誰かを、心から愛しいと思う気持ち。
それは、人として最高にステキな瞬間だと思う。
頭でそうしようと思ってできることではない。
ふと、湧いてくるものだと思う。
しかし、今の忙しく日々に追われる現代人には、なかなかふと感じる事が難しくなっている。
それは、非常に素朴で、単純なものなのだ。
まるで予期していなかった時に、起こる。
それが、僕にとっては今朝だった。
今日は仕事のない日曜日。
1ヶ月会っていなかった恋人が、やっと互いの都合がついて、今週の水曜日からうちに泊まりに来ている。
何でもない4日目の朝、僕はふとそれを感じたのだ。
隣りでスヤスヤと眠る彼女。
休日といえども、いつも通り6時前に目が覚める僕。
彼女の小ぶりな頭をそっと抱き抱え、腰に手を回した。
その時だった。
ふと、走馬灯のように、高校生だった時の初恋の少女の記憶が蘇った。
当時僕は、4つ年下の中学生の女の子と付き合っていた。
僕にとっても、初めての恋人だった。
彼女は精一杯背伸びをして、大人ぶったふりをしようとしていた。
彼女はまだ中学生。
高校生は、当時の彼女にとっては遠い大人に見えただろう。
でも僕だってまだ子供で、初めての彼女だったのだ。
経験なんてない。
どうしたら良いのかも分からない。
必死だった。
必死で、彼女に好かれ続けようとした。
必死だったのを、ただ隠していただけなんだ。
彼女のことが、心から好きだった。
その当時でさえ、いつか結婚して、ずっと一緒にいられたら良いのにな、と思っていた。
かけがえのない存在だった。
ふと、今朝彼女の事を思い出したのだ。
走馬灯のように。
そして、あの頃の愛しい気持ちが蘇った。
同じように、ここバンコクのコンドミニアムの一室のダブルベッドの上で、僕の隣りで静かに眠っている彼女を同じように愛おしく思った。
彼女の胸に、自分の顔をグッと埋める。
彼女が優しく僕の頭を両腕で抱える。
寝ぼけながら。
彼女が少し目を覚ましたのが分かる。
彼女は昨晩、人生早めに死にたいと言っていた。
真意は分からない。
韓国映画を夢中で観ていて、彼女の話に適当に相槌を打っていた僕への、ただの当てつけかもしれない。
聞こえていたけど、なんとなく聞こえていないふりをした。
いつもユーモアたっぷりで明るく超自由人の彼女にも色々あるのだろうと思った。
でも、今朝の彼女は、僕に抱かれて目を覚まし、大きな幸せと満足感に満たされていた。
自信過剰ではない。
隣りで横になる自分には、それがはっきりと分かったのだ。
それが、人を心から愛おしく思う一瞬なのだ。
人を幸せにしたいと思いながら、幸せにするどころか、迷惑をかけて不幸にしてしまうことしかできないと思っていた僕が、一瞬でも誰かに幸せを感じさせることができたかもしれないと思った。
幸せは、一瞬で良いのだ。
それを本当の幸せと言うのだろう。
誰かを心から愛しいと思うこと。
それは、たぶん、努力して目指すことではなく、何かをそっと大切にすることなのだ。