このところの、子どもたちをめぐるいろいろな出来事や
ニュースなどの報道を見聞きするにつけて、
いろいろと思うこと・考えること、さらにはアレコレと想うことなどが様々ありました。
そんなとき、何か言葉として発信していないのは、
それについて「思うこと考えていることが、ないわけではないんだ」
ということを自ら実感しつつ、私自身の中にある「言葉にしたい何か」を
長い時間かかって自分の中であたためていたような気がします。
それは同じように、そこにあるけれど言葉としては、なかなか見えてこない
「子どもからの発信」さらに言うとすれば「子どもたちからのSOS」について
ということになるのかもしれません。
さて、これから私がお話したいと思うこと自体が
とても複雑で、それぞれに関連することがいろいろと絡み合っていて
簡単には、見通せないこともよく承知しておりますので
まずは、なるべくポイントを絞って、少しずつ私自身も整理をしながら
最終的な、答えや方策などにたどり着くことを、あえて目的とせずに
(それ自体、おそらく私には到底できそうにもない気がするので)
できれば、皆様にもわかっていただける言葉を探していきたいと考えております。
まず、私が言葉にしようと思った最初のきっかけになったのは
いじめが原因となって自殺をしたとされるお子さんのことです。
その後、ニュースやTVを通じて様々な報道もなされ、政府の(と言うのでしょうか)
教育再生委員会や教育基本法をめぐる予算委員会などでも
たくさんの議論がなされたようです。
そのすべてに眼を通すことなどできませんので、
最低限のTVや新聞の報道などに対する私なりのささやかな感想が、
あくまでもその出発点です。
そんな中で、11月半ばすぎに文部科学大臣 伊吹文明さんのお名前で
「未来のある君たちへ」と
また、つい先日、横浜市教育長 押尾賢一さんのお名前で
「~一人で悩まないで、一人で頑張りすぎないで~」という
児童・生徒向けのメッセージと
保護者や先生地域の皆さまなど大人へあてたお願いとメッセージが配られました。
それぞれのもつ意義はとても大きく、大変に重要で大切なことです。
その個々について、何かを申し上げるというのではありません。
それらを通して、何にもまして一番つよく感じたことは
その、すべてのことの中心にいるはずの当事者つまりは、子どもたちの
実際の姿や子どもたち自身の感じたり考えている事や
さらには、子どもたちの置かれている状況や実態が、
その中にきちんと映し出されているのか?
はっきりと把握された上で話し合われているのか?
という素朴な疑問です。
それはそうであってほしいし、本来そうあって然るべきでしょう。
という中で、今子どもたちがどんな状況にあるのか?
それについて、どのように考えていくのか?
そして、いま何かできることはあるのか?
ということを、あくまで私自身の視点から、自分なりに考えていこうと思いました。
これらを、考えたり知るための材料としては
目の前のkirikouたちの過ごしている様子と
私自身が実際に見聞きしたものだけでは、おそらく不十分ですので
いくつかの本から得たものやTV番組で語られたこと
そして、先日お話を伺ってきた明橋大二先生が、私の質問にお答え下さった内容を、
もとにしていくつもりです。
とりあえず、参考にしようと考えている資料を、挙げておきます。
明橋大二著「輝ける子 100メートルを10秒で走れといわれてもさ、
いっくら努力しても走れない奴っているじゃん」
明橋大二著「思春期にがんばってる子
お母さんもお父さんも、お前のことが大好きだよ。
たとえ学校へ行けなくても、おまえは、とってもいい奴だよ。」
小柳 晴生著「ひきこもる小さな哲学者たちへ」
小柳 晴生著「大人が立ちどまらなければ」
大村はま/刈谷剛彦・夏子著「教えることの復権」
遠山啓著「競争原理を超えて ひとりひとりを生かす教育」
NHK ETV特集12月9日「 スクールカウンセラーが見る子どもたちの心」
NHK ETVワイド12月10日ともに生きる「とまらない自殺 私たちにできること」
言葉ひとつとっても、その意味するところは、ひとつとは限らず
その言葉からお感じになることは、皆さまそれぞれだと思います。
他にも、いろいろなご意見をお持ちの方もいらっしゃる思いますので
