先日皆さまに、思い切って「レポートに取り掛かります~!!」って宣言したところで…
まだ、途中下車しておりました。
結局、その周辺を何かがグルグルと渦巻きながら
少しずつ、流れがゆっくりになってきて、静かになりながら
まだ見えない中で、その中心に何かがギューッと集まってきているような…
そんな気がしてきました。
日常のひとつひとつの出来事は、独立しているように見えても
結局、その中心にいるのは紛れもない「私」であって、
その周りでいろいろなことがつながっているんだなぁということを、ふと感じました。
直接には、レポートに関係していないように見えても
案外、そのもの・ことが、いろいろなところで何らかのかかわりを持っているということも
漠然とですけれど、見えてくるときがあるようです。
さて今日は、通級の校外学習で「横浜こども科学館」へkirikouたちが出かけました。
9時20分に横浜駅に集合なので、前日もいつもより気合を入れて、早めに休みました。
朝も、7時に目覚ましで起きて、前もって家を出る時間をkirikouに伝えておいたので
それを目指して、まずまずの余裕を持って、支度もできました。
往きの電車も思ったより混んでいなかったので、とても落ち着いていられました。
おかげさまで、集合時間より10分も早く到着して、先生方からも
「とても早かったね!2007年のkirikouクンは、違うね~。
遅刻しないで、すごかったね~!」と、口々にほめていただきました。
それに対してkirikouの言うことときたら
「このあいだ通級に行ったときも、おんなじことを言われたよ~」ですって。
ほめられることの効果も、モチロンあるのでしょうけれど
ほんとうに面白い反応をするものですね…
先生4人と、ほとんどが3・4年生の18人で、元気に出発して行きました。
そのあと、前もって「時間のある方は、お茶をしながらおしゃべりしましょう!」
と声をかけていましたので、場所を移動して、みんなでワイワイとお話をしました。
いくつかの指導グループが合同なので、
普段お顔をあわせることのない方とも、子どものことなどいろいろな悩みを出し合って
お話するだけでも、気持ちがスッキリとするもののようですね。
来年度の役員選出のお話も、少しずつ進めることができました。
私は、お昼前に失礼して、借りていた本の継続と返却に、大学まで行きました。
その中に、読書運動プロジェクト「宮沢賢治を読む」の読書会がきっかけになって
いま読んでいる、福島章著「宮沢賢治こころの軌跡」という本があります。
本の裏表紙の言葉を引用いたしますと
「パトグラフィ(病跡学)とは天才の生涯と創造の過程を
精神病理学的に解明する学問領域をいう。
著者は、精神科医としての知識を基に、
伝記的事実の綿密な検討と作品との語り合いによって、
短い生涯に多彩な変容を遂げた天才賢治の精神力動、
そのかげとひかりの生命的存在を追体験しようと試みる。
逝ける妹とし子との、「ふたりの世界」、「銀河鉄道」の始点と終着駅の追究は、
従来の宮沢賢治論に新たな視座を加えたものといえよう。(引用ここまで)
以前、シモーヌ・ヴェイユについての、同じような趣旨の本を借りて読みましたが
私にはまだ、自分を重ね合わせられるところを、あまり見つけられなくて
途中で、あきらめてしまいました。
けれど、この本は、宮沢賢治の作品に、わずかながら馴染みがあったことと
どこかで、私自身の中にささやかながら、思い当たるものを感じてしまうような気がして…
とても興味深くって、少しずつ読みすすめているところです。
自分でも、驚くほど、宮沢賢治のたどった軌跡について
(すべてをつかみきれないにしても)
とても冷静に、身近に観ているような気持ちが沸いてきて
そのとき、たくさんの文章・詩の創作をしないではいられなかった
賢治の心情が、私の中にも、広がってくるように感じられました。
さらには、ものを書くという行為や何かを作り出すということを
もうすこし、よく観てみたり、感じたり考えてみなさい…ということを
私に伝えているような気がしました。
さて、先ほど放送されたNHKの「プロフェッショナル」に、
漫画家の浦沢直樹さんがご出演なさっていました。
浦沢さんが、おっしゃっていらした大切な言葉というのが
ボブディランの歌の歌詞『心のままに行け 最後はすべてうまくいく』という言葉です。
その、黒い画面に白い字で浮き上がった言葉が、
なぜでしょうか、私のこころの中に沁み込むようにして入ってきて
「少しずつ少しずつ…そして、あともう少しだよ!!」
「自分の思いや感覚に従って、すすんで行くこと…」
「きっと、自分の選んだことが、自分自身の道になるんだよ!!」
と、ささやくように、私の背中を押してくれているように、思えてなりませんでした…
まだ、途中下車しておりました。
