以前に、鬱病について書いたが、かれこれもう45歳なので、付き合い方についてもう何となく分かっている。
鬱病というのは、波だ。
波がやってくる。
盛り上がる波と、へこむ波。
それだけのことだ。
盛り上がっているときには、自分も乗っていて、あまり思い悩むことなく色々なことが進行する。
行き過ぎると、いわゆる「躁」の状態になってしまうが、色々と人生経験を積んで、この人生の相棒と過ごす時間や回数が増えて来ると、あまり行き過ぎないようにしようというブレーキも掛けられるようになってくる。
しかし、問題は「鬱」のへこんだ状態だ。
これは回避しようがない。
とにかく、気持ちが沈んでしまう。
特に理由はないのだ。
ただ、自分が世界でたった一人のような気がして、うまく前に進めなくなる。
自分の人生の意義が分からなくなる。
過去の過ちを責める。
目的が分からなくなる。
どちらに進んだら良いのか分からなくなる。
何かとの繋がりが感じられない。
未来に希望が感じられない。
ただ、それだけなのだ。
それを、学ぶ。
そして、沈む時期があれば、必ずいつか浮かんでくる時が来る。
夜があれば、夜明けもある。
それも、経験から分かるのだ。
冬があれば、春も来る。
僕は秋が苦手だが。
秋が苦手な僕は、やはり長めに苦しむ質である。
冬を越えないと、春が来ないからだ。
夕方から夜にかけて、苦手だ。
比較的、朝が得意。
夕方、暗くなりかけると、とても寂しくなる。
45歳にもなって。
でも、いつかは浮かんでくる時が来る。
だから、待てばいいのだ。
そんな時は、ただ、本を読んだり、
静かなジャズ音楽を聴いたり、
大学院のテキストを読んだり、
YouTubeでひたすら子猫の動画を観たり、
シャツにアイロンをかけ続けてみたり、
こうやって日記を書いたりしていればいいのだ。
そうやって、大人になった僕は、時間をやり過ごすことができる。
実はこうしている今も、
なんとなく沈んでいる。
だから、ジャズをかけてみた。
だから、自分の今の気持ちを日記に書いてみた。
だから、彼女のLINEメッセージを疎ましく思いながら、ちゃんと返信してみた。
だから、コーヒーを沸かして飲んでみた。(夜だけど)
だから、シャワーを浴びてみた。
そうやって、向き合っていくのだ。
自分と。