これは、はじめNHKの「みんなのうた」で財津和夫さんが歌っていた曲のタイトルです。
調べてみると、最初は昭和53年に放映されているようです。
(タイムマシンに乗って、4年ぶりに出会う自分の書いた言葉…に、ずかさしと誤字発見!
2010・8・13追記)
私の若い頃に、大きな影響を受けたと思うもののひとつに財津さんの歌があり
その軌跡を順にたどってみると、不思議なくらい
そのときの自分の考えていたこと、想っていたことやこころの様子が
昔の記憶の糸をたぐりよせるように、ほぐれてくるような気がします。
ということで、先日の24日(土)の「世界一受けたい授業」に
茂木健一郎先生がご出演されてお話してくださった中に
短期記憶と長期記憶(だと思う?)に関するとても面白い知見がありました。
高齢者の方の回想療法のお話も取り上げられていました。
(もちろん、これからお話しするのは私の素人的な感想と、お断りしておきます…)
お年寄りの方や、認知症の方などにも昔のことを思い出したり
懐かしい歌を歌ったり、絵画療法などをすることによって
機能的な効果そのものを期待するということを目的とするだけではなく
生活の質の向上=クオリティ・オブ・ライフ(QOL=人生の質)を念頭にいれた
対応が進められているようです。
(先日、レンタルで観た映画「折り梅」にも、取り上げられていました。)
さて、音楽のことから、映画のお話になりましたので
まだ、はっきりとしたカタチにはなっておりませんが
最近、気になっていることについて、いくつか少しお話いたします。
実は、先日の「カウンセリングⅠ」のレポート課題は
いくつか実習で取り上げた心理療法について
その基になった理論までさかのぼって考察して述べよ、というものでした。
まだまだ、すぐには取りかかれそうにはありませんが
このところ、ず~っと「深層心理」や「無意識」と呼ばれる領域について
気になっておりました。
このあたりは、かのユングの説いた奥深く暗い森にもつながる分野ですので
おいそれとは、分け入ることも、語ることもできそうにはありませんが
なぜかしら、つよく惹かれるものを感じずにはいられません。
たぶんレポートを書くためだけなら、そんなに苦労せずにできることと
お思いになるかもしれませんが
私の『わるいクセ』というか、よくいえば『探究心』のなせるわざというのか
こんなに「オモシロそうな」世界を目の前にすると
どうしても、もっと、もっと・・・と知りたくなってしまいます。
とりあえず、ユングの関連の本を読みながら
現実世界から遊離しないように、細心の注意を払って
時には寄り道をしながら、時には迷いそうになりながら
kirikou との会話を、しっかり心がけて
この「興味深い森」に、すこし進んでみようかと想っています。
このことは、「人は、自分の過去を理解することで、さらに未来に進むことができる。」
というこのブログのはじめに書いた茂木先生のお話についても感じるのですが
この過去というのは、記憶というものに関連しているとして
さて、「未来を考えるということ」=「これから先のことを想像すること」は
『どのような人間の心の働きや動きに結びついているのか…?』が
どうしても、気になっているからです。
お話がすっかり抽象的になってしまいましたが
最近、もうひとつ気になっている言葉があります。
東京大学の総長小宮山宏氏のご挨拶の中に
知識の洪水に流されない「本質を捉える知」
独善に陥らない「他者を感じる力」
そして、「先頭に立つ勇気」を備えた、
21世紀が求める人材が育つ場でありたい…
という3つのキーワードがありました。
特別に、東京大学にこだわっているわけでもありませんし
いまの社会がどんなものかも、どんな人物が求められて評価されるのかも
はっきりと申し上げる術も知識も、私は、もちあわせてはおりません。
ただ、「本質を捉える知」「他者を感じる力」「先頭に立つ勇気」は
これから生きていくうえで、確かにとても必要とされていると感じています。
さらには、いま自分の身近な子どもたちを見たときに
そのことを意識して「どんな風に子どもたちを、教え育んでいけばいいのか?」
という大きな課題に直面していると、つよく感じているのは事実です。
『地球という広い世界を感じながら、今を見つめ、未来を切り拓いていくこと…』
は
これから、子どもたちだけでなく、実は大人の私たちにも
しっかり考えていくことが求められていると思います。
ただ、すべての方々が、そんな風に過ごしていくことが良いことかどうかは
まだ私にも、とても言い切るようなことはできません。
さらにkirikou のように、得意なことと苦手なことの両方を持ちながら
これからの世界を生きていくことになる子どもたちのことも含めて考えると
それでもなお、そこには何か大切なメッセージがあるように感じています。
そんな時、財津さんの歌う「切手のないおくりもの」に込められた
日常の何気ない『やさしさ』や『人との出会い』や『別れゆく人』を想うこころに
ささやかだけれど、つよく共感する気持ちを覚えずにはいられないのです。
(もう少し、具体的なお話をしていけるように努力したいと考えながら
まだ、もやもやとしているナニモノかを、どうしても書いておきたかったので
こんなお話になってしまいました。わかりにくくてスミマセン…)
調べてみると、最初は昭和53年に放映されているようです。
(タイムマシンに乗って、4年ぶりに出会う自分の書いた言葉…に、ずかさしと誤字発見!
