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☆『宇宙は何でできているのか』(村山斉・著、幻冬舎新書)☆
本書がよく売れているのは知っていた。内容にも興味がないわけではなかった。ところが、へそ曲がりというか天の邪鬼というか、ベストセラーと聞かされると逆に手に取るのを控えるようなところがある。今度は中央公論新社主催の「新書大賞2011」に選ばれたと聞いた。「新書大賞」がどのように選ばれるのか、どれくらい権威があるのか詳しいことは知らないが、数ある新書の中から第1位に選ばれたのだから、いずれにしても快挙とはいえそうだ。なぜそれほどまでに売れたのか(有名になったのか)、その答えを知りたくて読んでみた。
一読して、なかなかわかりやすく書かれているという印象を持った。宇宙論と素粒子物理学とのつながりは意外とわかりにくい。そのあたりも「ウロボロスの蛇」の例えどおり、うまく説明されている。ベースとなっている専門的な知識は非常に高度なはずだが、良い意味でうまくごまかして書いている感じがした。そこは著者・村山さんの才能といえそうだ。ただ、大学学部程度とはいえ物理の素養が少しはあるはずなので、その目を通した感想であり、万人に当てはまるとはいえないだろう。
アマゾンのレビューを見てみると、さすがに本書の価値を全否定するようなものはないようだ。しかし、★の数が5つ、4つ、3つで同じくらいに分かれていて、微妙な評価のちがいが感じられた。もろ手を挙げて賞賛する人がいる一方で、興味を持って読み始めたが結局難しかった、ついていけなかったという人も多いようだ。
難しかったという人を非難しようとは思わない。物理の基本的な素養がなければ、難しく感じるのは当然のように思う。だからといって、著者にもっとやさしく書けというのも無理難題だろう。最先端の科学を、その本質を損なわずに、誰にでもわかるように説明するのは、科学者にとってたぶんノーベル賞を取るより難しい。
思うに、この手の本を読むために最も必要なのは忍耐力ではないだろうか。そして、その忍耐力を支えているのは純粋な好奇心ではないかと思う。中学、高校の頃、物理などの理系志望だったとはいえ、物理や数学の成績はけっして良くなかった。それにもかかわらず、大学あるいは大学院レベルの物理や天文の本を読んでひとり悦に入っていた。内容が理解できていたとは到底思えない。それでも読んでいたのは、この世界を形作る法則を知りたいという好奇心に支えられていたからだろう。あるいは、宇宙の法則を知ろうとしている自分に自負心を感じていたからかもしれない。
この本を隅々まで理解しようとする必要はない。理解できなくても悔いることはないし、読み通す忍耐力がなくても恥じることもない。忍耐力を支える好奇心がなかっただけのことだ。もちろんだからといって、好奇心がないことを恥じることもない。やはり中学、高校の頃、政治や経済などの社会科学書を手に取ることはなかった。もし読み始めても、数ページも行かぬ先に挫折していただろう。好奇心の程度も方向も、人それぞれ違うものなのだ。
途中で本書を投げ出した人が少なくなかったとしても、とにかく手に取り読み始めた人が多数いたのはたしかだ。あの「はやぶさ」の快挙と連動していた部分もあったのかもしれない。しかしそれ以上に、そもそも宇宙のことを知りたいという素朴な好奇心や、宇宙にロマンを感じる人たちがたくさんいることの表れではないかと思う。自分の専門の話にはそっぽを向いていても、宇宙の話をすると多くの人が喰いついてくると、友人の科学技術者が話していた。宇宙というロマンの舞台に「はやぶさ」が飛跡を描き、本書のブームに火を付けたのかもしれない。もちろんそこに村山さんの語り口や、湯川さんから益川さんたち3人に至る日本人ノーベル物理学賞受賞者など、トピックの取り上げ方のうまさが相乗効果を挙げたように思う。
政権交代を果たしたにもかかわらず、日々の生活は閉塞感が深まる一方のように見える。閉塞感から一時でも抜け出すために、広大な宇宙へと目を向ける人が多いようにも感じる。本書が売れた背景に、そういった社会心理的な要因を見るのは行き過ぎだろうか。われわれは宇宙のロマンを見ながら、それが地上の歪んだ姿の影絵だとしたら、興醒めも甚だしい。宇宙を見るとき、自分は宇宙に何を見ているのか、問い直してみることも必要だろう。
最後に蛇足を一言。本文中に「(笑)」という表現がときどき出てくるが、どうも好きになれない。ジョークのつもりかもしれないが、対話文ではないのだし、むしろ文章の品を下げるように思うのだが、どうだろうか。
