Little Tree

日々のいとなみのなかで感じた子どものこと、季節の移ろいやこころに映る風景

「チューリップ」を追いかけて・・・

2006-05-23 16:56:30 | Weblog
10代から20代の頃、一番好きだったチューリップのお話をしようと思います。

その前に、ここで、さらっと何気なく
私のカワイイ恋のお話をしてしまおうかしら・・・という気がしないでもありません。
(もちろん、私が可愛かったのでは全くなく
あくまであまりにもカワイイ“恋”だったということで・・・)

とりあえず、差しさわりのない程度の
かなり勝手な思い込みと都合よく脚色されたお話だと思ってお聞きください・・・

それも30年も前のことなので、きっと昔のおとぎ話にも似た感覚でしょうか。

小学校は、まだほんとうにお子様でしたのでパスしますが

中学校ではバスケ部のひとつ歳上の先輩を
ずーっと遠くから眺めているだけの片想いをしていました。

いま、思い出しても、ほんとうにカワイイ、けなげな恋心でした。

高校は、なんだかいろいろあったような気もしますが
いわゆる進学校だったので、なんだかみんなも屈折した想いが入り混じっていて
ちっとも楽しくもなんともない、どちらかというと重苦しい時期を過ごしていたと思います。

今思うと、ほんとうに青春の大切なときに、もったいないような気もしますが
そんな経験も後から思えば、辛かったり苦しい時期を通り過ぎてきたことが
今につながる、何かの栄養になっているのかもしれません。

ということで、高校の2年間、クラスが一緒のこれまたずーっと眺めていた人に
卒業して大学に入ってから、思い切って(たぶん私から)手紙を書いたんだと思います。

なぜか、その辺の記憶が定かでないのは、どういうわけなんでしょうね・・・

私は、地方に下宿していましたので、手紙のやり取りがほとんどで
帰省しても、それほど会ったりすることもなく
私のペースで、ノンビリ付き合ってもらっていたと思います。

そういえば、あの「いま、会いにゆきます」の雰囲気に、どこか良く似た感じでした・・・

(ちなみに、その恋の行方は・・・ハッピーエンドにはなりませんでしたけど・・・)


その頃、とにかく昼も夜もほとんどず~っと聞いていたのが
チューリップの歌でした。

それも財津さんのことばを聞いては、意味を考え、気持ちを感じて
いろいろな世界や知らないことに対する興味や関心を
財津さんの目を通して、知ろうとしていたようなところがありました。

コンサートにもよく行きました。

当時、野外コンサートが盛んに始められるきっかけが
たぶんチューリップの鈴蘭高原でのコンサートで、妹と一緒にに行きましたし
夏休みには、大阪や箱根での大きなイベントにも出かけました。

ほんとうに、その頃は今にも増して「夢見る少女」だったので
思い出してみると、恥ずかしいような
けれど、そのときの自分を今でもスゴ~ク可愛く感じてしまいます。
 

たぶんチューリップのファンだった方は、おわかりかと思いますが

いま、少しは大人になった私が考えてみるに、財津さんの詩は
ほんとうに、いろいろな視点から世の中を見ているような気がします。

男の人だったり女の人だったり、それも若い人だけでなく
娘を嫁がせる親の気持ちだったり・・・老夫婦の言葉だったり
いろいろな人の目からみた情景だったり心情だったり・・・


