イエス・キリストの福音

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テレビでゴミ屋敷に住んでいる住人の問題を観たことがあるでしょうか。近隣住民も行政も頭を悩ます、都市型現代病です。ある少女がこう言っていました。

2021-05-09 04:00:00 | 日記

テレビでゴミ屋敷に住んでいる住人の問題を観たことがあるでしょうか。近隣住民も行政も頭を悩ます、都市型現代病です。ある少女がこう言っていました。

「ママが言ってたよ。あの人たちの目にはゴミがピカピカ光る宝石に見えて、もったいなくて捨てられないのだって。」

本当にそうかもしれません。しかしこのような反社会的異常行動も過去との因果関係や彼らの傷ついた心の傷が判断をゆがめています。立川の街にも住宅街の一角にゴミ屋敷と呼ばれる家がありました。室内はゴミ一杯、あふれ出て自分の家の敷地内に生えていた木の枝にもスーパーの白いゴミ袋を一杯にぶら下げてクリスマスツリーのようにデコレーションしていました。隣人は窓を開けると、直ぐ目の前にゴミ屋敷の敷地内にあるゴミのなる木を常時、観賞させられました。あるとき、当時は私たちの教会が雑居ビルの3階にテナント借りしていましたが、廊下の共益部分の台所に鍵が付いていないため、少しずつ小さなお皿がなくなるという怪現象がありました。不審に思った私はあるとき礼拝堂で祈りながら張り込みしているとき、誰もいないはずの台所からお皿の崩れる音、「カチャツ」というのを耳にしました。急いで講壇から起き上がり戸口に行き、追跡してみると1階にエレベーターが降りた直後の動きがありました。そこで階段を使って1階まで駆け降りると、そこにはちゃんと異様な雰囲気のおばさんが一人自転車の所に立ってかごの袋をごそごそしていました。「この人だな。コソ泥は。」と思いましたが、こちらは牧師、冷静沈着、紳士的に話しかけました。

「あの、私は3階の教会の者ですが、今、あなたは3階から降りてきましたね、ご用件は…」すると、私の話が終わらないうちにその変な雰囲気一杯のおばさんはこう答えました。

「教会?ああ、アーメンね。知ってる。知ってる。アーメン、そうめん、味噌ラーメンね!」私は内心、「こいつ!古いギャグを使いやがって。」と思いましたが、同時に「貧乏で頭までおかしい、かわいそうな人だ。」と考えてその場で捕まえずにそのまま行かせました。それにしてもそのおばさんが乗る自転車は変な自転車です。前後に大きなかごを付けて中にはゴミ袋から荷物があふれ出て、ハンドルとその他いろいろな部分にもスーパーの袋をたくさんぶら下げて荷物一杯に大きくなった形、ちょうど、そのおばさんが真ん中のシートに座ると前後のかごからあふれ出ているゴミが目線の位置まであって、砂漠のふたこぶラクダに乗っているみたいでした。「本当にかわいそう。かわいそう。この人もまた、自分の思う荒野の道を行くのだ。」しかしその後、礼拝堂にひとり戻って祈りだすと、先ほどのやり取りが気になり始めました。「アーメン、そうめん、味噌ラーメン?なんて事を言わせたのか。なぜ私は賢い言葉でうまく言い返せなかったのか!」そこで一人祈りました。

「イエス様。あの曲がったことを言う、コソ泥おばさんの口が神様を賛美してハレルヤ!と言うようにしてください。」

そのことがあってから台所の皿の数が減ることはなくなりましたが、数ヶ月が過ぎたある日のこと、主日礼拝の賛美の時間、突然、入り口の扉が開き、一人のおばさんが入って来ました。そして1分もしないうちに熱い賛美の臨在の中で初来者のようなこのおばさんは叫びました。「ハレルヤー!ハレルヤー!」

ぞっとしましたが、私はこの時点でこの人が誰であるかよく分かりました。

「確かに祈りは聞かれた。しかし今後どう対応しようか。」

礼拝終了後、挨拶すると以前のことを忘れたかのように友好的に接してきたのでしばらく受け入れて様子を見ることにしました。このおばさんは毎週ふたこぶラクダに乗って教会に来ました。献金はしない代わりに毎回、たくさんの花束を捧げ物に持って来ました。後で分かったのですが、花束は毎回、近所の花屋の閉店以降、深夜に外においてある廃棄物専用の大きなゴミ箱から使えるものだけを拾い集めたものでした。

そこで毎回、頭に手を置いて汚れた霊を追い出して祈ってあげました。そしてひと月ほど過ぎたある日に、ニコニコしながらこう言いました。

「先生。最近、教会に来るようになって不思議に心が落ち着きますね。そこで先日も教会から家に帰ると不思議に心が落ち着いて掃除をしたくなったの。そこで立川市の職員に相談したら、お金もぜんぜんないのに、いろいろとよく協力してくださることになったわ。」

当初、私は何を言っているか意味が分かりませんでした。しかしその後、このおばさんを通じて伝道された隣の家で常時、ゴミの木を強制観賞させられていたおばさんを通じて話を詳細に聞き、よく意味が分かりました。そのおばさんはこのおばさんの豹変に驚いて教会に導かれたのですが、実にこのふたこぶラクダに乗るおばさんこそ、この街では有名なご近所と行政当局を悩ませ続けたゴミ屋敷の主人だったのです。そしてその態度の豹変とは、大掃除を始めたことでした!