2010・8・13追記)
私の若い頃に、大きな影響を受けたと思うもののひとつに財津さんの歌があり
その軌跡を順にたどってみると、不思議なくらい
そのときの自分の考えていたこと、想っていたことやこころの様子が
昔の記憶の糸をたぐりよせるように、ほぐれてくるような気がします。
ということで、先日の24日(土)の「世界一受けたい授業」に
茂木健一郎先生がご出演されてお話してくださった中に
短期記憶と長期記憶(だと思う?)に関するとても面白い知見がありました。
高齢者の方の回想療法のお話も取り上げられていました。
(もちろん、これからお話しするのは私の素人的な感想と、お断りしておきます…)
お年寄りの方や、認知症の方などにも昔のことを思い出したり
懐かしい歌を歌ったり、絵画療法などをすることによって
機能的な効果そのものを期待するということを目的とするだけではなく
生活の質の向上=クオリティ・オブ・ライフ(QOL=人生の質)を念頭にいれた
対応が進められているようです。
(先日、レンタルで観た映画「折り梅」にも、取り上げられていました。)
さて、音楽のことから、映画のお話になりましたので
まだ、はっきりとしたカタチにはなっておりませんが
最近、気になっていることについて、いくつか少しお話いたします。
実は、先日の「カウンセリングⅠ」のレポート課題は
いくつか実習で取り上げた心理療法について
その基になった理論までさかのぼって考察して述べよ、というものでした。
まだまだ、すぐには取りかかれそうにはありませんが
このところ、ず~っと「深層心理」や「無意識」と呼ばれる領域について
気になっておりました。
このあたりは、かのユングの説いた奥深く暗い森にもつながる分野ですので
おいそれとは、分け入ることも、語ることもできそうにはありませんが
なぜかしら、つよく惹かれるものを感じずにはいられません。
たぶんレポートを書くためだけなら、そんなに苦労せずにできることと
お思いになるかもしれませんが
私の『わるいクセ』というか、よくいえば『探究心』のなせるわざというのか
こんなに「オモシロそうな」世界を目の前にすると
どうしても、もっと、もっと・・・と知りたくなってしまいます。
とりあえず、ユングの関連の本を読みながら
現実世界から遊離しないように、細心の注意を払って
時には寄り道をしながら、時には迷いそうになりながら
kirikou との会話を、しっかり心がけて
この「興味深い森」に、すこし進んでみようかと想っています。
このことは、「人は、自分の過去を理解することで、さらに未来に進むことができる。」
というこのブログのはじめに書いた茂木先生のお話についても感じるのですが
この過去というのは、記憶というものに関連しているとして
さて、「未来を考えるということ」=「これから先のことを想像すること」は
『どのような人間の心の働きや動きに結びついているのか…?』が
どうしても、気になっているからです。
お話がすっかり抽象的になってしまいましたが
最近、もうひとつ気になっている言葉があります。
東京大学の総長小宮山宏氏のご挨拶の中に
知識の洪水に流されない「本質を捉える知」
独善に陥らない「他者を感じる力」
そして、「先頭に立つ勇気」を備えた、
21世紀が求める人材が育つ場でありたい…
という3つのキーワードがありました。
特別に、東京大学にこだわっているわけでもありませんし
いまの社会がどんなものかも、どんな人物が求められて評価されるのかも
はっきりと申し上げる術も知識も、私は、もちあわせてはおりません。
ただ、「本質を捉える知」「他者を感じる力」「先頭に立つ勇気」は
これから生きていくうえで、確かにとても必要とされていると感じています。
さらには、いま自分の身近な子どもたちを見たときに
そのことを意識して「どんな風に子どもたちを、教え育んでいけばいいのか?」
という大きな課題に直面していると、つよく感じているのは事実です。
『地球という広い世界を感じながら、今を見つめ、未来を切り拓いていくこと…』
は
これから、子どもたちだけでなく、実は大人の私たちにも
しっかり考えていくことが求められていると思います。
ただ、すべての方々が、そんな風に過ごしていくことが良いことかどうかは
まだ私にも、とても言い切るようなことはできません。
さらにkirikou のように、得意なことと苦手なことの両方を持ちながら
これからの世界を生きていくことになる子どもたちのことも含めて考えると
それでもなお、そこには何か大切なメッセージがあるように感じています。
そんな時、財津さんの歌う「切手のないおくりもの」に込められた
日常の何気ない『やさしさ』や『人との出会い』や『別れゆく人』を想うこころに
ささやかだけれど、つよく共感する気持ちを覚えずにはいられないのです。
(もう少し、具体的なお話をしていけるように努力したいと考えながら
まだ、もやもやとしているナニモノかを、どうしても書いておきたかったので
こんなお話になってしまいました。わかりにくくてスミマセン…)
いまでも、そのことに密着した生活をなさっていらっしゃるんですね。
私は、まだその入り口の門にも到達しているとはいえないと想いますが
日本の源流に目を向けたたくさんの方々のことを
これから少しでも学んでいければと考えています。
古くは、西行、本居宣長や柳田國男氏・・・禅宗にもひかれるものがありますし
西洋文明を学びながら日本のことを見つめた南方熊楠という人も、とても面白そうですし
私の知らないたくさんのもの・ことがこの世にはいろいろあって
きっと目には見えないけれど、何かしらのつながりをもって
存在しているのかもしれません・・・
そんなことに、なぜか強く惹かれてしまう自分に
以前から気づいておりましたが
最近、そのことを素直に、臆することなくお話できるようになりたいと想って
こんな風に、少しずつお話するようになりました。
また、いろいろなことを教えてください!
よろしくお願いいたします。