11月に入ったと思ったら…急に空気が冷たくなったように感じます…
ハッキリしない空模様のもと、学校に向かう坂道の桜の葉っぱが
ところどころ黄色く色づいて…
さらに、紅くなったものが足元にたくさん落ちていました。
kirikouの小学校で、毎年11月半ばに開かれる「歌のつどい」のための
4年生合同の音楽の授業が4時間目にありました。
「学校を開く週間」の最終日でしたので
3時間目の算数の授業の途中から見学してきました。
今週のkirikouは、好きなことに意識と時間をとられて
宿題が、ほとんどはかどらない状態が続いていました。
朝も、遅刻スレスレで…何とか登校していますが、自律的な動きには程遠く…
私にアレコレ言われるのは、イヤがって
「静かにしてよ~!」「わかっているよ~!」と言ってくるので
私もほうが、たまりかねて別室に行っていると…
急に態度を変えて「お母さん、そばで見ていて~!」と言ってくる始末です。
冷静に考えると、こんなやりとりも本人の「自立の意識の芽生え」の中で
「気持と行動とが一致せずに揺れ動いている」のかしら~?とアタマでは理解できるのですが…
コチラも、ついつい「全うに受けとってしまう…生真面目なタチ」なので
ストレス目盛りが急上昇して、自分で心臓がバクバクしてくるのも分かるし
アタマがキリキリと締め付けられるような…
緊張状態に見舞われて、どうも心の状態も体調もあまり良くありませんでした。
そんな私の状況に、合わせたかのように
火曜日のプロフェッショナルは、私にとっては
とても示唆に富む、タイムリーなゲストの方でした!!
お友だちにもメールでお知らせして、皆さまもご覧いただいたかと思います。
ひと言で「自閉症支援」といっても、
たくさんの方々がほんとうに様々なカタチで様々なところで関わってくださっていると思います。
その中で、おそらく一番の初めのスタートラインに立つ上で
「目の前のその子を、曇りのない目で見ていくこと、
そしてそのままを受け入れること」がいかに大切か
そして、いざとなるとそれがどれだけタイヘンなことなのか…
そして「成長を見守り、待つこと」を、改めて心に刻む機会になりました。
次の日は、横浜障害児を守る連絡協議会・障害者支援センター共催研修会で
ニキ・リンコさんのお話を伺ってきました!
成人の当事者として、また翻訳家として本を出版していらっしゃって
その出版社社長の浅見淳子さんとの対談形式のお話は…
(午前中は、保護者の参加が多かったこともありますが)
笑いも交えた「それって、あるある!」「なるほど、そういう見方もあるんだなぁ~!」という
とても、興味深い内容が満載でした。
わたしも、友人から借りて『自閉っ子、こういう風にできてます!』だったかを…読みましたが
もうおひとり、当事者として本に登場する藤家寛子 さんのお話でも
その持っている特徴は、一人ひとり本当に様々であることが分かります。
特に、身体感覚の違いのもたらす「生きづらさ、過ごしにくさ」も、つよく感じますし
「思考の経路」や見ている「世界の切り取り方の違い」「コトバの使い方」など
いろいろな違いを、「分かりやすく具体的に…」独特な表現でお話してくださいました。
プロフェッショナルの中で、茂木先生がコメントしていらしたように
その違いを「人のもつ多様性」として捉えることで、違っていることを認め合い
その人間としての関わり方や人間的な幅として
人間の営みの中での深さや広がりに結びつけてゆくことができれば…
知らないことや分からない…ということから生じる「不安や畏れのようなもの」も
少しずつでも、払拭していけるような気がしました。
さて、講演の中でご紹介のあったニキさんが翻訳なさった
クリスティン・デンテマロ&レイチェル・クランツ著
『キレないための上手な「怒り方」』に、
サイン代わりのスタンプを押していただいて、一冊購入しました。
アメリカのスクールカウンセラーの方の書かれた本だそうで
そのまんまの方法が、スグに役立つかどうかは分かりませんが
「感情」と言うものの姿を映し出して、その正体を見つめ…
「怒り」という感情に対して、ただ闇雲に押さえつけようとするのではなく
何らかの前向きな…
できれば、なるべく人に迷惑をかけないカタチでの手立てを講じたい…
と、私自身がつくづく思っているところだったので
きっと、この本から何らかの示唆が得られるのではないかと期待しています。
(なにやら、ことば遣いがまどろっこしくって
理屈っぽくて、なんのことやらわかりにくいかもしれませんね…)
その後で…ほんとうに、なんとなくですが…言語に関連した部位に…疲れを感じてしまい
まったく、違ったアタマのモードにしたくなって…
(例えてみると、ねじを逆に回すような…感覚でしょうか~?)
