https://filmarks.com/movies/76344 Filmarks映画情報韓国より
『アイ・キャン・スピーク』 (아이 캔 스피크)
韓国、2017年製作。監督 キム・ヒョンソク。出演者 ナ・ムニ、イ・ジェフン、ヨム・ヘラン、パク・チョルミン……。
奉元市場で小さな洋裁店を営みながら、日々町の中にトラブルがないかを探しまわり、違法な道路標識や修理が必要な街灯など、20年間で8000件もの苦情を区役所に届けていた "妖怪ばあさん"ことオクプン(ナ・ムニ)。区役所に転勤してきた「原則的に」行動する公務員のミンジェ(イ・ジェフン)。
英語の習得に行き詰っていたオクプンは、ミンジェがネイティブ並みに英語を話すのを知って、教えてほしいと頼み込む。最初は冷たく断っていたミンジェだが、高校生の弟ヨンジェがオクプンに夕食を食べさせてもらって世話になっていることを知って、お礼として週3回教えることにする。ミンジェは弟と二人暮らしだ。英語を教えながら、また弟と一緒にオクプンの作るごはんをいただきながら、お互いに親しくなっていく。「なぜ英語を習っているのですか?」と訊く弟に、オクプンは「弟がいたの。小さい時に別れて今はアメリカにいる。韓国語も話せない。電話しても言葉が通じない。たくさん聞きたいのに。」と話す。オクプンは熱心に英語学習に取り組み、メキメキ上達する。
しかし、ミンジェが内緒でオクプンの弟チョンナムに電話をかけてみると、彼は「彼女とは話したくありません。二度と電話するなと伝えてください。そして何も覚えていないと。」と突っぱねた。当惑したミンジェはオクプンに英語を教えるのをやめる。
一方、奉元市場では市場再開発が強引に進められ、開発業者は区にも市場の店にも圧力をかけている。エリート役人ミンジェは、あえて区が市場再開発ストップの行政命令を出し、開発業者が不服訴訟に訴え、区が「敗訴」するシナリオを提案する。裁判によって再開発が正当化され、市も「やるべきことはやった」と認められる欺瞞のシナリオだ。区役所はその方向に仕事を進める。
ある日職員らの雑談からその「八百長」を知ったオクプンは、区役所に行きミンジェに怒りをぶつける。平手打ちをくらったミンジェも激して、オクプンの苦情行動が無駄だと罵るのと一緒に、オクプンの弟の言葉をぶちまけてしまう。弟に何度も電話をかけては英会話に自信がなくてすぐ切ってしまっていたオクプンは、打ちのめされる。偶然その場に居あわせた弟ヨンジェに「ハルモニが頑張っているのはなぜだと思う? 寂しいから。家族もなくて一人で暮らしてきた。ハルモニにあんなことを言っちゃいけない。」と言われて、ミンジェも反省し始める。
映画ではこのあたりから、オクプンが「従軍慰安婦」であったことが明らかにされる。オクプンの親友チョンシムが同じ日本軍慰安所の辛苦のなかで励ましあった女性であること、彼女が英語を勉強して「従軍慰安婦」のことをあちこちで証言してきたこと、彼女が身体の衰えとともに記憶が危うくなってきた様子が描かれる。オクプンは解放後「従軍慰安婦」であったことを隠し通してきたが、親友の求めに応じて米議会聴聞会での証言を引き受ける。そして、オクプンの「いつか私がかわりにやることになると予感していた。」という言葉で、オクプンが必死に英語を習得しようとしてきた本当の理由が私たちにもわかるのだ。
この事実を新聞報道で知って、ミンジェは衝撃を受ける。以前に市場再開発ストップの行政命令のことを聞きつけたオクプンが卑劣な追い出し行為の証拠品(写真など)をミンジェに託したが、偽の行政命令を準備するミンジェは不用品扱いし結果廃棄されていた。ミンジェはオクプンが提出した陳情書を改めて確認し、オクプンがどんな思いで市場の問題点を指摘していたかを知り、開発業者の市場店に対する不当な圧力に区職員として抗していく。彼女は周りの人たちを家族のように大切に思うからこそ黙っていられなかったのだと、私たちも気づく。
