先日参加した演劇のワークショップのお話です。
きっかけは、昨年読んだ日経新聞の夕刊の記事にさかのぼります。
2005年6月3日付
小学校で導入広がる「演劇が磨く表現力」から、引用いたします。
「子どもたちの表現力やコミュニケーション力を高めようと
小学校の授業に『演劇』を取り入れる動きが広まっている。
総合的な学習の時間を使ったり、研究開発校の指定を受けて新教科を創設したり
授業法などまだ手探りの部分が多いが
『伝えることが苦手な子』の増加が懸念される中、成果に期待が集まる。」
「劇作家協会理事の篠原久美子さんは
『演劇を教育に取り入れる一番の目的は心と身体をリラックスさせ
聞く力と話す力を磨くこと』と説明する。」
「東京都杉並区立富士見が丘小学校曽我部和広副校長は
『当初は不安もあったが、演劇は相手の言葉、動作を受け止めて
動いたり、話したりすることの反復。
コミュニケーション能力を高めるのに有効だと気づいた。』と振り返る。
引っ込み思案だった子がよく話すようになるなど変化も実感した。
『当初は教師、保護者とも学芸会のイメージしかわかなかった。』
『表現力、問題解決力などの育成手段であることを
きちんと説明していきたい。』
学校教育の中での位置づけを明確にするには、指導法の確立も不可欠。」
併せて、日本PTA 全国協議会の2002年の調査のデータで
子どもたちの「自分の考えを表現し伝える力」「想像力やコミュニケーション力」
の低下に対する懸念が先生や保護者の間で広がっているとのことでした。
「気持ちを伝えられず泣いたりパニックになる子が多い」
「友達同士でも探り合うような感じで深く付き合おうとしない」
背景として「豊な社会」やい年齢の子どもと遊ぶ機会が減ったことなど
様々な要因が指摘される。とありました。
もちろんこれらの力を、単純に以前と比較して述べることはできないように思います。
この記事を読んで、いまkirikou たちは、別の意味でも当てはまりますが
他の子どもたちをみても、子どもたち全体に
友だち同士の意思の伝え方ややり取りなど、
遊び方や互いの歩み寄りなどのやり方に、少なからずぎこちなさを感じていました。
決め付けるような言い方や、相手を下に見たり、自分を優位にしたり
そんなことが、昔もあったのかもしれませんが
大きい子小さい子が一緒になって遊ぶ機会が多かった頃には
それなりのルールが、子どもたち同士の中で働いていて
いろいろなことを体験しながら学んでいたように思います。
原因を、考えることも必要かもしれませんが
とにかく、今すぐにでも何かをはじめる事が大切なのではないかしら?
と、ず~っと考えておりました。
Dちゃんとの2年間の付き合いで、kirikou もいろいろな経験をして
学んだことも多くありました。
まだまだのこともありますが、何かを経験して
何度も失敗を重ねながらも、ひとつずつ少しずつでも
何かを身につけたり、気づいたりすることもあるのでしょうか?
そこでいつも迷うのは、これは苦手なこと、本人にとって嫌なことだから
そこは、やらないで避けて行くのか?
あともう少しのハードルを設定して、できるだけトライするのか?
その加減がとてもむずかしいし、かといって無理はできないと思うし…
最後は、本人のモチベーションなのでしょうか?