もちろん、恋愛を歌っているものもありますが
もっと、普遍的な何かを、歌に織り込んでいて
そのときの自分の置かれた状況や感じているものに合わせて

その時その時の、自分をそこに重ね合わせながら
歌の世界に入って、同じように感じたり考えたりすることができるような気がします。

どうして、そんなことができるのかは、全然わかりませんが

もしかすると、財津さんの追いかけていたビートルズの音楽に
その原点があるのかもしれないと、想います。

途中でメンバーが変わったり、財津さんのソロ活動があったり
解散してからも、しばらくは聴いていましたが
いつの間にか、離れてしまっていました。

昨年は、コンサートツアーが行われたようで
23タイトルのオリジナル作品が、紙ジャケット仕様で復刻されたとのことです。


ひさしぶりに、財津さんのソロアルバム「サボテンの花~groun up~」を借りて
聴きました。

1.WAKE UP    2.娘が嫁ぐ朝   3.君でなければ

 4.生きるといふこと  5.恋人への手紙  6.サボテンの花

  7.バイバイもうさよならさ 8.届かぬ愛 9.切手のないおくりもの

   10・会いたい 11.心の旅 12.恋と愛の間 14.青春の影


そして、ほんとうに、何度も何度もくり返し聴きました。


こんな風に感じるのは、もしかしたら私だけかもしれませんが
歌の中に出てくるいろいろな人に自分がなったような気持ちになって


うれしくなったり、哀しくなったり、人を恋しく想ったり

懐かしいあの人を思い出したり、好きな人に手紙を書きたくなったり

別れてしまった人やもう会えない人を想って泣いてしまったり

旅立つ前の恋人になってしまったり

ほんとうに愛する人に出会ったような気持ちになったり・・・


生きている場所も時間も、自分というものさえ、ひとつではない

不思議な広がりを持ったもののような感覚というのでしょうか・・・


「これ」という確かなものとはいい難いけれど
きっとそこに生きていることを感じられるようなものでしょうか・・・


私には、言葉にできなくて
皆さまには、きっとまだお伝えできていないと想います。


でも、目にも見えず、手にも触れることのできない大切なことを
思い出すことができたように想います。


皆さまにも、そんな『不思議な窓』のような歌や人に出会う時が

いつの日か、訪れるのかもしれません・・・


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2 コメント

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だれもが主人公になれる・・・ (風待人)
2006-05-24 06:49:22
道草 さま



ほんとうに可愛らしい、思い出のひとコマですね・・・



それがどんなささやかなものであれ



ひとそれぞれに、自分の人生の主人公なんですよね。



心に響く詩や歌や映画に出会って



そのことに、ふと気づくものなのかもしれません・・・
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初恋は遠く。 (道草)
2006-05-24 05:51:56
今から思えば、あれが「恋」と呼べるものであったのか。それすら定かでない、遠いものとなってしまいました。私が初めて女の子を好きになったのは、転校した田舎の小学校の2年生。戦争が終わってもそのまま村に居着いて、昭和20年が明けました。山の小学校の同級生は28名。霜柱の立つ赤土の運動場で「つかまえ」(オニごっこ)をしている時、ペアになって手をつないだFちゃん。小さくて大人しくて、私が手を引っ張り回しまして一緒に逃げました。

そんなものは、「恋」などと呼ぶ程のものでないでしょう。ただ、あれからちょっぴり好きになって、彼女の横にいるだけで胸が騒いだものです。その頃に流行した歌は、「ひばりの花売り娘」「私は街の子」でした。この歌はどちらも、今でも3番まで唄えます。音痴ですが・・・。

それぞれの時期にあったさまざまな恋心。恋などと呼べるかどうかさえ分からずに、消えてしまった微かな想い。叶わずに終わったからこそ、人それぞれにとって、どの想いも重いのかもしれません。



「初 恋」    吉原幸子



ふたりきりの教室に 遠いチンドン屋

黒板によりかかって 窓をみてゐた



女の子と もうひとりの女の子

おなじ夢への さびしい共犯



ひとりはいま ちがふ夢の 窓をみてゐる

ひとりは もうひとりのうしろ姿をみてゐる



ほほゑみだけは ゆるせなかった

おとなになるなんて つまらないこと



ひとりが いたずらっ子に キスを盗まれた

いたずらっ子は そっぽをむいてわらった



いたずらっ子は それから いぢめっ子になった

けふは歯をむいて「キミ ヤセタナ」といった



それでひとりは 黒板に書く

オコラナイノデスカ ナクダケデスカ



ひとりはだまって ほほゑみながら

二つの「カ」の字を 消してみせた



うすい昼にチンドン屋のへたくそラツパ

急に高まる

    





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