「白秋」に想ふ―辞世へ向けて

人生の第三ステージ「白秋」のなかで、最終ステージ「玄冬」へ向けての想いを、本やメディアに託して綴る。人生、これ逍遥なり。

『進化倫理学入門』

2009年08月29日 | Science
『進化倫理学入門』(内藤淳・著、光文社新書)

  なぜ「ウソをついてはいけないのか」、なぜ「人を殺してはいけないのか」。たとえば子どもに聞かれたとき、明確に理由を説明できるだろうか。少し考えてみると、道徳や倫理の根拠は意外と曖昧なものである。道徳や倫理の根拠を進化生物学―とりわけ人間行動進化学―によって説明しようとする立場を進化倫理学という。欧米では進化倫理学関係の本が多数出版されていて、少なからず日本でも翻訳されている。しかし、日本人の手による進化倫理学の著作はひじょうに少ないのが現状である。
  著名な科学哲学者である内井惣七さんの『進化論と倫理』は翻訳書ではないオリジナルな著作として稀有な存在だが、読みやすいながらも高度な内容を含んでいる。その点、本書は「入門」と銘打ってあるだけあって、わかりやすい説明がなされている。各章の最初と最後に「問い」と「答え」をおき、まとめの「復習」で論点の整理をするなど、興味深い(初学者向けの?)配慮も評価したい。
  第1章から第3章までは、人間の本性から見た「利己的行動」から「血縁者への愛」を経て「互恵的利他行動」へと話が進み、進化倫理学の基本が述べられている。本書の主題あるいは真骨頂というべきは、やはり第4章と第5章である。「善悪」といった道徳も結局は利害損得で成り立っていると著者の内藤さんは主張する。さらに「正しい社会のあり方」も「利益」によって導かれるとする。もちろん利害損得や「利益」といっても目先の損得のことではなく、一言でいえば「情けは人のためならず」の延長線上にある「長期的な利益」のことである。
  「正しい社会」(だれにとっても利益的な社会)では「合意」によるルール作りがなされなければならないが、その条件として「メンバー全員に資源獲得機会が配分されること」とも指摘している。しかし、「配分」の具体的な様式は人為的(たとえばリーダーたる権力者によるもの)であったり身分の固定化(たとえば士農工商)によるものだったりする。そのことを踏まえて、憲法で規定された「人権保障」(「自由権」と「社会権」)を「配分」原理として内藤さんは高く評価する。進化倫理学の入門書でありながら法的な内容まで踏み込んでいるのは、著者が生物学者や倫理学者ではなく法哲学を専攻しているからだろう。その意味でも入門書を超えてなかなか勉強になった。
  進化倫理学は自然科学から人文社会科学へと橋渡しする学問分野の一つである。自然科学と人文社会科学とを結ぼうとすると、必ずといっていいほど問題になるのが「自然主義的誤謬」である。価値中立的な自然科学から「~すべき」という価値判断を導くことができるかということである。本書でもうまくクリアされているのかどうか、本当のところよくわからなかった。しかし、個人的には「自然主義的誤謬」に拘泥するのはあまり意味がないように思う。学問的な態度ではないといわれればそれまでだが、哲学的な議論には目をつぶって、もう少し建設的な議論をしてはどうだろうか。
  奇しくも明日は政権選択をかけた衆院選である。われわれ国民は「利己的」な政治に翻弄されっぱなしである。「人権保障」たる「配分」も踏みにじられるばかりだ。為政者の「短期的な利益」に目を奪われることなく、「長期的な利益」を見据えて行動しなければならない。明日こそは大いに「利己的」になろうではないか!

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