その上で、よろしければ、子どもたちのことを、そして私たち大人のことを
ご一緒に、お考えいただけるとうれしく思います。
おそらく、すぐに答えの見つかるような問題ではなく
また、大きすぎて難しすぎて、私の手には、負えないこととは思いますが
それでも、ひとりの子どもの親として、少なくともひとりの大人として
何もせずにあきらめてしまうわけには、どうしてもいかないと思います。
どんなに持間がかかっても、それがどんなに大変なことでも
どんなに、ささやかなことしかできなくても
何かをせずには、いられない気持ちでいっぱいです。
続きは、少しずつしか書けないかもしれません。
できましたら、皆さまにも心のどこか片隅にでも置いていただいて
時おり、思い出して考えてみていただけたら、ほんとうにありがたいと存じます。
今年も、残すところあと9日となりました。
結局のところ私自身は、宿題や身の回りの片付けなど、
山積みのまま、年を越すことになりそうです。
けれど、来年も、何かやることや課題があるということは
ウラを返せば、生きていくための目標があるということで
まだまだ、元気でしっかりやりなさいといわれているような気もいたします。
今年一年、いろいろなことがありましたけれど
ブログをはじめられたおかげで、皆さまとも出会えて
私にとって、ほんとうに良い年になりました。
来年も、どうぞよろしくお願いいたします。
みなさまも、向寒の折、お身体にお気をつけて
こころ安らかな、良いお年をお迎えください。
風待人より
追伸 そして、すべての生きとし生けるものたちも 同様に…
ニュースなどの報道を見聞きするにつけて、
いろいろと思うこと・考えること、さらにはアレコレと想うことなどが様々ありました。
そんなとき、何か言葉として発信していないのは、
それについて「思うこと考えていることが、ないわけではないんだ」
ということを自ら実感しつつ、私自身の中にある「言葉にしたい何か」を
長い時間かかって自分の中であたためていたような気がします。
それは同じように、そこにあるけれど言葉としては、なかなか見えてこない
「子どもからの発信」さらに言うとすれば「子どもたちからのSOS」について
ということになるのかもしれません。
さて、これから私がお話したいと思うこと自体が
とても複雑で、それぞれに関連することがいろいろと絡み合っていて
簡単には、見通せないこともよく承知しておりますので
まずは、なるべくポイントを絞って、少しずつ私自身も整理をしながら
最終的な、答えや方策などにたどり着くことを、あえて目的とせずに
(それ自体、おそらく私には到底できそうにもない気がするので)
できれば、皆様にもわかっていただける言葉を探していきたいと考えております。
まず、私が言葉にしようと思った最初のきっかけになったのは
いじめが原因となって自殺をしたとされるお子さんのことです。
その後、ニュースやTVを通じて様々な報道もなされ、政府の(と言うのでしょうか)
教育再生委員会や教育基本法をめぐる予算委員会などでも
たくさんの議論がなされたようです。
そのすべてに眼を通すことなどできませんので、
最低限のTVや新聞の報道などに対する私なりのささやかな感想が、
あくまでもその出発点です。
そんな中で、11月半ばすぎに文部科学大臣 伊吹文明さんのお名前で
「未来のある君たちへ」と
また、つい先日、横浜市教育長 押尾賢一さんのお名前で
「~一人で悩まないで、一人で頑張りすぎないで~」という
児童・生徒向けのメッセージと
保護者や先生地域の皆さまなど大人へあてたお願いとメッセージが配られました。
それぞれのもつ意義はとても大きく、大変に重要で大切なことです。
その個々について、何かを申し上げるというのではありません。
それらを通して、何にもまして一番つよく感じたことは
その、すべてのことの中心にいるはずの当事者つまりは、子どもたちの
実際の姿や子どもたち自身の感じたり考えている事や
さらには、子どもたちの置かれている状況や実態が、
その中にきちんと映し出されているのか?
はっきりと把握された上で話し合われているのか?
という素朴な疑問です。
それはそうであってほしいし、本来そうあって然るべきでしょう。
という中で、今子どもたちがどんな状況にあるのか?
それについて、どのように考えていくのか?
そして、いま何かできることはあるのか?
