むすめ
青春 年の若いこと
金屋 立派な建物、黄金葺きの家
容色 みめかたち、器量
文園 文林、文壇
詞賦 詞と賦、古い韻文の一形式
南陽 河南省南陽県
真人 中国の道家において理想とされる道を体得した人
翠鳳 翠はカワセミの雌、鳳はオオトリ
相 たがいに、ともどもに
隨 付き従って
翔 高く飛ぶ
目成 目配せして意を通ずる
桑野 桑畑や田野
椒房 皇后の住む御殿、椒庭、貴婦人の室、後宮
豈に どうして~だろうか、いやしない
三千 非常に数の多い

(書き下し文に挑みましたが滅茶苦茶😱)
車音、轔轔にして想ふ、綦の下に塵をまみえず。
憐れむべし、平陽の第、歌い舞う嬌の春は青し。
金屋に容色在り、文園に詞賦を新たにす。
一朝にして復た幸を得るも、まさに失意の人と知るべし。
寂寥、鏡臺を照らす,基を遺す古への南陽。
真人、昔來遊す、翠鳳、相隨翔す。
桑野に在りて目成す、椒房に貯え志遂す。
豈に三千の女無からん、初心忘るるべからず。

(現代語訳に挑みましたが滅茶苦茶😱)
車の音が響いて思う、基の下に塵は見えない。
可哀想な平陽の邸、歌い踊るむすめは年若い。
黄金葺きの家に器量よしがいて、文壇では詞賦が新しい。
僅かな間にまた幸せを得たとしても、当てが外れてガッカリする人であるのを知るべきだ。
寂寥が鏡台を照らし、基を遺す昔の南陽。
道を体得した人が昔、遊びに来て、翠鳳が相伴って飛翔した。
桑畑や田野で目配せして意を通じさせ、貴婦人の御殿に住まわせて志を遂げる。
どうして三千の女がいなかったであろうか、いやいたのだ、初心を忘れてはいけない。

常潤道中有懷錢塘寄述 ( 蘇東坡  )  宋詩 鈔(清)吳之振   (韓国語訳から日本語にしました)

2021-09-26 13:50:47 | 日記

常潤道中有懷錢塘寄述( 蘇東坡 )

宋詩 鈔(清)吳之振

草長江南鶯亂飛 年來事事與心違
花開後院還空落 燕入華堂怪未歸
世上功名何日是 樽前點檢幾人非
去年柳絮飛時節 記得金籠放雪衣
( 蘇東坡 )

宋詩 鈔(清)吳之振

原文のあるサイト

韓国語のブログ
상윤도중유회전당기술고常潤道中有懷錢塘寄述古

韓国語のブログを参考に、意味を考えてみました。

草長江南鶯亂飛
江南に草が生い茂り、鶯がごちゃごちゃに飛ぶが

年來事事與心違
毎年、事々は私の気持ちと行き違うんだよ

花開後院還空落
花は開いた後、庭でまた寂しく散るけど

燕入華堂怪未歸
燕は華堂に入って来て、戻って行かないのが変だね

世上功名何日是
世間の富貴功名はいつの日にやって来るのか

樽前點檢幾人非
酒樽の前で推し量ってみる、幾人が過ちを犯したのだろうか

去年柳絮飛時節
去年、垂れ柳が綿を飛ばす時を考えてみると

記得金籠放雪衣
金色の鳥籠から白鳩を飛ばしてあげたのを思い出すなあ

潛研堂文集  鏡喩(清)錢大昕  (現代中国語訳から日本語にしました)

2021-09-26 10:49:05 | 日記
潛研堂文集 鏡喩(清)錢大昕

五官莫明於目面有此子而目不知烏在其為明也目龐混物而不能見吾之面假於鏡而溫焉鏡之賁不如甘鏡不求於目而目轉求助於鏡然世未嘗以鏡之助目而咎目之失明鏡何負於目哉常有任目而惡鏡者日是好苦我吾自有目烏用鏡為久之視世所稱美人鮮富意者而不知己面之奏予泰然謂美莫已若左右匿笑客終不悟悲夫

原文のあるサイト
潛研堂文集 : 五 - Chinese Text Project

現代中国語訳のあるサイトより
https://rueylin0119.pixnet.net/blog/post/326087712-%E2%96%B3%E6%97%81%E4%BA%BA%E6%84%8F%E8%A6%8B%E4%B9%8B%E5%BF%85%E8%A6%81----%E9%8C%A2%E5%A4%A7%E6%98%95%EF%BC%9A%E9%8F%A1%E5%96%BB%28%E7%BF%BB%E8%AD%AF%29

現代中国語訳を参考にして、私なりに意味を考えてみました。

(拙訳)
五官の中で目ほど真相を見抜くものはなかった。しかし、顔の上にあるほくろは、目には却って見えないが、その実情を見抜くのはどこにあるのか?目は別の物が見えるが、自分の顔は見えなくて、鏡の助けを借りてはじめて見える。鏡の貴重さは目に及ばなくて、鏡は目の助けを必要としないが、目は鏡の助けを借りないといけない。しかし、世間の人は鏡で以て目を助けないで、反対に目が真相を見抜けるのを咎める。実際には鏡のどこが目に及ばないのか?目を信じて鏡を嫌悪する人が言った。「鏡は私をたいへん苦しめる。私自身に目があるのに、どこに鏡を用いる必要があろうか?」長いときが経ち、世間の人たちが称賛するところの美人に完璧なのは極めて稀で、自分の顔の上にほくろがあることを知らないで、なおさら泰然自若として「私より美しいのはいない」と言う。周囲の人は皆、忍び笑いするが、本人はいつまでもわからない、誠に哀れだ!