エッちゃんのSamba日記

40才からSamba/打楽器に目覚め、たぶん死ぬまでエッちゃんは呟いてます☆

今年も湖北に参加させて頂きます~\(^o^)/

2015-09-25 19:48:05 | パレード・イベント等、お知らせ♪
9月27日(日)
何年目?
私休んでないかも…(;´_ゝ`)

ほくほくサンバ:我孫子市公式ウェブサイト


日時:9月27日(日) パレード 1本目14:00~、2本目15:10~
パレードルート:JR成田線「湖北駅」南口周辺

集合場所:湖北台南口近隣センター

今回は曲を2曲演奏する予定です。
・Amor no Coracao
・O que e,O que e

私の青春?

2015-09-23 23:26:13 | 音源
過去を否定するんじゃなく、関わったその人の歴史の一部になっていると思うのよね。
今の状況が世間に許されなくても。

簡単に言うと夢中になったあの頃の私の青春を返せ~なんだけどw
結婚式のBGMに使ったからね~
ダンナとは学校も会社も何一つ一緒になっていないけど、C&Aのおかげで今に到っているわけで…

基礎から外れていたり、再ブレイクしたり、音楽って感性っだったり、運だったりするからさ~

当人には音楽をやめて欲しくない…ってかやめる気はないみたいだけど☆


"CHAGE and ASKA - 熱い想い" を YouTube で見る


近況報告?

2015-09-20 00:13:17 | Weblog
最近埼玉県は事件が多く、地元警察署の現役警察官の殺人事件やらあって嫌ですね★
先日近所で真夜中に家の前でパトカーが3台来ました...


昼はみんなでガッツリ出前を頂きました。

事務室屋上は自然光が入りまくりで、紫外線が心配だわ★

課題が終わらない...カマキリが嫌いになりそうです★


sambaの練習して疲れた~★
レアな?パクチーをもらっちゃった♪
大事に育てて食します♪
デトックスだわ~(*^^*)


明日は仕事も頑張るよ♪



9月生まれのArlindo Cruz

2015-09-17 19:57:56 | 音楽とか曲とかについて
Arlindo Cruz - Meu Lugar (MTV ao vivo)


MEGA★BRASILから

アルリンド・クルスことアルリンド・ドミンゴス・ダ・クルス・フィーリョは、リオデジャネイロ市郊外のマドゥレイラ出身。1958年9月14日生まれの57歳(2015年)。

父親もアマチュアながらミュージシャンだったため、ホーダ・ヂ・サンバが行われている家庭に育った。

7歳のときに、初めてカヴァキーニョを手にする。

12歳のときには、多くの音楽に触れ、兄のアシール・マルキス同様、ギターを習得。

2年間、音楽理論や読譜学習、クラシックギターをフロール・ド・メイエール学校で学んだ。
この頃から、カンデイアをはじめ様々なアーティストとホーダ・ヂ・サンバを行ったり、プロのミュージシャンとして活動を始める。

15歳のとき、ミナスジェライス州にある航空士官候補生の予備校であるバルバセナ校を修了。在学中も校内のコーラス隊で歌うなど、音楽から離れることはなかった。

予備校を卒業すると同時に、ブロコ・カルナバレスコ(路上のカーニバルで行進をする団体)、カシッキ・ヂ・ハモスで開催されていたホーダ・ヂ・サンバに参加。
毎週木曜日は、ジョルジ・アラガォン、ベッチ・カルヴァーリョ、ベト・セン・ブラッソ、ウビラーニ、アウミール・ギネットらとともに演奏した。
またこのホーダには、後にアルリンドと同じ道を歩む良きパートナー、ゼカ・パゴヂーニョも加わっていた。

カシッキのホーダ・ヂ・サンバに参加した最初の年、アルリンドが作曲した12曲が、様々な演奏者によってレコーディングされた。
最初の曲「リサォン・ヂ・マランドゥラージェン」を皮切りに、「グランヂ・エホ」(ベッチ・カルヴァーリョ)、「ノーヴォ・アモール」(アウシオーニ)など、多くのヒット曲を生んだ。