ということを、あくまで私自身の視点から、自分なりに考えていこうと思いました。
これらを、考えたり知るための材料としては
目の前のkirikouたちの過ごしている様子と
私自身が実際に見聞きしたものだけでは、おそらく不十分ですので
いくつかの本から得たものやTV番組で語られたこと
そして、先日お話を伺ってきた明橋大二先生が、私の質問にお答え下さった内容を、
もとにしていくつもりです。
とりあえず、参考にしようと考えている資料を、挙げておきます。
明橋大二著「輝ける子 100メートルを10秒で走れといわれてもさ、
いっくら努力しても走れない奴っているじゃん」
明橋大二著「思春期にがんばってる子
お母さんもお父さんも、お前のことが大好きだよ。
たとえ学校へ行けなくても、おまえは、とってもいい奴だよ。」
小柳 晴生著「ひきこもる小さな哲学者たちへ」
小柳 晴生著「大人が立ちどまらなければ」
大村はま/刈谷剛彦・夏子著「教えることの復権」
遠山啓著「競争原理を超えて ひとりひとりを生かす教育」
NHK ETV特集12月9日「 スクールカウンセラーが見る子どもたちの心」
NHK ETVワイド12月10日ともに生きる「とまらない自殺 私たちにできること」
言葉ひとつとっても、その意味するところは、ひとつとは限らず
その言葉からお感じになることは、皆さまそれぞれだと思います。
他にも、いろいろなご意見をお持ちの方もいらっしゃる思いますので
その上で、よろしければ、子どもたちのことを、そして私たち大人のことを
ご一緒に、お考えいただけるとうれしく思います。
おそらく、すぐに答えの見つかるような問題ではなく
また、大きすぎて難しすぎて、私の手には、負えないこととは思いますが
それでも、ひとりの子どもの親として、少なくともひとりの大人として
何もせずにあきらめてしまうわけには、どうしてもいかないと思います。
どんなに持間がかかっても、それがどんなに大変なことでも
どんなに、ささやかなことしかできなくても
何かをせずには、いられない気持ちでいっぱいです。
続きは、少しずつしか書けないかもしれません。
できましたら、皆さまにも心のどこか片隅にでも置いていただいて
時おり、思い出して考えてみていただけたら、ほんとうにありがたいと存じます。
今年も、残すところあと9日となりました。
結局のところ私自身は、宿題や身の回りの片付けなど、
山積みのまま、年を越すことになりそうです。
けれど、来年も、何かやることや課題があるということは
ウラを返せば、生きていくための目標があるということで
まだまだ、元気でしっかりやりなさいといわれているような気もいたします。
今年一年、いろいろなことがありましたけれど
ブログをはじめられたおかげで、皆さまとも出会えて
私にとって、ほんとうに良い年になりました。
来年も、どうぞよろしくお願いいたします。
みなさまも、向寒の折、お身体にお気をつけて
こころ安らかな、良いお年をお迎えください。
風待人より
追伸 そして、すべての生きとし生けるものたちも 同様に…
言葉だけで「きみは大切な宝もの」と言っても見透かされてしまいますしね。どんな状況に陥っても、親が身体をはって助けてくれると、頭のどこかに留めてもらうのが精一杯ですね、我が家の場合。
風待人さんもよいお年をお迎えくださいね^^
まさしく適切なコメンとをいただきまして、ありがとうございます。
RAMさまの短いお言葉のなかにも、私の思っていることの
エッセンスと同じものが感じられます。
ホントウにムズカシイことですよね・・・
けれど、眼の前にいる子どもを、しっかり見つめて
そこに、何かを見いだしていくしか
ほんとうに確かな方法はないような気がします。
私も、できているとはいえないまでも
そのことを、きちんと判っている方が、少しずつでもふえていくことを
こころから願っています。
今年一年、ありがとうございました!!良いお年をお迎えくださいね!
確かに報道など観ていると、
いじめ問題は深刻なのかもしれませんネ。
学校の問題は、社会の縮図でもあるわけで・・
個人、一人の主婦として
わが子が逞しく学校、そして社会と関わっていけるように
日常の生活の中では
いじめの事だけに、囚われてしまうよりも
むしろ活き活きしている時のサインを
見逃さないように、褒めて自信を持たせてあげるとか
そして、お父さんが家で寛げる場所で
笑いのあるご家庭を育むことが大切なのではないかと
感じている次第です。
風待人さまは、愛情あふれお優しい人柄ですから
きっと、ご家庭が安息の場であり
お子様も、楽しい学校生活を送っていらっしゃることと
存じます。
良い年をお迎え下さいね。
素敵なお話のプレゼントをいただいて、ホントウにうれしくなりました。
きっと≪緑の葉≫ さまが、お優しくって、あたたかなご家庭を
育んでいらっしゃるんでしょうね~!
