もう一年になるんだな。
と、最近、ふとしみじみした気持ちになる。
新卒で入って人生の半分を過ごしてきた会社を辞めると決めてから。
引き継ぎを終えてから転職活動をしようとしていたところにどんでん返し的な人事があってもやもやしてから。
退職日を予定より延ばして、サポートしていた期間に伯父が緊急入院してから。
40日ある有給休暇を使いながら、出社したり、お見舞い行ったり、面接に行ったりしてから。
自分の強みや弱み、この先どう仕事をしていきたいか考えてから。
家族の変化と自分の人生、どう向き合っていくか、思いあぐねてから。
これも縁なのかな、と次の就職先を決めてから。
色々あったことを振り返りつつ、一年は本当に早い。
だからなのか、一年前、暑いあの夏にはいた伯父がもうこの世にいない、と思うと
亡くなった3月の時よりもずしんと悲しくなる瞬間がある。
転職してから1ヶ月経った10月の初め、お見舞いに行く日をメールしたら
新しい会社は慣れた?と聞かれ、
まだ目まぐるしくて覚えることたくさんあるし緊張してるよ、と答えたら
あわてないで、mihoなら大丈夫、と返事があった。
あれ、伯父はこんなに優しかったっけと、思ったんだった。
いとこにとっては厳しい父だったと思うし、口数も多くはない人だった。
私にとっても、そんなに近しい存在ではなかったけど、
それでもいつも応援してくれて、認めてくれていた。
兄弟である母や叔父より、距離感のある姪の私のほうが
伯父も適度に気楽だったのかもしれない。
退職の時期で時間的に余裕があったのも、サポートにいくにはちょうど都合がよかった。
緊急入院、手術した6月の末、余命あと1年と言われ、
前年に亡くなった妻である伯母をずっとそばでひとり看病し続けていた伯父は
治療の厳しさも大変さも熟知していて、延命治療を望まず1年経たずに亡くなった。
遠方で暮らしていて、母を亡くした上に父も亡くすいとこは、
思うこともたくさんあっただろうし、複雑だっただろう。
死に向かっていく伯父のことは、96になる祖母には言わないでおこうと母と決めたけど、
それはそれで最善なのかわからないままだった。
冬になって、ひとり暮らしもままならなくなり、入院した伯父に
「もう喋るのも大変だから来ないでいいよ」と言われたとき、
帰る前に病院のロビーでしばし泣いてから帰宅したんだ。
お互いの気持ちはあまり踏み込んで話せなかったし、聞けなかった気がする。
あの夏、伯父がまだ動けるうちに他にできることはなかったかな、と
苦い、何かがつかえたような気持ちにいまだになる。
そんな、はきだし。
そんなこんなのその想いこそ、伯父様がこの世に生きた証であり、結晶だから。
自分がいつか人生を終えるとき、あの人が待ってるって思える人がいることも、幸せの一つの形だと思いたい。
実はこの記事を何度も読んで、その都度コメントをしかけては、うまく表現できずにいました。
きっとたくさん笑っていることが、何よりの供養だと思うのよ。
結局うまく表現できてないけど、でも伝えたくてコメントします。
また近いうちに会おうね。
コメント入っていることに気づかず、ごめん。久しぶりに投稿しようとして、あたたかい言葉にほろりとしています。
そうだね、日常茶飯事を笑顔で元気に暮らせていることが供養だと思う。
死に伯父が何を思っているのか、なんだかこわくて時間はあったはずなのにちゃんと向き合えてなかった、という後悔なんだなと思います。
泣きたいときは泣いて、また前向いて歩いていこう。
この記事に気づいてもらえて、つゆちゃんだからこそのコメント、本当にありがとうね。