NYヤンキースのアーロン・ジャッジ選手がアメリカン・リーグ記録に並ぶ、
シーズン61本目のホームランを放ちました。おめでとうございます。
日本では大谷翔平とジャッジとのMVP争いの話が出てきますが、
個人的には1961年、ロジャー・マリスが放った61本が話題にのぼることが嬉しいです。
1961年、MLBアメリカン・リーグは前年までの8球団に新規2球団が加入。
その影響もあり、投手の質が低下し、ヤンキースは強力打線を形成。
その中核が前年加入し、3番ライト39本塁打112打点で打点王のロジャー・マリスと
4番センター40本塁打で本塁打王、史上最高のスイッチ・ヒッター、ミッキー・マントルの2人。
2人の頭文字を取り、MM砲(英語ではM&M Boys)と呼ばれ親しまれた。
MM砲の2人はホームランを打ちまくり、5月末でマリス12本、マントル14本を記録し、
2人がベーブ・ルースの記録60本を34年振りに更新するのではないか、と沸き立った。
ヤンキース生え抜きであり、ニューヨークの記者とも良好だったマントルは好意的に書かれ、
一方、外様で無口だったマリスは「真のヤンキースの一員ではない」と批判にさらされた。
本塁打を打つたびに大拍手で迎えられ、明るく笑顔のマントルに対し、マリスは無表情。
地元ファンからも「マントルは善玉、マリスは悪玉」と受け止められた。
当時のMLBにおいて、ルースの記録は“聖域”であり、人気者マントルが破るならまだしも、
マリスに抜かされてなるものかと、想像を絶する逆風の中で本塁打を重ねていく。
メディアでは2人の不仲説も取り沙汰され、マリスは重圧から髪の毛が抜けてしまうほどに。
さらにMLBコミッショナーが「ルースは154試合制だった」と記録を認めない旨を発言。
逆風、重圧、批判に晒されるマリスに最も理解を示し、励ましたのが他ならぬマントルだった。
「お前の強肩とライトの広い守備範囲のおかげで、俺はすごく助かっている」
「俺が4番で打てるのは、お前が3番を打ってくれるからだ」的な言葉をマリスにかける。
シーズン終盤、マントルがケガで離脱し、40号、50号をマリスが先に達成し、
迎えた154試合目の9月20日に59号を放つものの60号は打てず、9月26日に60号を記録。
10月1日、本拠地ヤンキースタジアムでの162試合目に、ルース超えの61発目を達成。
しかし、6万7000人以上収容可能な球場で、その瞬間を目撃したのはわずか2万人余り。
ホーム球場で本塁打を放てばブーイングを浴びたマリスは、
新記録達成の栄光にはほど遠く、前代未聞の屈辱と苦しみを味わっていた。
30年後の1991年までマリスの最多本塁打は「61*」と参考記録のままだった。
1961年の「61*」について、40年後の2001年テレビ映画で「61*」とし製作された。
バリー・ペッパーがマリス役を主演し、マントル役はトーマス・ジェーン。
(バリーは「プライベート・ライアン」の狙撃手ジャクソンで有名)
この映画を国際線で、字幕・吹替なしで見たのですが、非常に感動でした。
98年にマーク・マグワイアが70本を記録した映像もあり、記録の再考を、という意志があったのかも。
好きな選手であるマントルの人間性も描かれていて、更に好意的に思うようになりました。
アーロン・ジャッジがホームランを放つたびにマリスの61本が話題になり、
(アメリカン・リーグ記録だから、ではあるが)、MLB記録はバリー・ボンズの73本である。
しかし、2005年に61本を超えて本塁打を記録した3人がいずれもステロイド(筋肉増強剤)等の
薬物使用が発覚したため、マリスの61本こそ「真の記録」という声も少なくない。
様々な経緯や背景の中で、ジャッジが61本のホームランを放ったことは色々良かったのだと。
この61本塁打を機にマリスの野球殿堂入りの話が再燃して欲しいな、と願っています。
ちなみにマリスの背番号は「9」。そしてジャッジが「99」。何か因縁めいたものを感じませんか。
そして1961年の「61本」から「61年振り」というのも不思議ですね。
ついでにアーロンもジャッジもワンピースに出てくるキャラですね(笑)
シーズン61本目のホームランを放ちました。おめでとうございます。
日本では大谷翔平とジャッジとのMVP争いの話が出てきますが、
個人的には1961年、ロジャー・マリスが放った61本が話題にのぼることが嬉しいです。
