「サッカー少年」
一人の少年が進路希望欄に書いたのは、「ブラジル」だった。
ブラジルで、プロサッカー選手になることが、少年の夢だった。
担任の先生は、激怒して職員室から追い出した。
サッカー部の先生には、「99%無理」と言われた。
少年は、「1%あるんですね?なら、僕はその1%にかけます。」と答えた。
少年は、15歳でブラジルに旅立った。
ブラジルのユースチームで、こんなことがあった。
少年がサッカーの格好をしているだけで、周りの人間は彼を笑った。
サッカーが下手くそなのは、代名詞のように「日本人」だと言われた。
だが、その少年は死に物狂いに練習を重ね、18歳でプロ契約を勝ち取った。
そして、ブラジルNo.1のサッカー雑誌の表示を飾った。
そして、青年は日本に帰国することを決意した。
次なる夢は、日本をワールドカップに連れて行くこと。
93年に開幕したJリーグ。
青年は、時代の寵児となった。
Jリーグの初代MVPは、青年の名前が刻まれた。
彼は、こう思っていた。
思い切りサッカーをして、30歳過ぎたら頂点で引退しようと。
94年のアメリカ・ワールドカップ予選、エースとして参加した青年だったが、ドーハの悲劇と呼ばれる、ロスタイムの失点で、日本の初出場を逃した。
青年はその後、ワールドカップに行くための何かを掴むため、日本人で初めて、セリエAに移籍した。
そして、98年のフランス・ワールドカップ予選。
苦しみながら日本は、ワールドカップの出場を決めた。
気がつくと、彼は31歳になっていた。
彼のワールドカップ予選の総得点は、27になった。
だが、ワールドカップ本選の代表に、彼の名前は記されていなかった。
記者会見で、こう話した。
「日本代表としての誇りは、向こう(フランス)に置いてきた。」
その年、チームから戦力外通告を受けた。
彼は、一人考えた。
「誰も、自分の知らないところへ行きたい。」
そして、彼はクロアチアに行くことを決めた。
練習初日、彼の眼に一人の選手が映った。
その動きを見て、「売り出し中の若手かな?」と思った。
しかし、その選手は大ベテランの選手だった。
彼の名は、ゴラン・ユーリッチ。
クロアチアを代表する、名DFだ。
自分より年上の選手が、誰よりも懸命に、誰よりも誇らしくプレーしていた。
こんな質問をしてみた。
「どうして、そこまでやれるのか?」
ゴランは言った。
「サッカー選手とは、年齢に関係なく、常に成長するものだ。低落など存在しない。」
彼は思った。
「どこまでも、走り続けよう。」
2010年、彼はJリーグの最年長出場記録と最年長得点記録を更新した。
ブラジル、日本、クロアチア、オーストラリア。
様々な国でプレーし続け、夢を与え続ける彼に、日本人は尊敬を込めて、彼を「KING」と読んだ。
彼の名前は、三浦知良。
日本サッカーのパイオニアの名だ。
ある雑誌の企画で、ゴラン・ユーリッチから三浦知良に手紙が届けられた。
その中で、ゴランは、三浦知良に1番言いたかったことがあったという。
「日本のマスコミほどには、カズがフランスW杯に行かなかった理由を知らないけれど、その事実は聞いていた。
カズは「監督に呼ばれなかっただけだ」と言っていたけど、その取り乱さない、事態を真摯に受け入れる姿勢に感動したよ。
日本のW杯進出に大きく貢献したのはカズだっていうのに、それでもカズは、派手に抗議することもなかったんだよな。
男だよ。
それでこそ偉大なプレイヤーってもんだ。
ところでカズと俺はその後再びノゴメット(サッカー)のおかげで再会することになる。
今度はJリーグ。
俺は横浜F・マリノス、カズは京都にいたんだよな。
アウェーの京都戦では3-1で勝ったけど、1点を決めたのはカズだった。
カズ、これだけは言わせてくれ。
俺は日本に行ってはじめて、カズという名前が何を意味するのか、カズとはいったい何者なのかがわかったんだ。」
