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甘栗の思い出…

2005-11-26 02:50:36 | 日記&独り言☆
 毎年、秋から冬にかけて、どうしても無性に食べたくなるのが『天津甘栗』♪♪♪

 以前は、1袋を一気にその日のうちにたいらげてしまっていたけど、今は2日かけて食べています。。。

 何故、こんな風に甘栗を異常なほど食べるようになったかというと、それは、21年前に無くなった祖父が関係する…。。。


 小学2年まで、私と姉は道東・オホーツク海側にある丸瀬布町(現在は遠軽町と合併)で、母側の祖父母と、当時まだ中学生だった叔父・叔母達と一緒に住んでいたのですが、祖父が『木彫り熊』を札幌の得意先に届ける際、祖母と姉と私を一緒に連れて行ってくれた。。。
 その頃、どの乗り物に乗っても、私は『乗り物酔い』がひどく、特急列車に乗っている最中も、とにかく駅弁を食べられない程具合が悪くなり、必ず1~2度は吐いてしまうぐらいだった…。。。

 そんなある日、いつものように祖父の『木彫り熊』を札幌まで届けた後、何を思ったのか、祖父は『札幌名店街』(現:アピア)にある『天津甘栗』の店で、2番目に小さい袋に入った甘栗を購入した。。。そして、特急列車に乗ってから、どうやって食べるのかを見せてくれた後、
 「これはな、今日中に食べないと、明日になると美味しくなくなるんだ…」
 と言って、私に手渡した。。。
 それを聞いて、私は、必死になって甘栗の皮を剥いては食べるといった作業を、丸瀬布に着くまで延々と続けた。。。
 必死に食べた甲斐あって、丸瀬布に着く頃には、1袋を1人で全部たいらげていた…。。。

 その後も、札幌に連れて行ってもらう度、祖父は私に必ず甘栗を買ってくれた。。。当時は、祖父が何故そうするのか判らなかったけど、今思うと、私の『乗り物酔い』を少しでも軽減する為の、『苦肉の策』だったのかもしれない…。。。
 そして、最近判ったのですが、姉も、私ほどひどくはなかったにしても『乗り物酔い』をしていたらしく、祖父は姉には赤いネットに入ったミカンを買っていた…。。。

 あの頃は、まだ幼すぎて、祖父がどういう気持ちだったか理解出来ていなかったし、ただ単に、私が甘栗好きだからだとしか思っていなかったけど、祖父の愛情だったのかもしれない…。。。

 その話を、最近、母と一緒に甘栗を食べている時にすると、
 「…そうだったんだ…」
 と、ちょっと驚いていた。。。どうやら、母は知らなかったらしい。。。


 祖父はもう、21年前に亡くなってしまったけれど、もし、今生きていたら、高校生の妹をいいだけ甘やかすんだろうか…??? 想像してみると、思わずクスッと笑ってしまう…。。。

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