思いつくままに…横浜美術館まで足を伸ばして
どこか、かすかに残っていた記憶を頼りに
「シュルレアリスムと美術 イメージとリアリティをめぐって」を思い出して…
(ほとんどの絵は…サッと眺めただけで)
ポスターにもなっていたルネ・マグリットの「大家族」という有名な絵を観てきました。
「何で、そんなタイトルなのかしら~?」などと意味のないことを考えながら…
その絵の前のソファに座って、時おり目をつぶったりして
ボヤ~~っとして、しばしの時間を過ごしました。
なにやら変てこな表現で申し訳ありませんが…
どうも、「このところ…容量オーバー気味で、脳みそが疲れていたらしく…」
美術館を出てから、ヨコハマのみなとみらい地区の街路樹と
そろそろ傾きかけたお日さまの光と青空とを眺めていると…
息苦しいような窮屈な感じが、それでもほんの少しずつ…
ほぐれていくような気がしました。
そして…また、いつものアレコレがあって…
目に見えるものと…見えないもの・ことが繰り返されていく日常の中で
少しずつ少しずつ…何かが変わっていくこともあるような…
そんな気配が、感じられたのかもしれません。
ハッキリしない空模様のもと、学校に向かう坂道の桜の葉っぱが
ところどころ黄色く色づいて…
さらに、紅くなったものが足元にたくさん落ちていました。
kirikouの小学校で、毎年11月半ばに開かれる「歌のつどい」のための
4年生合同の音楽の授業が4時間目にありました。
「学校を開く週間」の最終日でしたので
3時間目の算数の授業の途中から見学してきました。
今週のkirikouは、好きなことに意識と時間をとられて
宿題が、ほとんどはかどらない状態が続いていました。
朝も、遅刻スレスレで…何とか登校していますが、自律的な動きには程遠く…
私にアレコレ言われるのは、イヤがって
「静かにしてよ~!」「わかっているよ~!」と言ってくるので
私もほうが、たまりかねて別室に行っていると…
急に態度を変えて「お母さん、そばで見ていて~!」と言ってくる始末です。
冷静に考えると、こんなやりとりも本人の「自立の意識の芽生え」の中で
「気持と行動とが一致せずに揺れ動いている」のかしら~?とアタマでは理解できるのですが…
コチラも、ついつい「全うに受けとってしまう…生真面目なタチ」なので
ストレス目盛りが急上昇して、自分で心臓がバクバクしてくるのも分かるし
アタマがキリキリと締め付けられるような…
緊張状態に見舞われて、どうも心の状態も体調もあまり良くありませんでした。
そんな私の状況に、合わせたかのように
火曜日のプロフェッショナルは、私にとっては
とても示唆に富む、タイムリーなゲストの方でした!!
お友だちにもメールでお知らせして、皆さまもご覧いただいたかと思います。
ひと言で「自閉症支援」といっても、
たくさんの方々がほんとうに様々なカタチで様々なところで関わってくださっていると思います。
その中で、おそらく一番の初めのスタートラインに立つ上で
「目の前のその子を、曇りのない目で見ていくこと、
そしてそのままを受け入れること」がいかに大切か
そして、いざとなるとそれがどれだけタイヘンなことなのか…
そして「成長を見守り、待つこと」を、改めて心に刻む機会になりました。
次の日は、横浜障害児を守る連絡協議会・障害者支援センター共催研修会で
ニキ・リンコさんのお話を伺ってきました!
