「白秋」に想ふ―辞世へ向けて

人生の第三ステージ「白秋」のなかで、最終ステージ「玄冬」へ向けての想いを、本やメディアに託して綴る。人生、これ逍遥なり。

『数学入門』

2005年04月25日 | Science
数学入門(上・下)(遠山啓・著、岩波新書)
 ずいぶんと前に買った本をパラパラと見返すことがよくある。ちなみに本書上巻の奥付を見てみると第1刷の発行が1959年で、買ったのが1969年発行の第17刷である。半世紀近く前の本ということになるが、内容に古さを感じさせないのは数学という学問の性質によるものだろうか。そんなことを思いながらページをめくっているとたまたま複素数のところで目がとまった。実数から複素数への拡張や複素平面(本書ではガウス平面といっている)を高校で習ったのはもうかなり昔のことだが、大学で微分方程式と複素関数論をいっしょにした科目の単位を取るのに苦労した記憶はさほど古いものではない。しかし、なぜ複素数を直交座標の複素平面上に表す必要があるのか(なぜ虚数軸が実数軸に直交しているのか)については、そのどちらでも納得のいく説明を受けた覚えがない。ところが、本書では1ページにも満たない紙幅でそのことがわかりやすく説明されていた。
 そもそも-1をかけるという操作は実数をのせた直線を0のまわりに180°だけ回転することである(例えば3×(-1)=-3、-2×(-1)=2である)。×iの2乗は×(-1)に等しいから180°の回転を意味する。ならば×iはその半分の90°の回転を意味するはずである。ゆえに虚数軸は実数軸に直交することになる。「目から鱗」とはまさしくこのことである。こういうことこそ純粋な知的刺激というにふさわしいとも思う。しかし、そこにたどりつくまでにはやはり根気が不可欠である。著者の遠山氏も「はしがき」で数学の勉強に特別な構えは不必要としながらも多少の根気は必要であると書いている。その根気を身に付けさせることこそが最も教育で重要なことなのかもしれない。そのような教育もまた根気のいる仕事にちがいないのだが、いまの学校の教師の多くは教育以外のことに忙殺されてその根気を失っているように思えてならない。(原文 2004.03.10 記)
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