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追悼 寺内タケシ

2021年06月20日 12時15分14秒 | 音楽
津軽じょんがら節

座右の銘は「ギターは弾かなきゃ音が出ない」
エレキの神様

加山雄三の「夜空の星」ではお世話になりました!

民謡の寺内タケシとブルージーンズのカセットテープを持っていいたことがあります

数年前、小杉のラポールに来られたことがありました!
もう、感動の感動の感動の嵐で、涙が止まりませんでした

空手もすごいんです!ラポールに来た時に花束贈呈で男の中学生が寺内タケシに空手をやらないか!と言ってましたが、男の子は興味がないと断っていました

昔のエピソードにこんなことも!
内田裕也を向かい入れた或る日、ジャズ喫茶で演奏中、時観客の中に騒ぐグループがいてステージ上で喧嘩が始まってしまうのです。
この時の事を寺内はこう語っています。
僕はキレた「お前ら、うるせーゾ。バカヤロー!」と騒いでる観客に向かって叫んだら、このグループは「何だと、このヤロー、応援しているのに、うるせー!とはよー」僕は「うるせーから、ウルセーっていってんだ、このタコ」でステージ上と客席で大声でバトルをしている時に「てめーら、寺内さんの言っている事がわからねェーのか。うるせーんだから、もっと黙って聴けよ。他の客も迷惑してるんだよ」と立ち上がっりグループに突進していった大男がブルージーンズの追っかけをしていた安岡力也だった!



エレキ禁止令への対抗と社会的貢献

第一期ブルージーンズ結成後しばらくして、エレキギターやグループ・サウンズは非行化の温床だという声が強まり、多くの学校でエレキギターが使用禁止にされた。高校生から寺内に手紙が届くようになり、寺内は各地の高校を訪ねたが、ほとんどは門前払いで、校長が話を聞いてくれたのは3校だけだった。

そこで寺内は母校の土浦三高を訪ねると温かく迎えられ、寺内はブルージーンズと共に母校で演奏。これが現在1500校を超えようとしている「ハイスクールコンサート」の第1校目であった。そうしたなかで1967年に「レッツゴー運命」(ベートーヴェンの「運命」のリメイク。1967年11月30日発行のレコード・マンスリーのシングルチャートで5位を記録)で第9回日本レコード大賞編曲賞を受賞し、理解が広まったという。

1976年にはソ連在住の白血病の8歳の少女に生演奏を聴かせるため、3千万円の赤字を覚悟でソ連ツアーを決行。 この最中の9月6日にミグ25事件が起きたが、直後の9月9日-12日にモスクワ・スポーツ宮殿で行われたコンサートは、当局の妨害もなく連日満員となった[4]。最終的に52日間のツアーが続けられ、42万人の観客を集めた。後に1981年(45日間、観客130万人)、1984年(43日間、観客57万人)にもソ連ツアーを開催。

この功績が認められ1981年12月22日には日本国際連合協会から感謝状と国連平和賞、84年には文化功労賞と音楽功労賞をそれぞれ授与された。なお、この年にはブラジル、アルゼンチンでもツアーを行っている。