1960年代初頭から1975年まで、ベトナムの地で北を支援したソ連、中国の社会主義国と南を支援したアメリカとの間で繰り広げられた武力抗争は、死傷者アメリカ軍6万人、南北ベトナム人200万人近く犠牲を出し、50年たった今でも大量に空中散布されたジャングルを野原と化す枯葉剤の後遺症で多くの住人に遺伝子レベルの後遺症が残り、出生奇形児などの問題が残っています。これは当時、戦闘地域にいたアメリカ兵も同様の後遺症があると言われていますが、私たちの心も過去のいつかどこかでまかれた毒によって後々まで蝕まれていることはないでしょうか。日常生活では銃や刃物で傷つけられることは稀ですが、かくも身近なところで人々は不可視な武器の脅威にさらされ、自覚症状の認知に関係なく誰もがその危害を受けているものがあります。それがときに言葉という武器であり、悪魔の使う常套手段の毒です。「蛇のように、その舌を鋭くし、そのくちびるの下には、まむしの毒があります。」
(詩篇140:3)
人や自分を傷つける言葉、呪い、つぶやき、否定的な言葉、不信仰な反聖書的告白が内側から内充する毒のように人の心を傷つけるとき、唯一の解毒剤イエス様の血潮を賛美する早期治療が必須です。
アメリカではベトナム戦争帰還兵の多くが、正常な市民生活になかなか戻れず、無気力、震え、戦争体験に似た何かに敏感に反応するなどベトナムシンドロームと呼ばれる精神異常をきたしました。映画ランボーではクリスチャン俳優シルベスタ・スタロンがその役を演じましたが、過去のひどいストレスや恐怖体験、耐え難い外傷体験などを克服できないでいると強い恐怖を感じたあと、その出来事を思い出して恐怖にさいなまされたり、その出来事と似通った状況を避けたり、不眠症になったり、「外傷後ストレス障害」として反社会的な異常行動に陥る危険性があります。何の脈絡も無く、あるいは外傷体験を連想させるものごとに遭遇したことをきっかけにして、映画の一場面のように恐怖の瞬間がありありと思い出される負のフラッシュ・バック体験です。
ペテロは鶏が鳴くまでに3度の裏切りの言葉を発言して大失敗しましたが、復活のイエス様にお会いして心癒されるまでは、その夜に聞いた鳴き声こそ、嫌な過去をそのままリンクして鮮明に思い出す負のフラッシュ・バック体験として心に残り、ペテロにとって朝毎に聞こえる鶏の鳴き声イコール裏切りの象徴という形で軽度の「ストレス障害」となったことでしょう。
また、解離性同一性障害(多重人格)という言葉を聞いたことがあると思いますが、聖書にもおそらくそのような人物が少なくとも二人は書かれています。マルコ16:9の7つの悪霊をイエス様から追い出していただいたマグダラのマリヤの過去です。これは人格が交代で現れる異常行動で、耐え難い現実から自分を防衛するために、過去の記憶を分断して、それらをそれぞれの人格状態(交代人格)に担わせるという病気ですが、彼女は7つの悪霊が入っていたため7種類の異なる人格と異常行動があったかもしれません。一般的に障害の原因となる外傷体験は、幼少期に受けた非常に恐ろしい暴力行為や性的虐待などが多いとされていますが、彼女の場合、幼少期に受けた恐怖体験からできた心の傷口にそこを突破口として7つの悪霊が入り込んだのかもしれません。イエス様は7つの悪霊を追い出して彼女を癒されたあと、十字架の復活以降にもすぐに再会されてアフターケアをなさっています。この種の心の病は継続したフォローが早急に必要です。もう一人、彼女が7人格ならそれ以上に6000の人格だったかもしれない男がゲラサ人居住地にいました。悪霊6000匹に制圧されると、ほぼ理性は失われ、セルフコントロールもできずに、悪霊のいいなりに振り回されていたことでしょう。6000匹の悪霊が、たった一人に住めば、それは、それは、にぎやかな内側だったと思われます。イエス様が彼から悪霊どもを全て追い出されて癒されたとき、理性を取り戻した彼は自らイエス様にお伴をしたいと申し出ましたが、これを断り、それより家に帰ってどんなに大きく神があわれんでくださったかを証しするよう導かれました。彼は長いこと悪霊によって精神異常となり、墓場に住んでいたため必要な心の癒しはフルタイムの献身より、まずは心配する家族との愛の交流を通じて心癒す体験でした。このように心の癒しも千差万別、みな異なります。ヨハネ11:44で死後4日目のラザロがイエス様によってよみがえったとき、その後はほどいてやって帰らせなさいと命じられました。よみがえりは神なるイエス様ならではのお仕事ですが、ほどくのは私たち人間のできる、なすべき仕事です。救い体験以降、私たち人間に任されている愛のアフターケアが大切です。