成人の当事者として、また翻訳家として本を出版していらっしゃって
その出版社社長の浅見淳子さんとの対談形式のお話は…
(午前中は、保護者の参加が多かったこともありますが)
笑いも交えた「それって、あるある!」「なるほど、そういう見方もあるんだなぁ~!」という
とても、興味深い内容が満載でした。
わたしも、友人から借りて『自閉っ子、こういう風にできてます!』だったかを…読みましたが
もうおひとり、当事者として本に登場する藤家寛子 さんのお話でも
その持っている特徴は、一人ひとり本当に様々であることが分かります。
特に、身体感覚の違いのもたらす「生きづらさ、過ごしにくさ」も、つよく感じますし
「思考の経路」や見ている「世界の切り取り方の違い」「コトバの使い方」など
いろいろな違いを、「分かりやすく具体的に…」独特な表現でお話してくださいました。
プロフェッショナルの中で、茂木先生がコメントしていらしたように
その違いを「人のもつ多様性」として捉えることで、違っていることを認め合い
その人間としての関わり方や人間的な幅として
人間の営みの中での深さや広がりに結びつけてゆくことができれば…
知らないことや分からない…ということから生じる「不安や畏れのようなもの」も
少しずつでも、払拭していけるような気がしました。
さて、講演の中でご紹介のあったニキさんが翻訳なさった
クリスティン・デンテマロ&レイチェル・クランツ著
『キレないための上手な「怒り方」』に、
サイン代わりのスタンプを押していただいて、一冊購入しました。
アメリカのスクールカウンセラーの方の書かれた本だそうで
そのまんまの方法が、スグに役立つかどうかは分かりませんが
「感情」と言うものの姿を映し出して、その正体を見つめ…
「怒り」という感情に対して、ただ闇雲に押さえつけようとするのではなく
何らかの前向きな…
できれば、なるべく人に迷惑をかけないカタチでの手立てを講じたい…
と、私自身がつくづく思っているところだったので
きっと、この本から何らかの示唆が得られるのではないかと期待しています。
(なにやら、ことば遣いがまどろっこしくって
理屈っぽくて、なんのことやらわかりにくいかもしれませんね…)
その後で…ほんとうに、なんとなくですが…言語に関連した部位に…疲れを感じてしまい
まったく、違ったアタマのモードにしたくなって…
(例えてみると、ねじを逆に回すような…感覚でしょうか~?)
思いつくままに…横浜美術館まで足を伸ばして
どこか、かすかに残っていた記憶を頼りに
「シュルレアリスムと美術 イメージとリアリティをめぐって」を思い出して…
(ほとんどの絵は…サッと眺めただけで)
ポスターにもなっていたルネ・マグリットの「大家族」という有名な絵を観てきました。
「何で、そんなタイトルなのかしら~?」などと意味のないことを考えながら…
その絵の前のソファに座って、時おり目をつぶったりして
ボヤ~~っとして、しばしの時間を過ごしました。
なにやら変てこな表現で申し訳ありませんが…
どうも、「このところ…容量オーバー気味で、脳みそが疲れていたらしく…」
美術館を出てから、ヨコハマのみなとみらい地区の街路樹と
そろそろ傾きかけたお日さまの光と青空とを眺めていると…
息苦しいような窮屈な感じが、それでもほんの少しずつ…
ほぐれていくような気がしました。
そして…また、いつものアレコレがあって…
目に見えるものと…見えないもの・ことが繰り返されていく日常の中で
少しずつ少しずつ…何かが変わっていくこともあるような…
そんな気配が、感じられたのかもしれません。
だから見通しのもてる環境って大切なのでしょうね。
ホントウですね~!!
「見通しの持てること」の大切さ・・・
そのために・・・ナントカしようと、バタバタとアチコチに出かけて
いろんな方々のお話を聞いている・・・のかもしれません。
私の場合・・・基本的なところで「心配性」で不安な気持が根強くあって
自分なりの納得が得られるまでに、
「相当の時間と労力」がいるのかもしれませんね~!
養老先生が「世界を変えるより自分のほうを変えたら」
結局、世の中の見え方(?)がガラッと変化する・・・
というようなお話を、NHKの朝の番組でなさっていました。
それは、確かに言ってみればそうなんですけれど・・・
その「思いっきり」ができるかどうか・・・
「気づいてみれば・・・そんな簡単なこと」ですけれど
それを実際に「すること」を妨げているものは・・・なんなのでしょうね~?