「わが愛する中学部の生徒たちに」(関西学院中学新聞 創刊号:昭和25年9月1日発行)
夏休みになると私は朝日の全国野球大会を思い野球大会のことを思う度に昔中学部の名投手だった澤君の事を思い出す。澤君の悲壮な大奮闘によって関西学院中学部は大正9年全国大会に優勝した。
其年、兵庫県で一番強剛としてうたわれたのは神戸商業で、有名な浜崎が投手として全国に名を知られ、すばらしい強ティームとして全国大会の優勝も確実といわれていたので関西学院などを問題にする者はなかった。ところが兵庫県の予選で中学部はこの強剛神戸商業を破った。澤を主将として、ティームが一致団結して強敵神戸商業に当たった。そして浜崎の剛球を恐れず堂々と打って見事この強敵を破った。スコアは確か4対1であった。
県下の代表となった関西学院の責任は重かった。先輩は集まって選手を激励した。責任感の強い澤は猛練習のために遂に肋膜になった。然し投手であり主将である澤が出ないならば中学部は全国大会に勝つことは到底困難である。澤は全兵庫県の声援に対する責任感から、又関西学院の名誉を思う熱情から医師の注射を受けながら投手板に立った。その悲壮な心は他の8人の選手を奮い起させた。そしてこの悲壮な結束の前には如何なるティームも敵し得るものは無かった。総ての強ティームを破って最後の優勝戦には慶応普通部に17対0の大スコアで勝ち、大優勝旗を関西学院に持ち帰った。「関西学院四十年史」には「中学部の優勝は実に澤が命をかけて、これを得たものである」とかきしるしている。
私は病をおして運動をせよというのではないが、今の運動の選手は苦しみをいとい、下づみになり、犠牲になることを喜ばないといわれる。それでは選手生活から得られるものは極めて少ない。その頃の選手は運動部に入って、苦しい苦労をすることをいとわなかった。
その頃、神戸のある学校で野球部に入った生徒の親が子供の練習ぶりを見たいと思って出かけて行ったところどこにも子供の姿が見あたらない。一人の部員に自分の子供のいると所をきくと、やっといる所が分かった。彼は毎日グラウンドの外の、水の流れていない川底に立っていて、運動場も見えない川の底で、とんで来るボールをひろう役を甘んじて引き受けていたのである。まずそういう精神を教えられたものである。
うっかりすると民主主義ははきちがえられて、民主主義とは苦しいことをいやがることであり、わがままをすることであり、自分勝手をすることであると考え勝ちである。
ある小学校の教場で「次の時間は何をしよう」と先生が生徒にはかると「みんなで遊ぼう」と多数決で決まり、みんなで遊んでしまったというような極端な話もある。民主主義の精神はキリスト教の精神につながる。人のために自分をおさえ自分も人も共に高まって行くきびしい精神がふくまれている。勿論人生は楽しいものであり、色々な楽しみを作り出して友だちと共に楽しむことはこのましいことである。然し少しでも苦しいことをさけて楽しいことだけを求める心には、真に深い喜びは来ない。真に深い喜びは困難の克服の中にある。
「成長は悩みである。種は土を悩み、根は雨を悩み、芽は発芽を悩む。そのように、友よ、人間は運命を悩む、運命は土であり雨であり生長である。運命は苦痛を与える」
とヘルマン・ヘッセも言っている。植物でさえ雨風にたたかれても屈せずのびて行くではないか。我々も困難に屈せず苦しみにたえる強い人間になろうではないか。
キューリ夫人の伝をよんでごらんなさい。どのような苦難を克服して彼女が勉強したか。そしてその苦難の後ラジュームを発見したときの喜びがどのように深いものであったか。苦しみにたえて自己をたくましく生長させそれを神と人とにさげることこそ人生最大の喜びであり、そこに関西学院の精神がある。
夏休みはめいめいが美しい自然によって自分をのばすための最もよい機会である。だらしない生活は自分をそこね、精神をくさらす。「よく学びよく遊べ」。 遊ぶばかりでは却って健康さえそこなう。勉強ばかりでは却って学問ものびない。休暇中もよく学びよく遊ぶところに眞によき学生の道がある。涼しい時間に必ず毎日一定の時間勉強し、勉強がすんでから思いきって遊ぶ。そして計画もたてたらどこまでもこれを実行して行く勇気が必要である。
スマイルスの「自助論」は明治の立志少年たちが愛読した本であるが、その中に
「年少にして困苦逆境に処することは成功に必要欠くべからざる条件である」
「偉人と小人との差異はただ不屈の決意のみ」
「今日の仕事を明日に残すなかれ、働くべき時に遊ぶなかれ」
と述べている。諸君の一日一日が勇気を必要とする。朝お母さんが起こして下さったとき、決断を以てムクムクと起き上がる勇気を君たちは示しているであろうか。勉強すべき時間についふらふらと遊びに出て行きたい心を「何くそ」とおさえるのは強い決断がいる。勇気がいる。
私はこのような強い勇気のある少年がすきである。日々よき生活をおくって神と人とに喜ばれる人に成長して行くことこそ関西学院中学部の生徒の進むべき道である。私は諸君が健康で夏休みをすごすことを心から祈り、諸君が日々人格に於ても肉体に於てもどんどん成長して行くことを心から祈っている。