本書がよく売れているのは知っていた。内容にも興味がないわけではなかった。ところが、へそ曲がりというか天の邪鬼というか、ベストセラーと聞かされると逆に手に取るのを控えるようなところがある。今度は中央公論新社主催の「新書大賞2011」に選ばれたと聞いた。「新書大賞」がどのように選ばれるのか、どれくらい権威があるのか詳しいことは知らないが、数ある新書の中から第1位に選ばれたのだから、いずれにしても快挙とはいえそうだ。なぜそれほどまでに売れたのか(有名になったのか)、その答えを知りたくて読んでみた。
一読して、なかなかわかりやすく書かれているという印象を持った。宇宙論と素粒子物理学とのつながりは意外とわかりにくい。そのあたりも「ウロボロスの蛇」の例えどおり、うまく説明されている。ベースとなっている専門的な知識は非常に高度なはずだが、良い意味でうまくごまかして書いている感じがした。そこは著者・村山さんの才能といえそうだ。ただ、大学学部程度とはいえ物理の素養が少しはあるはずなので、その目を通した感想であり、万人に当てはまるとはいえないだろう。
アマゾンのレビューを見てみると、さすがに本書の価値を全否定するようなものはないようだ。しかし、★の数が5つ、4つ、3つで同じくらいに分かれていて、微妙な評価のちがいが感じられた。もろ手を挙げて賞賛する人がいる一方で、興味を持って読み始めたが結局難しかった、ついていけなかったという人も多いようだ。
難しかったという人を非難しようとは思わない。物理の基本的な素養がなければ、難しく感じるのは当然のように思う。だからといって、著者にもっとやさしく書けというのも無理難題だろう。最先端の科学を、その本質を損なわずに、誰にでもわかるように説明するのは、科学者にとってたぶんノーベル賞を取るより難しい。
思うに、この手の本を読むために最も必要なのは忍耐力ではないだろうか。そして、その忍耐力を支えているのは純粋な好奇心ではないかと思う。中学、高校の頃、物理などの理系志望だったとはいえ、物理や数学の成績はけっして良くなかった。それにもかかわらず、大学あるいは大学院レベルの物理や天文の本を読んでひとり悦に入っていた。内容が理解できていたとは到底思えない。それでも読んでいたのは、この世界を形作る法則を知りたいという好奇心に支えられていたからだろう。あるいは、宇宙の法則を知ろうとしている自分に自負心を感じていたからかもしれない。
この本を隅々まで理解しようとする必要はない。理解できなくても悔いることはないし、読み通す忍耐力がなくても恥じることもない。忍耐力を支える好奇心がなかっただけのことだ。もちろんだからといって、好奇心がないことを恥じることもない。やはり中学、高校の頃、政治や経済などの社会科学書を手に取ることはなかった。もし読み始めても、数ページも行かぬ先に挫折していただろう。好奇心の程度も方向も、人それぞれ違うものなのだ。
途中で本書を投げ出した人が少なくなかったとしても、とにかく手に取り読み始めた人が多数いたのはたしかだ。あの「はやぶさ」の快挙と連動していた部分もあったのかもしれない。しかしそれ以上に、そもそも宇宙のことを知りたいという素朴な好奇心や、宇宙にロマンを感じる人たちがたくさんいることの表れではないかと思う。自分の専門の話にはそっぽを向いていても、宇宙の話をすると多くの人が喰いついてくると、友人の科学技術者が話していた。宇宙というロマンの舞台に「はやぶさ」が飛跡を描き、本書のブームに火を付けたのかもしれない。もちろんそこに村山さんの語り口や、湯川さんから益川さんたち3人に至る日本人ノーベル物理学賞受賞者など、トピックの取り上げ方のうまさが相乗効果を挙げたように思う。
政権交代を果たしたにもかかわらず、日々の生活は閉塞感が深まる一方のように見える。閉塞感から一時でも抜け出すために、広大な宇宙へと目を向ける人が多いようにも感じる。本書が売れた背景に、そういった社会心理的な要因を見るのは行き過ぎだろうか。われわれは宇宙のロマンを見ながら、それが地上の歪んだ姿の影絵だとしたら、興醒めも甚だしい。宇宙を見るとき、自分は宇宙に何を見ているのか、問い直してみることも必要だろう。
最後に蛇足を一言。本文中に「(笑)」という表現がときどき出てくるが、どうも好きになれない。ジョークのつもりかもしれないが、対話文ではないのだし、むしろ文章の品を下げるように思うのだが、どうだろうか。
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