こんな場面もある。市場でかねてより親しくしていた女性ジュテク(ヨム・ヘラン)が、新聞報道以来オクプンと会っても避けるようになる。「暗い過去を持つ人とは付き合いたくないってこと?」とオクプンが迫ると、彼女は「悲しかったからよ。裏切られたような気分だった。長い付き合いなのに何も話してくれず、人の気持ちもわからない冷たい奴だと思ってたの?」と心中を明かす。ハグして二人は大泣きした。辛い場面だった。
オクプンの家に謝りに行ったミンジェに、彼女は「最後にもう一回助けてちょうだい。」と米議会聴聞会での英語スピーチへの協力を頼む。ミンジェは再びオクプンに英語指導をするとともに、オクプンの証言者資格を否定する動き(韓国政府が以前呼びかけた慰安婦被害者登録申請をしていなかったことを理由に)に対して、署名活動や区長への働きかけに奔走する。
この聴聞会とは、「日本政府に公式な謝罪を要求する米議会慰安婦謝罪決議案」採択のための聴聞会(2007年)をモチーフにしている。オランダ人女性ミッチェルの証言に続いて、オクプンは「アイ・キャン・スピーク」と言って登壇する。しかし「従軍慰安婦」への責任を否定する日本政府の言い分や証言者資格を取り上げて議案に異議を唱える委員たちもいる聴聞会の面々を前にして、オクプンはたじろぐ。その時会場へミンジェが飛んできて、オクプンに「ハウ・アー・ユウ?」と叫び、「従軍慰安婦」時代の彼女の写真を証拠として提出する。勇気を取り戻したオクプンの迫力あるスピーチは、日本の蛮行を暴露し謝罪を求めるメッセージとして、会場の人々に深く伝わった。入院中の親友も市場の仲間もテレビで観ることができた。
会場を出たオクプンに向かって、日本人(日系委員?)が「こんな茶番でいくらもらうんだ?」と悪態をつく。オクプンは決然と日本語で「汚いお金はいらないと伝えろ! すぐ認めて謝れ! この恥知らずめ!」と応酬した。
終了後、オクプンは控室で弟チョンナムに再会する。ミンジェが連絡を取って来てもらっていた。弟は韓国語で「ミヤネヨ(ごめん)」と言った。
その後ミンジェは証言者として各地に出向く。サンフランシスコ国際空港の職員がパスポートを点検しながら「あちこちいかれたんですね。」と言い、「英語できますか?」と訊く。オクプンの爽やかな返事「オフコース。」で物語が終わる。
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ストーリーだけで長文になってしまったが、この映画を観て受け取ったことを忘れないように書き留めておきたかったからだ。
「従軍慰安婦」という重いテーマだが、コミカルに爽やかに物語が描かれている。特にオクプンとミンジェの英語でのやり取りが活き活きとしていて、二人が英語学習を通してお互いを理解し親しくなっていく様子が素敵だ。身近な市場の人たちや区役所職員も、元「従軍慰安婦」と明かしたオクプンに一人ひとりの思いで対するところに親しみを感じる。
もちろん、日本人である私には違う思いがある。たしか1992年、元「従軍慰安婦」のハルモニを招いて話を聞く集会があった。私は会場後方の書籍販売コーナーに座っていたが、経験を語るハルモニの生の言葉を聞いて、書籍のテーブルに泣き伏してしまった。今そこにいる人が心身を蹂躙された本人なのだ、その感覚は恐ろしいようなものだった。
集会が終わって、ハルモニを連れてきてくれた在日コリアンの女性が、私に「日本人としてどう思いますか?」と訊いた。言葉に詰まって何も答えられなかった。今もまともには答えられないだろう。「日本人であることが恥ずかしい」とずっと思ってきたけれど。
とにかく事実をちゃんと知ること、それも歴史の知識のようにではなく、被害者がどう生きてきたか加害者がどう生きてきたかを想像できるような知り方で知ることが大切だ。この映画を観て、そう思った。