1961年、MLBアメリカン・リーグは前年までの8球団に新規2球団が加入。
その影響もあり、投手の質が低下し、ヤンキースは強力打線を形成。
その中核が前年加入し、3番ライト39本塁打112打点で打点王のロジャー・マリスと
4番センター40本塁打で本塁打王、史上最高のスイッチ・ヒッター、ミッキー・マントルの2人。
2人の頭文字を取り、MM砲(英語ではM&M Boys)と呼ばれ親しまれた。
MM砲の2人はホームランを打ちまくり、5月末でマリス12本、マントル14本を記録し、
2人がベーブ・ルースの記録60本を34年振りに更新するのではないか、と沸き立った。
ヤンキース生え抜きであり、ニューヨークの記者とも良好だったマントルは好意的に書かれ、
一方、外様で無口だったマリスは「真のヤンキースの一員ではない」と批判にさらされた。
本塁打を打つたびに大拍手で迎えられ、明るく笑顔のマントルに対し、マリスは無表情。
地元ファンからも「マントルは善玉、マリスは悪玉」と受け止められた。
当時のMLBにおいて、ルースの記録は“聖域”であり、人気者マントルが破るならまだしも、
マリスに抜かされてなるものかと、想像を絶する逆風の中で本塁打を重ねていく。
メディアでは2人の不仲説も取り沙汰され、マリスは重圧から髪の毛が抜けてしまうほどに。
さらにMLBコミッショナーが「ルースは154試合制だった」と記録を認めない旨を発言。
逆風、重圧、批判に晒されるマリスに最も理解を示し、励ましたのが他ならぬマントルだった。
「お前の強肩とライトの広い守備範囲のおかげで、俺はすごく助かっている」
「俺が4番で打てるのは、お前が3番を打ってくれるからだ」的な言葉をマリスにかける。
シーズン終盤、マントルがケガで離脱し、40号、50号をマリスが先に達成し、
迎えた154試合目の9月20日に59号を放つものの60号は打てず、9月26日に60号を記録。
10月1日、本拠地ヤンキースタジアムでの162試合目に、ルース超えの61発目を達成。
しかし、6万7000人以上収容可能な球場で、その瞬間を目撃したのはわずか2万人余り。
ホーム球場で本塁打を放てばブーイングを浴びたマリスは、
新記録達成の栄光にはほど遠く、前代未聞の屈辱と苦しみを味わっていた。
30年後の1991年までマリスの最多本塁打は「61*」と参考記録のままだった。
1961年の「61*」について、40年後の2001年テレビ映画で「61*」とし製作された。
バリー・ペッパーがマリス役を主演し、マントル役はトーマス・ジェーン。
(バリーは「プライベート・ライアン」の狙撃手ジャクソンで有名)
この映画を国際線で、字幕・吹替なしで見たのですが、非常に感動でした。
98年にマーク・マグワイアが70本を記録した映像もあり、記録の再考を、という意志があったのかも。
好きな選手であるマントルの人間性も描かれていて、更に好意的に思うようになりました。
アーロン・ジャッジがホームランを放つたびにマリスの61本が話題になり、
(アメリカン・リーグ記録だから、ではあるが)、MLB記録はバリー・ボンズの73本である。
しかし、2005年に61本を超えて本塁打を記録した3人がいずれもステロイド(筋肉増強剤)等の
薬物使用が発覚したため、マリスの61本こそ「真の記録」という声も少なくない。
様々な経緯や背景の中で、ジャッジが61本のホームランを放ったことは色々良かったのだと。
この61本塁打を機にマリスの野球殿堂入りの話が再燃して欲しいな、と願っています。
ちなみにマリスの背番号は「9」。そしてジャッジが「99」。何か因縁めいたものを感じませんか。
そして1961年の「61本」から「61年振り」というのも不思議ですね。
ついでにアーロンもジャッジもワンピースに出てくるキャラですね(笑)
これでジャジにMVPは決まりかな?
昨日、大谷は獲っているから。
記者の投票だから何とも言えないけど、
私は大谷に1票!
マリスの61本、そしてマグワイヤ、ソーサ、ボンズの本塁打記録が"暗黙の黒歴史"になっているので、
ジャッジが62本を記録すると、
60本 ルース(ヤンキース)
61本 マリス(ヤンキース)
62本 ジャッジ(ヤンキース)
となるので、アメリカ的には綺麗に収まるので、
その功績を称えて、MVPになってしまうと思われます(笑)