一人の少年が進路希望欄に書いたのは、「ブラジル」だった。
ブラジルで、プロサッカー選手になることが、少年の夢だった。
担任の先生は、激怒して職員室から追い出した。
サッカー部の先生には、「99%無理」と言われた。
少年は、「1%あるんですね?なら、僕はその1%にかけます。」と答えた。
少年は、15歳でブラジルに旅立った。
ブラジルのユースチームで、こんなことがあった。
少年がサッカーの格好をしているだけで、周りの人間は彼を笑った。
サッカーが下手くそなのは、代名詞のように「日本人」だと言われた。
だが、その少年は死に物狂いに練習を重ね、18歳でプロ契約を勝ち取った。
そして、ブラジルNo.1のサッカー雑誌の表示を飾った。
そして、青年は日本に帰国することを決意した。
次なる夢は、日本をワールドカップに連れて行くこと。
93年に開幕したJリーグ。
青年は、時代の寵児となった。
Jリーグの初代MVPは、青年の名前が刻まれた。
彼は、こう思っていた。
思い切りサッカーをして、30歳過ぎたら頂点で引退しようと。
94年のアメリカ・ワールドカップ予選、エースとして参加した青年だったが、ドーハの悲劇と呼ばれる、ロスタイムの失点で、日本の初出場を逃した。
青年はその後、ワールドカップに行くための何かを掴むため、日本人で初めて、セリエAに移籍した。
そして、98年のフランス・ワールドカップ予選。
苦しみながら日本は、ワールドカップの出場を決めた。
気がつくと、彼は31歳になっていた。
彼のワールドカップ予選の総得点は、27になった。
だが、ワールドカップ本選の代表に、彼の名前は記されていなかった。
記者会見で、こう話した。
「日本代表としての誇りは、向こう(フランス)に置いてきた。」
その年、チームから戦力外通告を受けた。
彼は、一人考えた。
「誰も、自分の知らないところへ行きたい。」
そして、彼はクロアチアに行くことを決めた。
練習初日、彼の眼に一人の選手が映った。
その動きを見て、「売り出し中の若手かな?」と思った。
しかし、その選手は大ベテランの選手だった。
彼の名は、ゴラン・ユーリッチ。
クロアチアを代表する、名DFだ。
自分より年上の選手が、誰よりも懸命に、誰よりも誇らしくプレーしていた。
こんな質問をしてみた。
「どうして、そこまでやれるのか?」
ゴランは言った。
「サッカー選手とは、年齢に関係なく、常に成長するものだ。低落など存在しない。」
彼は思った。
「どこまでも、走り続けよう。」
2010年、彼はJリーグの最年長出場記録と最年長得点記録を更新した。
ブラジル、日本、クロアチア、オーストラリア。
様々な国でプレーし続け、夢を与え続ける彼に、日本人は尊敬を込めて、彼を「KING」と読んだ。
彼の名前は、三浦知良。
日本サッカーのパイオニアの名だ。
ある雑誌の企画で、ゴラン・ユーリッチから三浦知良に手紙が届けられた。
その中で、ゴランは、三浦知良に1番言いたかったことがあったという。
「日本のマスコミほどには、カズがフランスW杯に行かなかった理由を知らないけれど、その事実は聞いていた。
カズは「監督に呼ばれなかっただけだ」と言っていたけど、その取り乱さない、事態を真摯に受け入れる姿勢に感動したよ。
日本のW杯進出に大きく貢献したのはカズだっていうのに、それでもカズは、派手に抗議することもなかったんだよな。
男だよ。
それでこそ偉大なプレイヤーってもんだ。
ところでカズと俺はその後再びノゴメット(サッカー)のおかげで再会することになる。
今度はJリーグ。
俺は横浜F・マリノス、カズは京都にいたんだよな。
アウェーの京都戦では3-1で勝ったけど、1点を決めたのはカズだった。
カズ、これだけは言わせてくれ。
俺は日本に行ってはじめて、カズという名前が何を意味するのか、カズとはいったい何者なのかがわかったんだ。」