そのことが、コメントの行間から、とても心地よく伝わってきました。
省みるに・・・、私もそうありたい・・・そうしようとは、想っておりますが
できているかどうかは、カナリ心もとないんです。
けれど 「それでも、そんな自分でもいいんだよ~」
「いろいろとできないことはあっても、自分にも何かやれることはあるし
そのなかでも、懸命にやっていくことが、自分らしさを生かすことかしら~?」
というように、気づいたおかげで前向きになれたし
できない自分も、それなりに好きになれたような・・・気がします。
私にとっては、そのささやかな気付きと方向転換が
意外に大きなターニングポイントだったような気がします。
とはいえ、日々のことは、家事の段取りやお片付けや時間の管理などなど
子どもと同様に、課題が山積しております。
そんなときの合言葉をひとつ見つけました。
宮里藍さんの言葉で「なんくるないさ~」です。
サボっているというわけではモチロンなくって、一応できるだけのことをした上で
あとは、「思い煩うことなかれ」・・・というつもりです。
≪緑の葉≫さまも、お元気でお過ごしくださいネ!
おはようございます。
本当に、いじめられつづけて深く傷つき、自らの命を絶ってしまったというニュースを、耳にするたび、胸がつぶれる思いです。
両親をえらんで産まれてきてくれたのに・・・。
迷いのなかにいて、最近思うことは子どもとの関わりかた・・・といったらおおげさですけど。
学校へ行かない息子にとにかく登校させようと焦っていたころの私の思いと、今の私の思い。
小学3年生から、中学がおわるまで学校へは行かなかったというお子さんをもつお母さんのお話を、偶然にブログ?でよませていただいたのですが。
フリースクールなどには行かず、ずっとお家ですごされたということでした。
ですから、学校のお勉強はしていないわけです。けれども中学にあがるぐらいの年齢になった時に興味のある本をむさぼるように読み出した・・・。
時が熟せば、子どもは自ら行動する、できる・・・?
体裁をつくろう私ではないのですが、それにしても息子にどれほどの信頼をよせていたんだろう・・・と思いました。
ちょっとの休憩時間を楽しんでいただろうか?・・・とも。
そんなんで、腰をすえて、ふ・と・う・こ・うになっている息子と向き合おう・・・なんていきごんだのですが。
ある時、息子に学校は100%いやなの?って聞いたら・・・。
半分は楽しいときもある・・・らしいのです。
結局、巡り巡ってふりだしにもどった感じ・・です。
風待人さま いろいろお話を聞かせてくださってありがとうございました。
来年もどうぞよろしく
母として、思い悩むことは、そうそうは、なくならないものと
どこかで覚悟してしまったほうが・・・かえっていいのかもしれませんね~
その上で、心配するにせよ、アレコレ迷うにせよ
すこしでも、感情などに巻き込まれないところに身を置けるような・・・
(感情の湧きおこること自体を、避けるのではなくて
その感情との付き合い方を、探す・・・みたいな感覚でしょうか?)
そんなことを、少しでも余裕を持って練習できるといいなぁ・・・
と、私自身は思いつつ毎日やっていこうと想っています。
ある意味、kirikouたちが通級でトレーニングしているのと
案外、おんなじことが私たちにも必要なのではないかしら?
と感じています。
「子どもからの発信」の続きは、すぐに書けないかもしれませんけれど
kirikouたちにとっては、「いじめ」「不登校」「ひきこもり」などの課題も
いわゆる「自己肯定感をいかに、育てるか?または育っていくのか?」
ということが、とりわけ大きな課題としてあると考えられるので
そのことは、おそらくすべての子どもたちそして大人にとっても
きっと、大きな意味を持ているように感じています。
言うは易し・・・ですけど「口に出して、自分に発破をかける」(って字でしたっけ?)
というのもひとつのやり方なので、できない約束にならないように・・・
このあたりが、私の来年の目標です!!
ものごと、そんなにすんなりはいかない・・・
だからこそ、やりがいがあるんだし・・・と言うくらいに発想を転換してみるのも
いかがでしょうか?
ただし、お子さんもホントウに疲れてしまっているようでしたら
ゆっくり休むことも大切だと思います。
ウチの場合は、いまのところ、遅刻したって休み休みになっても
「学校に行くことで、学ぶものがあるとしたら・・・」と思っていますし
私としては、できれば顔で笑って(こころで泣いたり怒ったりしながらも)
「学校へ行くことができる」子どもを、応援しつつほめてあげようと思っています。
母親というのも因果な生き物・・・かもしれませんけど・・・
肩の力を抜いて、一息ついて
もうひとつ深呼吸してから、またはじめましょうね~~
来年も、たっくさんおしゃべりしましょうね~!!