ずいぶんと長くなってしまいましたので、続きはまたあとで書きますね。
きっかけは、昨年読んだ日経新聞の夕刊の記事にさかのぼります。
2005年6月3日付
小学校で導入広がる「演劇が磨く表現力」から、引用いたします。
「子どもたちの表現力やコミュニケーション力を高めようと
小学校の授業に『演劇』を取り入れる動きが広まっている。
総合的な学習の時間を使ったり、研究開発校の指定を受けて新教科を創設したり
授業法などまだ手探りの部分が多いが
『伝えることが苦手な子』の増加が懸念される中、成果に期待が集まる。」
「劇作家協会理事の篠原久美子さんは
『演劇を教育に取り入れる一番の目的は心と身体をリラックスさせ
聞く力と話す力を磨くこと』と説明する。」
「東京都杉並区立富士見が丘小学校曽我部和広副校長は
『当初は不安もあったが、演劇は相手の言葉、動作を受け止めて
動いたり、話したりすることの反復。
コミュニケーション能力を高めるのに有効だと気づいた。』と振り返る。
引っ込み思案だった子がよく話すようになるなど変化も実感した。
『当初は教師、保護者とも学芸会のイメージしかわかなかった。』
『表現力、問題解決力などの育成手段であることを
きちんと説明していきたい。』
学校教育の中での位置づけを明確にするには、指導法の確立も不可欠。」
併せて、日本PTA 全国協議会の2002年の調査のデータで
子どもたちの「自分の考えを表現し伝える力」「想像力やコミュニケーション力」
の低下に対する懸念が先生や保護者の間で広がっているとのことでした。
「気持ちを伝えられず泣いたりパニックになる子が多い」
「友達同士でも探り合うような感じで深く付き合おうとしない」
背景として「豊な社会」やい年齢の子どもと遊ぶ機会が減ったことなど
様々な要因が指摘される。とありました。
もちろんこれらの力を、単純に以前と比較して述べることはできないように思います。
この記事を読んで、いまkirikou たちは、別の意味でも当てはまりますが
他の子どもたちをみても、子どもたち全体に
友だち同士の意思の伝え方ややり取りなど、
遊び方や互いの歩み寄りなどのやり方に、少なからずぎこちなさを感じていました。
決め付けるような言い方や、相手を下に見たり、自分を優位にしたり
そんなことが、昔もあったのかもしれませんが
大きい子小さい子が一緒になって遊ぶ機会が多かった頃には
それなりのルールが、子どもたち同士の中で働いていて
いろいろなことを体験しながら学んでいたように思います。
原因を、考えることも必要かもしれませんが
とにかく、今すぐにでも何かをはじめる事が大切なのではないかしら?
と、ず~っと考えておりました。
Dちゃんとの2年間の付き合いで、kirikou もいろいろな経験をして
学んだことも多くありました。
まだまだのこともありますが、何かを経験して
何度も失敗を重ねながらも、ひとつずつ少しずつでも
何かを身につけたり、気づいたりすることもあるのでしょうか?
そこでいつも迷うのは、これは苦手なこと、本人にとって嫌なことだから
そこは、やらないで避けて行くのか?
あともう少しのハードルを設定して、できるだけトライするのか?
その加減がとてもむずかしいし、かといって無理はできないと思うし…
最後は、本人のモチベーションなのでしょうか?
ずいぶんと長くなってしまいましたので、続きはまたあとで書きますね。
私が感じたのはなんだか偏食のtopicみたいですね。
その食べ物を食べたほうが栄養的には望ましい。
でも本人は嫌がっている。
としたら、親はどちらを優先させるべきなのでしょうね。
非常に難しい問題です。
ですがどちらが正解ということはないでしょう。
無理やり食べさせたほうがいい子供もいるでしょう。
嫌がっているなら他の食べ物で栄養を代用するべき子供いるでしょう。
絶対的な方針の決断というのはする必要がないと思います。
上手くいかなかったら、他も考慮しても誰も咎めません。
自分の子供の個性は母親が一番わかっているはずです。
ですから母が子を愛していれば自然とbetterな選択肢が見えてくるのかもしれません。
そして上手くいったらギュッと抱きしめてあげれば喜ばない子はいません。
生意気なコメント失礼しました。
ではでは。
ありがとうございます。そうなんですよね・・・
つい白か黒かハッキリさせようとしてしまいがちですが
もしかしたら、そのどちらもそれでよいという風に考えたほうが
生き易くなるのかもしれませんね・・・
臨機応変というのも、なかなかむずかしく
杓子定規に、ものことを考えがちなことに気づかせていただきました。
演劇もそうでしたが
人とのやり取りのあ・うんの呼吸に、極意があるような気もします・・・
苦手も、それなりに自分を知る手立てになりますね・・・