本人の話では「今まで、どんなに近所の人たちと役所の人が来て注意しても、掃除する気になれなくて、もったいないからとっておいたものすべてを捨てたくなったの。消防の人も来て放火されると危険だから木に結んだゴミ袋だけでも撤去してと言われても、断固と拒んでいたのに不思議と教会に来たら掃除がしたくなったの。先生、不思議なこともありますねえ。」

そして役所の担当者に自ら電話をかけて撤去の申し出をしたとのことでした。その量、本人の話では、立川市のトラックでゴミの山8台分と大勢の作業員だったそうです。中でも玄関付近に長年とめて使用していなかった古い自転車は腐っていて、立てかけた壁の鉄の部分とくっついて離れず、作業員3人でようやく引っ張って剥がしたそうです。

全てを掃除してみると、後はお部屋が何十年ぶりに広くなったそうです。驚きました。今でもこの姉妹は時たま気が向いたら教会に遊びに来ますが、聖霊様の力は言うまでもないですが、行政以上、消防署員以上、ご近所のあばさんたちの再三の団体交渉の要求パワーや脅迫以上です。それは愛の力です。誰が何を言っても言うことを聞かなかった頑固な人でしたが、聖霊様は力強いです。このおばさんは後に親しくなってその過去の生い立ちを聞くと、戦後、立川に米軍基地があった頃、ベースに働くアメリカ空軍整備士の妻だったそうです。確かにこのおばさんはコソ泥だったけれど英語は普通にペラペラ普通の人以上に話せて、過去に何人かの外人を教会に連れて来ていました。そして彼女の仕事の自称マッサージ師、たぶん不品行も含んでいたと思います。当時は立川に龍角があって5000人もの売春婦が住んでいたそうです。そこを通じてアメリカ軍人の妻となり、現在のゴミ屋敷と化した家を当時、買ってもらったそうですが、どうも夫が死ぬまでの間、夫はかなりのハンサムと高収入から誘惑に負けてうわきが酷く、自分は本妻だけれど他にも日本人の妻たちが多くいたそうです。二人の間に生まれた娘が大きくなった頃の写真を見せてもらうとモデルのようなハーフの美人さんで20歳くらいでしたが、その素行の乱れは尋常ではないと一見して分かりました。それはその写真に写った美人さんの髪の毛全体は金髪でも黒色でも中間でもなく、明るい原色の真っ赤に流血のように染められていました。今では家を出たきり何年も帰って来ないと言っていましたが、結局、父親の無責任な放蕩と淫乱が家庭を破壊し、数十年をかけてあれすさんだ妻の心から徐々にゴミ屋敷とふたこぶラクダとゴミのなる木を作らせることになっていたのでした。

彼女のケースもまた、単純に医学的に分析、処方すれば精神病のどれかに位置すると思いますが、聖霊様の中で回心伴う行動の変化と奇蹟は、祈りと過去の心の癒しが密接にリンクして始めて現れます。

医学では全般性不安障害と呼ばれる現象があります。誰もが先行き不透明な時代に生かされて不安要素を抱えていますが、日々の些細な不安を敏感に受け止めすぎて、深刻に悩んで苦痛から日常生活や社会活動に支障を来たしてしまう状態です。不安ごとをうまく消化できないと最悪、疲労感、集中力の低下、イライラ感、睡眠障害となって現れてきます。「健康に対する不安、経済的な不安、家族のこと、リストラや倒産など、他人の評価、そして見えない将来や死に対する不安など」例を挙げると不安要素は世に生きる限りつきません。誰かが数えたそうですが、聖書には「恐れるな!」という御言葉が365回書かれているそうです。毎日聖書を読むことによって神様は1年中、毎日1度は「恐れるな!」と呼びかけているのです。それくらい恐れが環境を取り巻き、恐れないよう警告と激励が必要な時代なのです。

「からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。二羽の雀は一アサリオンで売っているでしょう。しかし、そんな雀の一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません。また、あなたがたの頭の毛さえも、みな数えられています。だから恐れることはありません。あなたがたは、たくさんの雀よりもすぐれた者です。」

(マタイ10:28-31)

恐れにも各種の対象がありますが、根源は同じく恐怖体験、その苦々しい過去の忌まわしい記憶を癒すことが必要です。戦時中、ハワイ沖に沈められた米国戦艦が半世紀も過ぎた今でも、時にオイルを滲み出しているそうです。昔の記憶なのに今も生きて働いている何か、私たちの中に残っていないでしょうか。

場所や状況が怖くて、引きこもりがちになる「広場恐怖」(外出恐怖)と言う現象があります。イエス様の十字架を目撃した直後の11弟子たちはユダヤ人たちからの同様の迫害を恐れて室内で戸閉め、鍵もかけて引きこもっていました。(ヨハネ20:19、26)彼ら11弟子たちの最も恐れた場所と状況はカルバリの十字架だったのです。何か困ったことが起きても誰にも助けてもらえなかった、あるいは恥ずかしい思いをしたことがあるという場所や状況に対する恐怖です。場所や状況と記憶がリンクするため、ある人にとってはそれが人混み、渋滞する道路、橋、電車や飛行機、エレベーターなどの乗り物などを恐れの対象として置き換えるケースもあります。私は小学生のとき、右翼の真っ黒い装甲車のような大きいバスをあやまって花火で燃やしてしまったことがあります。この火災以降、しばらくの間は火の恐怖が記憶にリンクして台所のガスコンロさえ怖かった時期がありました。もちろん今はガスコンロも炎のキャンプファイアーも怖くありませんが。