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美しい雲の国(松本侑子・著、小学館)
祖父はずっと建設工事の現場監督のような仕事をしていた。本当に監督かどうかはわからないが現場の仕事をしながらもそれなりの責任者のように見えた。細身ながらも筋肉のひきしまった身体は剛健そのものだったが、日焼けした赤黒い顔はいつもやさしかった。祖母とは口喧嘩がたえなかったが本当は相思相愛だということが子供心にもわかった。今風にいえば自分の父母とはおよそちがってラブラブに見えた。それが羨ましくもあった。そんな祖父に自転車を習ったのは中学校へ入る前の夏だったように思う。毎晩駅前の広場へ行き、自転車の荷台の後ろを祖父に持ってもらって練習をした。いつのまにか祖父が荷台から手を離していて、知らず知らずのうちに自分一人で乗れるようになっていた。子供の頃に身に付いたバランス感覚はちょっとやそっとでは失われないものらしく、最近になってごくたまに自転車に乗ってもあまり恐いとは思わない。これも祖父のお陰だ。ホタルを捕りにつれていってくれたのも祖父だった。県道に沿って小学校の向うまで行ったように思う。当時は県道のそばの小川でもホタルが捕れたのだ。小学校の1学期の終了式の日には決まって町中を流れる大きな川で花火大会が開かれた。その花火大会へ祖父につれていってもらうのも大きな楽しみだった。しかけ花火などもあり時間もかなり長くなかなか大掛りだった。小学校の頃の思い出には祖父とのつながりが特に強いものが多いようだ。小学校ではいわゆる「帰宅部」だったので暗くなってから帰ることはまずなかったが、めずらしく暗くなりかけてから家路についたとき、家屋のシルエットの上にいちだんと輝く星を見つけた。その宵の明星になぜか心が魅せられた。そのときの憧憬がその後の半生を導く原点となった。小学校からずっといっしょだったNさんを意識しはじめたのは中学校も後半になってからだっただろうか。あるとき席替えでNさんが自分のすぐ前になり、意を決してエンピツでNさんの肩をちょっとたたいた。そして勉強のことか何かを質問した、特に必要もないのに。人知れず自分の身体のなかにも性の意識は芽吹きはじめていたがまだまだ純情だったのだ。
出雲の地と北陸の地。同じ日本海側だからだろうか、この「美しい雲の国」を読むといつも同じ薫りを感じてしまう。著者が「生身の女の子」だった頃を美雲に託したように、人にはわからなくとも生身の男の子だった自分のことを思い出してしまう。人にすすめたいというよりは自分の中にだけそっと置いておきたい本である。(原文 2004.03.15 記)
祖父はずっと建設工事の現場監督のような仕事をしていた。本当に監督かどうかはわからないが現場の仕事をしながらもそれなりの責任者のように見えた。細身ながらも筋肉のひきしまった身体は剛健そのものだったが、日焼けした赤黒い顔はいつもやさしかった。祖母とは口喧嘩がたえなかったが本当は相思相愛だということが子供心にもわかった。今風にいえば自分の父母とはおよそちがってラブラブに見えた。それが羨ましくもあった。そんな祖父に自転車を習ったのは中学校へ入る前の夏だったように思う。毎晩駅前の広場へ行き、自転車の荷台の後ろを祖父に持ってもらって練習をした。いつのまにか祖父が荷台から手を離していて、知らず知らずのうちに自分一人で乗れるようになっていた。子供の頃に身に付いたバランス感覚はちょっとやそっとでは失われないものらしく、最近になってごくたまに自転車に乗ってもあまり恐いとは思わない。これも祖父のお陰だ。ホタルを捕りにつれていってくれたのも祖父だった。県道に沿って小学校の向うまで行ったように思う。当時は県道のそばの小川でもホタルが捕れたのだ。小学校の1学期の終了式の日には決まって町中を流れる大きな川で花火大会が開かれた。その花火大会へ祖父につれていってもらうのも大きな楽しみだった。しかけ花火などもあり時間もかなり長くなかなか大掛りだった。小学校の頃の思い出には祖父とのつながりが特に強いものが多いようだ。小学校ではいわゆる「帰宅部」だったので暗くなってから帰ることはまずなかったが、めずらしく暗くなりかけてから家路についたとき、家屋のシルエットの上にいちだんと輝く星を見つけた。その宵の明星になぜか心が魅せられた。そのときの憧憬がその後の半生を導く原点となった。小学校からずっといっしょだったNさんを意識しはじめたのは中学校も後半になってからだっただろうか。あるとき席替えでNさんが自分のすぐ前になり、意を決してエンピツでNさんの肩をちょっとたたいた。そして勉強のことか何かを質問した、特に必要もないのに。人知れず自分の身体のなかにも性の意識は芽吹きはじめていたがまだまだ純情だったのだ。
出雲の地と北陸の地。同じ日本海側だからだろうか、この「美しい雲の国」を読むといつも同じ薫りを感じてしまう。著者が「生身の女の子」だった頃を美雲に託したように、人にはわからなくとも生身の男の子だった自分のことを思い出してしまう。人にすすめたいというよりは自分の中にだけそっと置いておきたい本である。(原文 2004.03.15 記)