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『素数ゼミの謎』(吉村仁・著、文藝春秋)
アメリカに13年あるいは17年ものあいだ地中にて、一度に同じ場所で大発生するセミがいる。名づけて「素数ゼミ」。この「素数」は地中にいる期間の13あるいは17が素数(1と自分自身でしか割ることのできない数)であることからきている。それにしても、なぜ15や16や18ではなくて、13や17という素数なのだろうか。何年間かの周期で発生してくるセミを「周期ゼミ」というそうだが、「素数ゼミ」もその一種である。「周期ゼミ」の祖先は氷河時代にまでさかのぼる。当時は13年周期や17年周期のセミだけではなく、15年周期や16年周期や18年周期のセミもいたと考えられている。ところで、それらのセミは同じ種に属していたので、交雑が可能だったのだが、それらの交雑の周期は最小公倍数に依存することになる。たとえば(話を簡単にすると)、
15年ゼミと16年ゼミでは240年周期
15年ゼミと17年ゼミでは255年周期
15年ゼミと18年ゼミでは90年周期
16年ゼミと17年ゼミでは272年周期
16年ゼミと18年ゼミでは144年周期
17年ゼミと18年ゼミでは306年周期
となる。これを見て明らかなのは素数ゼミ(17年ゼミ)が他のグループとあまり交雑しないことである。ここに素数のもつ不思議な性質が現れている。氷河時代という環境下では交雑はマイナスにはたらき、結果的に素数ゼミが生き残ったのだ。
この本はイラストや写真も多く、1時間もあれば読めてしまうような本である。多くの漢字にふりがなもふられていて、小学校の高学年ならば読めるように思う。しかし、その内容は「アメリカン・ナチュラリスト」という学会誌に発表された、この本の著者の論文が元になっていて、学問的なレベルはけっして低くない。ちなみに、本書は日本進化学会の教育啓蒙賞も受賞している。この本を読んで思ったのは、進化論は科学(その定義はさておいて)というよりはたんなる「お話」と思われたりすることも多いのだが、ここでは素数という科学(数学)が進化論に活かされていて、進化論も科学であることがよくわかる。タイトルの“Magicicada”とは「素数ゼミ」の英語名だそうで、いうまでもなく“Magic”は「魔法」を意味していて、“cicada”は「セミ」のことである。
アメリカに13年あるいは17年ものあいだ地中にて、一度に同じ場所で大発生するセミがいる。名づけて「素数ゼミ」。この「素数」は地中にいる期間の13あるいは17が素数(1と自分自身でしか割ることのできない数)であることからきている。それにしても、なぜ15や16や18ではなくて、13や17という素数なのだろうか。何年間かの周期で発生してくるセミを「周期ゼミ」というそうだが、「素数ゼミ」もその一種である。「周期ゼミ」の祖先は氷河時代にまでさかのぼる。当時は13年周期や17年周期のセミだけではなく、15年周期や16年周期や18年周期のセミもいたと考えられている。ところで、それらのセミは同じ種に属していたので、交雑が可能だったのだが、それらの交雑の周期は最小公倍数に依存することになる。たとえば(話を簡単にすると)、
15年ゼミと16年ゼミでは240年周期
15年ゼミと17年ゼミでは255年周期
15年ゼミと18年ゼミでは90年周期
16年ゼミと17年ゼミでは272年周期
16年ゼミと18年ゼミでは144年周期
17年ゼミと18年ゼミでは306年周期
となる。これを見て明らかなのは素数ゼミ(17年ゼミ)が他のグループとあまり交雑しないことである。ここに素数のもつ不思議な性質が現れている。氷河時代という環境下では交雑はマイナスにはたらき、結果的に素数ゼミが生き残ったのだ。
この本はイラストや写真も多く、1時間もあれば読めてしまうような本である。多くの漢字にふりがなもふられていて、小学校の高学年ならば読めるように思う。しかし、その内容は「アメリカン・ナチュラリスト」という学会誌に発表された、この本の著者の論文が元になっていて、学問的なレベルはけっして低くない。ちなみに、本書は日本進化学会の教育啓蒙賞も受賞している。この本を読んで思ったのは、進化論は科学(その定義はさておいて)というよりはたんなる「お話」と思われたりすることも多いのだが、ここでは素数という科学(数学)が進化論に活かされていて、進化論も科学であることがよくわかる。タイトルの“Magicicada”とは「素数ゼミ」の英語名だそうで、いうまでもなく“Magic”は「魔法」を意味していて、“cicada”は「セミ」のことである。