『進化とはなんだろうか』(長谷川眞理子・著、岩波ジュニア新書)
進化という現象あるいは進化論には以前から興味があり、話題になった本はそれなりに買ってきた。時間的な制約などもあってツンドク状態も少なくないが、実際に読んだ本についていうと、進化の基本が理解できていないと思うことがよくある。そこで一度基本にもどってみようと思い、最初に思い浮かんだのが本書だった。著者の長谷川眞理子さんは日本進化学会の現会長だが、いままでに進化関係の著書や訳書を何冊も手掛けてきた人だけに、文章はとてもわかりやすい。内容は高校「生物」プラスアルファといった感じだが、レベルはけっして低くない。
いうまでもないが、進化は見た目の形態上の変化だけではなく、分子レベルでも起こっている。分子レベルでの変化は「淘汰の上では可もなく不可もなしの中立な変化なのではないか」とする考えが「分子進化の中立説」である。ポート・ジャクソンザメは3億年前からほとんど姿形が変わっておらず、シーラカンスと同様に生きた化石いわれている。ヘモグロビンの分子の進化に注目して、その変化の比率を比較するとポート・ジャクソンザメとヒトはほとんど同じであるという。これは中立の変化が確率的に起こって蓄積した証拠である。ところがサメとヒトの形態は大きく異なっている。ポート・ジャクソンザメは昔からほとんど変わらない環境で生活してきたが、ヒトに進化してきた系統はさまざまな環境に進出してきた。その結果、ポート・ジャクソンザメの形態にはほとんど自然淘汰が働かず、ヒトに至る系統は自然淘汰が働き形態に変化が生じたと考えられる。この話などは「中立説」の説明に加えて、自然淘汰と確率過程の関係というレベルの高い内容をうまく説明しているように思う。
進化を語る上で、自然淘汰の目的論的な解釈は避けて通ることができない。本書は入門書ということもあり深くは触れていないが、それでも「進化は進歩ではない」ことを述べている。人間が進化を進歩と誤解するのは、人間がつねに目的をもって行動し進歩しようとしているからであり、その見方を他の生き物にも当てはめるからだろう。それは人間中心主義であり、人間の価値観を離れて虚心坦懐に見る必要があると長谷川眞理子さんは書いている。進化のメカニズムに終わらず、この一節が書き加えられているだけでも本書は教育的である思う。
中学・高校を通じて理科は嫌いではなかったが、「生物」という分野・教科にはいまひとつ興味が持てなかった。いろいろな理由があったように思うが、ひとつには網羅的な知識を詰め込まれるという印象が強かったからかもしれない。しかし、生物の統一的な「原理」である進化やDNAの話だけはとてもおもしろかった。驚いたことに、長谷川眞理子さんも同じようなことを本書で書いている。実際の生き物に触れたり観察したりすることで「生物」に興味を持つこともあるだろうが、一方で断片的な知識の押し付けに嫌気をさす学生も少なくないのではないか。だとするならば、「生物」ではやはり「進化」をもっと本格的に教えるべきであろう。近年、バイオや医療に関連してDNAなどの分子生物学的な分野は重要視されているようだが、進化もまたないがしろにされてはならないと考える。学生に興味を持たせる意味だけではなく、進化は生物を理解し研究する上で第一原理であるはずだから。
進化という現象あるいは進化論には以前から興味があり、話題になった本はそれなりに買ってきた。時間的な制約などもあってツンドク状態も少なくないが、実際に読んだ本についていうと、進化の基本が理解できていないと思うことがよくある。そこで一度基本にもどってみようと思い、最初に思い浮かんだのが本書だった。著者の長谷川眞理子さんは日本進化学会の現会長だが、いままでに進化関係の著書や訳書を何冊も手掛けてきた人だけに、文章はとてもわかりやすい。内容は高校「生物」プラスアルファといった感じだが、レベルはけっして低くない。
いうまでもないが、進化は見た目の形態上の変化だけではなく、分子レベルでも起こっている。分子レベルでの変化は「淘汰の上では可もなく不可もなしの中立な変化なのではないか」とする考えが「分子進化の中立説」である。ポート・ジャクソンザメは3億年前からほとんど姿形が変わっておらず、シーラカンスと同様に生きた化石いわれている。ヘモグロビンの分子の進化に注目して、その変化の比率を比較するとポート・ジャクソンザメとヒトはほとんど同じであるという。これは中立の変化が確率的に起こって蓄積した証拠である。ところがサメとヒトの形態は大きく異なっている。ポート・ジャクソンザメは昔からほとんど変わらない環境で生活してきたが、ヒトに進化してきた系統はさまざまな環境に進出してきた。その結果、ポート・ジャクソンザメの形態にはほとんど自然淘汰が働かず、ヒトに至る系統は自然淘汰が働き形態に変化が生じたと考えられる。この話などは「中立説」の説明に加えて、自然淘汰と確率過程の関係というレベルの高い内容をうまく説明しているように思う。
進化を語る上で、自然淘汰の目的論的な解釈は避けて通ることができない。本書は入門書ということもあり深くは触れていないが、それでも「進化は進歩ではない」ことを述べている。人間が進化を進歩と誤解するのは、人間がつねに目的をもって行動し進歩しようとしているからであり、その見方を他の生き物にも当てはめるからだろう。それは人間中心主義であり、人間の価値観を離れて虚心坦懐に見る必要があると長谷川眞理子さんは書いている。進化のメカニズムに終わらず、この一節が書き加えられているだけでも本書は教育的である思う。
中学・高校を通じて理科は嫌いではなかったが、「生物」という分野・教科にはいまひとつ興味が持てなかった。いろいろな理由があったように思うが、ひとつには網羅的な知識を詰め込まれるという印象が強かったからかもしれない。しかし、生物の統一的な「原理」である進化やDNAの話だけはとてもおもしろかった。驚いたことに、長谷川眞理子さんも同じようなことを本書で書いている。実際の生き物に触れたり観察したりすることで「生物」に興味を持つこともあるだろうが、一方で断片的な知識の押し付けに嫌気をさす学生も少なくないのではないか。だとするならば、「生物」ではやはり「進化」をもっと本格的に教えるべきであろう。近年、バイオや医療に関連してDNAなどの分子生物学的な分野は重要視されているようだが、進化もまたないがしろにされてはならないと考える。学生に興味を持たせる意味だけではなく、進化は生物を理解し研究する上で第一原理であるはずだから。
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