「白秋」に想ふ―辞世へ向けて

人生の第三ステージ「白秋」のなかで、最終ステージ「玄冬」へ向けての想いを、本やメディアに託して綴る。人生、これ逍遥なり。

『科学を短歌によむ』

2007年12月04日 | Science
『科学を短歌によむ』(諏訪兼位・著、岩波書店)
  ときどき短歌や俳句をよんでみたいと思うことがある。実際に作ってみたこともある。しかし、長続きがしない。そもそも才能もないし、あきっぽいからなのかもしれない。それでも、人の作ったものを読むのは好きだ。実に的確に情景を描写していて感心させられる。文は人なりというが、ときに文章よりも三十一文字や十七文字のほうが作者の思いを雄弁に語ってくれる。本書は科学者による「短歌のすすめ」だが、科学者の人となり、とくに科学や社会や人間に対する思いを表現した短歌集ともいえる。
  中高生のころ物理学に興味を持ち始め、恥ずかしながら憧れの人は天才アインシュタインだった。科学への興味は科学者への憧れにもつながるものだ。そのアインシュタインに傾倒し、相対性理論を本格的に日本に紹介した石原純がよんだ歌。

  世を絶えてあり得ぬひとにいま逢ひてうれしき思ひ湧くもひたすら

  石原が憧れの人アインシュタインに会ったときの嬉しさが伝わってくる。石原は歌人としても著名だったが、女流歌人の原阿佐緒との恋愛事件で東北帝国大学を辞職した。

  ニュートンのありへし部屋に学生の今も住むとふ窓も見えつつ

  日本初のノーベル賞に輝いた湯川秀樹が、かつてニュートンがいたケンブリッジ大学を訪れたときによんだ歌。物理学の偉大な先達であるニュートンがいた部屋にいまも学生が住んでいるという。日本にはない西洋の科学の伝統に思いを馳せたのだろう。高校生のころ、物理学への憧れから、これまた恥ずかしながら湯川の母校である京大を遠くからながめたことがある。当時の自分にとって、日本の理論物理学の伝統をになっていた京都大学は大きな憧れだった。もちろん憧れだけで終わってしまったが。
  ニュートンが集大成した古典物理学から現代の物理学へと進展したとき、アインシュタインの相対性理論とともに現代物理学の柱となったのは量子力学である。量子力学によれば電子は粒子であるとともに波動でもあるという。この不可思議な現象にこころが躍ったものだった。実験物理学者の上田良二も青春時代に同じ感慨をもったらしい。

  波と粒わが青春を揺がせし怒涛の如き量子力学

  科学は実験室のなかだけで営まれるものではないし、理論化することだけが科学者の興味の的とはかぎらない。野外に出て行われるフィールド・サイエンスもまた科学の重要な一面である。フィールドに出たとき、科学者もまた一人の人間として自然に畏敬の念をもつのかもしれない。

  二た月を黙してすごしぬアフリカの夜のサバンナ雷鳴轟く
  ビクトリア湖に雨沛然と降りそそぎ真横に長く稲妻走る

  前者はチンパンジーのアイちゃんの研究で有名な松沢哲郎の歌であり、後者は本書の著者である諏訪兼位さんがよんだ歌である。ともに類人猿の生態調査や地質調査でたびたびアフリカを訪れている科学者である。

  いま子どもたちの理科離れが問題になっている。同時に、環境問題などに見られるように、科学と社会との関係性が問われている時代でもある。理科教育を含めて、科学と社会とはどのように切り結んでいけばいいのだろうか。その問いかけに対する一つの実践として、最近「サイエンス・コミュニケーション」が話題になっている。科学と社会、科学者と一般人との間の敷居や壁を取りのぞき、双方向的なコミュニケーションを活発にしようとする試みである。その一つとして、科学の言葉で短歌をよむのもおもしろいのではないかと思う。永田和宏という細胞生物学者の歌はその好例ともいえるだろう。

  気化熱というやさしさにつつまれて驟雨ののちを森ははなやぐ

  サイエンス・コミュニケーションをどのように捉えるかは人によりさまざまである。この言葉が人の口に上り始めてから、まるで雨後のタケノコのように各地でサイエンス・カフェが開かれるようになった。サイエンス・カフェ自体を否定するつもりはない。小さな講演会やシンポジウムのようなサイエンス・カフェが果たしてサイエンス・カフェと呼べるのかという問題もあるが、それ以上に、科学をただ楽しくわかりやすく伝えることがサイエンス・コミュニケーションのすべてではないと思うからだ。科学がたしかにもっている負の面や、科学という営みが人間にとってどのような意味をもつのかという問いかけも、サイエンス・コミュニケーションの重要な役割であるはずだ。

  天地のわかれし時に成りしとふ原子ふたたび砕けちる今

  広島・長崎の原爆投下直後に湯川秀樹がよんだ歌である。天地の誕生とともに出現した原子が、いま原子爆弾として砕けちっている。科学は善でも悪でもなく価値中立であるという。しかし、いまや科学は悪役を背負わされているように思うことがしばしばある。環境破壊も原水爆も薬害も科学がなければ存在しなかったはずである。科学を研究し利用する科学者・技術者・為政者の倫理はもちろん問われなければならないが、科学のいわば「原罪」についても考えてみる時期がきているように思われる。
  このようなことを書いたり言ったりすると、あなたは結局のところ科学が好きではないのですね、という顔をされることが多い。自分は科学が好きである。科学の可能性を信じたいと思っている。だからこそ、科学が真っ当なものであってほしいと思うのだ。贔屓の引き倒しであってほしくない。話は短歌からずいぶんそれてしまったが、そんなことも考えさせてくれた本であった。

  壇上に学生ひとり手話をなす熱き眼おおし入学の式

  著者の諏訪さんは名古屋大学に長く勤めた後、日本福祉大学に移り学長を務められた。その日本福祉大学の入学式の情景をよまれた歌である。地質学者でありながら福祉大学の学長も務められた著者ならではの人間性があちこちで見え隠れしている、そんな本でもあった。

  やわらかき冬の光が身に泌みて生きよ生きよと我を温む

  三十年あまりにわたる原因不明の病気から再起された生命科学者の柳澤桂子さんの歌である。短歌が闘病生活の支えのひとつであったという。歳を得るにしたがって闘病や死は身近なものになってくる。そんなとき、こころの支えになってくれる短歌とは、なんとすばらしいものだろうか。巧拙はともかく、生きる糧として短歌がよめたらと思う。そんな短歌の魅力の片鱗くらいはわかったようにも思う。生きる糧は到底ムリだろうが、気楽な楽しみとしてもう一度挑戦してみようか。
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