「白秋」に想ふ―辞世へ向けて

人生の第三ステージ「白秋」のなかで、最終ステージ「玄冬」へ向けての想いを、本やメディアに託して綴る。人生、これ逍遥なり。

もう一つの快挙―『イカロス君の大航海』

2011年03月03日 | Science
☆『イカロス君の大航海』(澤田弘崇・監修・文、みみみみドイツ・ゆうきよしなり・イラスト、宇宙航空研究開発機構・編集、日経印刷株式会社・発行)☆

  「イカロス」(IKAROS)とは、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が研究開発した「小型ソーラー電力セイル実証機」(Interplanetary Kite-craft Accelerated by Radiation Of the Sun)のことである。もちろんギリシャ神話に出てくる「イカロス」にもかけている。少年イカロスは鳥の羽を集めて蝋で固めた翼を作り、空を飛んだが、太陽に近づきすぎたため蝋が溶け、墜落してしまったという。若者の暴走を戒める例えとしてよく出されるが、墜落のイメージからすれば、宇宙機の名前としては相応しくないように思える。しかし、JAXAの担当者は新たな技術革新で宇宙開発に挑戦する姿を少年イカロスに投影しているようだ。「イカロス」に託された夢は大きい。
  「イカロス」は宇宙ヨットとも呼ばれる。ヨットは風を帆に受けて走るが、「イカロス」は太陽の光を帆に受けて宇宙空間を進む(※)。帆(ソーラーセイル)はポリイミドという材料で作られており、その厚さは髪の毛の十分の一程度だという。ソーラーセイルには薄い太陽電池が貼られており、自ら発電して進むこともできる。「ソーラー電力セイル」とはそのことを意味している。帆は広げると一辺が14mもある正方形になるが、打ち上げ時には宇宙機本体に巻き付けられており、打ち上げロケットから分離後、宇宙空間で遠心力を利用して展開される。その様子は、本書の右ページの隅に、いわゆるパラパラマンガで再現されている。
  「イカロス」は「はやぶさ」とは異なり、実際に宇宙探査をしたわけではない。しかし、将来宇宙探査で役立てられる予定のさまざまな革新的技術やアイデアを、実際の宇宙空間で試したことに意義がある。「イカロス」が「実証機」と名付けられた所以はそこにある。「イカロス」は2010年5月21日に種子島宇宙センターから打ち上げられた。それから1カ月もしない6月13日に「はやぶさ」が地球に帰還を果たした。本書によれば、その数日前(6月9日)に「イカロス」は帆の展開に成功した。その成果はニュースでも流れたが、世間の目は一気に「はやぶさ」に注がれた。「はやぶさ」は科学技術の枠を超えて社会現象にもなったが、その陰で「イカロス」もまた、もう一つの大きな快挙を成し遂げていたのである。
  この本は絵本の形式をとっているが、内容の程度はけっして低くない。「イカロス」について、ある程度の予備知識は持っていたつもりだが、本書で初めて知った事実も少なくない。例えば「イカロス」は分離カメラによって宇宙機本体の全身写真の撮影に成功している。宇宙での全身写真の撮影は世界初だという。SFやイラストなどで宇宙空間に浮かぶ宇宙船や探査機の姿を見慣れているからか、この事実は意外だった。「イカロス」の旅立ちと「はやぶさ」の帰還が重なったことで、地上の通信アンテナの運用が大変だったという事実なども知られていないのではないだろうか。
  個人的には「はやぶさ」よりも「イカロス」に肩入れしたい気持ちがある。たまたま「イカロス」の研究開発や本書の出版に関係した友人が身近にいたからだ。「イカロス」がソーラーセイルの展開に成功したとき、高揚したメールが届いたのを覚えている。研究者冥利に尽きる歓びを羨ましく思ったものだ。しかし「イカロス」の成功は、個人的な事情を超えて、想像以上に大きいように思う。「イカロス」の帆の畳み方と展開の方法は、日本特有の発想に基づいているように思う。もちろん太陽光の圧力を推進力としている点も、世界初の快挙として大きく評価されるべきである。
  いまや日本の宇宙開発技術は欧米やロシアと比べても、遜色ないものになりつつあるように思う。日本の宇宙開発は、少なくともいままでは軍事利用とは一線を画し、平和利用を目的として進んできたことも誇るべきことだろう。「イカロス」や「はやぶさ」の成功はその現れである。しかし研究者は、その成功を一過性の社会現象として終わらせることなく、国民に対して研究開発の必要性を地道に説き続けなければならない。いずれ「イカロス」の成果が「実証」から「利用」へと活かされたとき、「イカロス」関係者もいっそう大きな責務(説明責任)を負うことになるだろう。一方で国民もまた夢に酔うだけでなく、冷静な判断が求められていることを忘れてはならない。科学技術は専門家と一般人との共通理解の上に立って進めるべきであり、宇宙開発はその具体的な“実証”の場といえそうである。

(※)本書でも若干触れられているが、「太陽風」は「太陽の光」とは異なる。太陽風は電離した水素やヘリウムが太陽から流れ出たものである。「イカロス」が帆で受けているのは太陽光の圧力であり、放射圧ともいわれる。100年以上も前に実験的に証明された。余談だが、夏目漱石の『三四郎』に光線の圧力を測定する話が出てくる。話題の出処は漱石と親交のあった物理学者の寺田寅彦であると思われる。

「イカロス」の詳細については「IKAROS(イカロス)専門チャンネル」を参照してください。

  

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