1980年代には、リオ郊外のカスカドゥーラで「パゴーヂ・ド・アルリンド」を主催。

1982年、ジョルジ・アラガォンが脱退したサンバの人気グループ、フンド・ヂ・キンタウへ加入。
以後12年間でほとんどのパゴーヂの演奏者と共演し、「セジャ・サンビスタ・タンベン」、「ソ・プラ・コントラリアール」、「カステロ・セラ」、「オ・マッパ・ダ・ミーナ」、「プリメイラ・ダマ」といった美しいヒット曲を生み出し、グループを牽引する。

同時にアルリンドの曲はさまざまなサンバのアーティストに取り上げられた。←曲の提供をしたんでしょうね~

ゼカ・パゴヂーニョへは、「バガッソ・ヂ・ラランジャ」、「カザウ・セン・ヴェルゴーニャ」、「ドール・ヂ・アモール」、「クァンド・エウ・チ・ヴィ・ショランド」を提供。

ベッチ・カルヴァーリョへは、「ジロー・コン・ピメンタ」、「パルチード・アウト・モラ・ノ・メウ・コラサォン」「ア・セッチ・シャーヴィス」を提供。

ヘイナウドへは、「プラ・セール・ミーニャ・ムーザ」、「オンヂ・エスタ」を提供した。

アルリンドは、550以上の曲を持つ男として名をはせたと同時に、、サンバにバンジョーを取り入れることを広めた人物だともいわれている。


1993年、フンド・ヂ・キンタウを脱退し、ソンブリーニャと組んで新たな活動を開始。そして数年後に結婚、同じアルリンドという名前の息子をもうける。

90年代半ばから、アルリンドは贔屓のエスコーラ・ヂ・サンバ(サンバ団体)「インペーリオ・セハーノ」のサンバエンヘード(カーニバルの行進のテーマ曲)を作曲するようになる。

1996年、「イ・ヴェラス・キ・ウン・フィーリョ・テウ・ナォン・フォージ・ア・ルタ」で、初めて同団体の作曲に参加。
2006年にはサンバ・エンヘードが、新聞「オ・グローボ」から優秀団体に贈られる “エスタンダルチ・ヂ・オウロ” を受賞する。

2008年、別のサンバ団体「グランヂ・リオ」にサンバ・エンヘード「ド・ヴェルヂ・ヂ・コアリー・ヴェン・メウ・ガス,サプカイ!」を提供する。

今も、アルリンドはソロとしてのキャリアを継続している。


故郷マドゥレイラのサンバチーム、インペリオ・セハーノと自身のパゴーヂの活動、
水曜夜と日曜午後にカルナヴァウのブロコ、
カシッキ・ヂ・ハモスの練習場で行われる「ホーダ・ヂ・パルチード・アウト」の活動を、30年ものあいだ続けている。

2009年半ばDVDとCD「アルリンド・クルス・MTV・アオ・ヴィーヴォ」(DeckDisc)をリリース。

2011年、アルバム「バトゥケス・イ・ホマンセス」をリリース。

2012年、アウシオーニ、カエターノ・ヴェローゾ、ゼカ・パゴヂーニョなどのゲストを迎えたライヴや新曲を収めたDVD&CD「バトゥケス・ド・メウ・ルガー」をリリース。

2014年にはリオデジャネイロ市とNGOの主導で、ヘアレンゴに「アルリンド・クルス文化センター」が設立された。

うーん違う所はわかりました。そして引用はまんまじじゃ駄目だってわかっていました★
最新記事じゃないし・・・って油断してましたわ★
で、これでいいのかしら?

メガブラジル様、こんな100IPに満たないブログに誠実なご指摘ありがとうございます。
私、すっかり初心を忘れておりました★★★
ケイタブラジルさんのご指摘だたんですね★←若いけどリべジ出身のこの業界での有名人ね♪