結局、その周辺を何かがグルグルと渦巻きながら
少しずつ、流れがゆっくりになってきて、静かになりながら
まだ見えない中で、その中心に何かがギューッと集まってきているような…
そんな気がしてきました。
日常のひとつひとつの出来事は、独立しているように見えても
結局、その中心にいるのは紛れもない「私」であって、
その周りでいろいろなことがつながっているんだなぁということを、ふと感じました。
直接には、レポートに関係していないように見えても
案外、そのもの・ことが、いろいろなところで何らかのかかわりを持っているということも
漠然とですけれど、見えてくるときがあるようです。
さて今日は、通級の校外学習で「横浜こども科学館」へkirikouたちが出かけました。
9時20分に横浜駅に集合なので、前日もいつもより気合を入れて、早めに休みました。
朝も、7時に目覚ましで起きて、前もって家を出る時間をkirikouに伝えておいたので
それを目指して、まずまずの余裕を持って、支度もできました。
往きの電車も思ったより混んでいなかったので、とても落ち着いていられました。
おかげさまで、集合時間より10分も早く到着して、先生方からも
「とても早かったね!2007年のkirikouクンは、違うね~。
遅刻しないで、すごかったね~!」と、口々にほめていただきました。
それに対してkirikouの言うことときたら
「このあいだ通級に行ったときも、おんなじことを言われたよ~」ですって。
ほめられることの効果も、モチロンあるのでしょうけれど
ほんとうに面白い反応をするものですね…
先生4人と、ほとんどが3・4年生の18人で、元気に出発して行きました。
そのあと、前もって「時間のある方は、お茶をしながらおしゃべりしましょう!」
と声をかけていましたので、場所を移動して、みんなでワイワイとお話をしました。
いくつかの指導グループが合同なので、
普段お顔をあわせることのない方とも、子どものことなどいろいろな悩みを出し合って
お話するだけでも、気持ちがスッキリとするもののようですね。
来年度の役員選出のお話も、少しずつ進めることができました。
私は、お昼前に失礼して、借りていた本の継続と返却に、大学まで行きました。
その中に、読書運動プロジェクト「宮沢賢治を読む」の読書会がきっかけになって
いま読んでいる、福島章著「宮沢賢治こころの軌跡」という本があります。
本の裏表紙の言葉を引用いたしますと
「パトグラフィ(病跡学)とは天才の生涯と創造の過程を
精神病理学的に解明する学問領域をいう。
著者は、精神科医としての知識を基に、
伝記的事実の綿密な検討と作品との語り合いによって、
短い生涯に多彩な変容を遂げた天才賢治の精神力動、
そのかげとひかりの生命的存在を追体験しようと試みる。
逝ける妹とし子との、「ふたりの世界」、「銀河鉄道」の始点と終着駅の追究は、
従来の宮沢賢治論に新たな視座を加えたものといえよう。(引用ここまで)
以前、シモーヌ・ヴェイユについての、同じような趣旨の本を借りて読みましたが
私にはまだ、自分を重ね合わせられるところを、あまり見つけられなくて
途中で、あきらめてしまいました。
けれど、この本は、宮沢賢治の作品に、わずかながら馴染みがあったことと
どこかで、私自身の中にささやかながら、思い当たるものを感じてしまうような気がして…
とても興味深くって、少しずつ読みすすめているところです。
自分でも、驚くほど、宮沢賢治のたどった軌跡について
(すべてをつかみきれないにしても)
とても冷静に、身近に観ているような気持ちが沸いてきて
そのとき、たくさんの文章・詩の創作をしないではいられなかった
賢治の心情が、私の中にも、広がってくるように感じられました。
さらには、ものを書くという行為や何かを作り出すということを
もうすこし、よく観てみたり、感じたり考えてみなさい…ということを
私に伝えているような気がしました。
さて、先ほど放送されたNHKの「プロフェッショナル」に、
漫画家の浦沢直樹さんがご出演なさっていました。
浦沢さんが、おっしゃっていらした大切な言葉というのが
ボブディランの歌の歌詞『心のままに行け 最後はすべてうまくいく』という言葉です。
その、黒い画面に白い字で浮き上がった言葉が、
なぜでしょうか、私のこころの中に沁み込むようにして入ってきて
「少しずつ少しずつ…そして、あともう少しだよ!!」
「自分の思いや感覚に従って、すすんで行くこと…」
「きっと、自分の選んだことが、自分自身の道になるんだよ!!」
と、ささやくように、私の背中を押してくれているように、思えてなりませんでした…
それはディランを当時聞いた浦沢の感覚であって、あなたが感じているのは錯覚ですよ。自分の心で感じる事が出来ない事柄を他人の感覚で共有した気になるのは…どぅなんでしょ?