夏休みになると私は朝日の全国野球大会を思い野球大会のことを思う度に昔中学部の名投手だった澤君の事を思い出す。澤君の悲壮な大奮闘によって関西学院中学部は大正9年全国大会に優勝した。
其年、兵庫県で一番強剛としてうたわれたのは神戸商業で、有名な浜崎が投手として全国に名を知られ、すばらしい強ティームとして全国大会の優勝も確実といわれていたので関西学院などを問題にする者はなかった。ところが兵庫県の予選で中学部はこの強剛神戸商業を破った。澤を主将として、ティームが一致団結して強敵神戸商業に当たった。そして浜崎の剛球を恐れず堂々と打って見事この強敵を破った。スコアは確か4対1であった。
県下の代表となった関西学院の責任は重かった。先輩は集まって選手を激励した。責任感の強い澤は猛練習のために遂に肋膜になった。然し投手であり主将である澤が出ないならば中学部は全国大会に勝つことは到底困難である。澤は全兵庫県の声援に対する責任感から、又関西学院の名誉を思う熱情から医師の注射を受けながら投手板に立った。その悲壮な心は他の8人の選手を奮い起させた。そしてこの悲壮な結束の前には如何なるティームも敵し得るものは無かった。総ての強ティームを破って最後の優勝戦には慶応普通部に17対0の大スコアで勝ち、大優勝旗を関西学院に持ち帰った。「関西学院四十年史」には「中学部の優勝は実に澤が命をかけて、これを得たものである」とかきしるしている。
私は病をおして運動をせよというのではないが、今の運動の選手は苦しみをいとい、下づみになり、犠牲になることを喜ばないといわれる。それでは選手生活から得られるものは極めて少ない。その頃の選手は運動部に入って、苦しい苦労をすることをいとわなかった。
その頃、神戸のある学校で野球部に入った生徒の親が子供の練習ぶりを見たいと思って出かけて行ったところどこにも子供の姿が見あたらない。一人の部員に自分の子供のいると所をきくと、やっといる所が分かった。彼は毎日グラウンドの外の、水の流れていない川底に立っていて、運動場も見えない川の底で、とんで来るボールをひろう役を甘んじて引き受けていたのである。まずそういう精神を教えられたものである。
うっかりすると民主主義ははきちがえられて、民主主義とは苦しいことをいやがることであり、わがままをすることであり、自分勝手をすることであると考え勝ちである。
ある小学校の教場で「次の時間は何をしよう」と先生が生徒にはかると「みんなで遊ぼう」と多数決で決まり、みんなで遊んでしまったというような極端な話もある。民主主義の精神はキリスト教の精神につながる。人のために自分をおさえ自分も人も共に高まって行くきびしい精神がふくまれている。勿論人生は楽しいものであり、色々な楽しみを作り出して友だちと共に楽しむことはこのましいことである。然し少しでも苦しいことをさけて楽しいことだけを求める心には、真に深い喜びは来ない。真に深い喜びは困難の克服の中にある。
「成長は悩みである。種は土を悩み、根は雨を悩み、芽は発芽を悩む。そのように、友よ、人間は運命を悩む、運命は土であり雨であり生長である。運命は苦痛を与える」
とヘルマン・ヘッセも言っている。植物でさえ雨風にたたかれても屈せずのびて行くではないか。我々も困難に屈せず苦しみにたえる強い人間になろうではないか。
キューリ夫人の伝をよんでごらんなさい。どのような苦難を克服して彼女が勉強したか。そしてその苦難の後ラジュームを発見したときの喜びがどのように深いものであったか。苦しみにたえて自己をたくましく生長させそれを神と人とにさげることこそ人生最大の喜びであり、そこに関西学院の精神がある。
夏休みはめいめいが美しい自然によって自分をのばすための最もよい機会である。だらしない生活は自分をそこね、精神をくさらす。「よく学びよく遊べ」。 遊ぶばかりでは却って健康さえそこなう。勉強ばかりでは却って学問ものびない。休暇中もよく学びよく遊ぶところに眞によき学生の道がある。涼しい時間に必ず毎日一定の時間勉強し、勉強がすんでから思いきって遊ぶ。そして計画もたてたらどこまでもこれを実行して行く勇気が必要である。
スマイルスの「自助論」は明治の立志少年たちが愛読した本であるが、その中に
「年少にして困苦逆境に処することは成功に必要欠くべからざる条件である」
「偉人と小人との差異はただ不屈の決意のみ」
「今日の仕事を明日に残すなかれ、働くべき時に遊ぶなかれ」
と述べている。諸君の一日一日が勇気を必要とする。朝お母さんが起こして下さったとき、決断を以てムクムクと起き上がる勇気を君たちは示しているであろうか。勉強すべき時間についふらふらと遊びに出て行きたい心を「何くそ」とおさえるのは強い決断がいる。勇気がいる。
私はこのような強い勇気のある少年がすきである。日々よき生活をおくって神と人とに喜ばれる人に成長して行くことこそ関西学院中学部の生徒の進むべき道である。私は諸君が健康で夏休みをすごすことを心から祈り、諸君が日々人格に於ても肉体に於てもどんどん成長して行くことを心から祈っている。
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