コメントありがとうございます!!
何か、トンチンカンなことを書いているようでしたらスミマセン!!
おっしゃっていただいて、とても考えさせられました。
確かに錯覚かもしれませんね…
正確に言うとすると
浦沢さんが感じたとおっしゃった言葉に対して
私の「心が反応したor感じたということ」ということでしょうか?
(表現があいまいだったり、不正確でしたら、訂正させていただきます・・・)
「どぅなんでしょ?」って聞かれると・・・
そう感じたように思っているだけかもしれません・・・
ところで、少し教えていただきたいのですが
「自分の心で感じる事が出来ない事柄」とは
どういうことをさしているのかが、私の想像力の故でしょうか
イメージできていないので・・・
その場で実際に聞いたことという意味でしょうか?
もし、よろしければ、そのあたりをお話いただけるとうれしいです!!
>自分の心で感じる事が出来ない事柄を他人の感覚で共有した気になるのは…どぅなんでしょ?
とご指摘いただいたことは
私などに、はっきりとわかるような事柄ではないかも知れませんけれど
「自分の感覚」によるところのものと
「他人の感覚」によるところのものを
いかにして共有できるのか?共有できないのか?
共有できるとすれば、どういう風にするのか?
ということを、いつか私が生きている間に、素人にもわかりやすく
教えていただきたいなぁと想っています!!
どうぞよろしくお願いいたします!!
少し訂正してみましたが・・・いかがでしょうか?
「思っていることを、言葉にすること」
「それを、他の方に伝えること」は、ほんとうに
今まさに、そのことがわたしの課題だと思います。
それから、自分と他の方との間にある境目みたいなものや
「距離のとり方」というものが、改めて考えるとまだよくわからなくって・・・
もっと「自分というもの」がしっかりすればうまくできるのか・・・?
その「間にあるもの」が何であるか、どんなものか良くわかっていないのか?
ただ、こんな自分でも、今できることをやりながら想うことを目指して
「心のままに行けたらいいなぁ・・・」と感じています・・・
浦沢直樹の回を観てて、僕も同じ箇所(~最後は全てうまくいく)で、背中を押された様な、救われたような気がしました。
いま、自身が取り組んでいることで壁にぶつかり、必死でもがいている人なんかは、あのタイミングで、同じようなことをかんじていたのではないでしょうか?
簡単ではないですが、「心のままに」行けるよう、がんばりましょう。
はじめまして!コメントいただき、ありがとうございます。
>あのタイミングで、同じようなことをかんじていたのではないでしょうか?
というお言葉に、どこかしらホッと気持ちが楽になりました。
ひとそれぞれ、感じ方も感じるもの・こともちがって当たり前とはいえ
もしかしたら、同じところで「心が動く」・・・ことはあるように
思うことがあります。
お寄り下さったこと、また励ましの声をかけてくださって
とてもうれしく思いました!
「自分らしく・・・心のままに・・・」ですね!!