StellarHeart 67Ch🌟💙

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今更だけど、改めて、振り返り…①

2023-10-20 04:30:32 | 『推し』関連💘😍😇
https://note.com/stellarheart0607/n/n7df3f8a7312d?sub_rt=share_b

以前にも、この記事読んだ気がするけど、、、
しょっちゅう目にするって事は、無意識的に『推し』である某アーティストMさんから離れたいと思っているのかな…😥

7月29日開催の、HSさんのトーク&LIVEに、Mさんも出演なんだけど、、、
隅田川花火大会と日程がまる被りだし、隅田川花火大会は4年振りだから、絶対に観に行きたいんだけど、、、
MさんのLIVEにも行きたいという思いもあり、、、
且つ、Mさんが出演するLIVEに行けば行くほど、
「このLIVE行かなかったら、後悔するかも…」
って、最近、月1のLIVE行く事が、私の中で『義務化』しつつある感が否めない…😓
「推しは推せる時に推せ」
とか、
「ファンにメロメロになっていただくのが、僕のお仕事だから」
という福山雅治さんの『金言』聞いて以降、ネガティブな感情が一旦収まった、はずだったんだけど、、、
ここに来て、またネガティブ感情が再浮上してきたのと、
「私、今のままだと、本当にダメになるかもしれない😥」
という、『心のブレーキ』が発動したのもあって、良い機会だから、ちょっと冷静になろうかなと…😓

この『推し疲れ』って、、、
多分、昨年11月8日に参加した、もう1人の『推し』の中村孝則さん(美食評論家)のトークイベントに参加して以降からかもしれない…😥

当時、TM NETWORKの御三方の次ぐらいに『中村さん推し』だったのと、コロナ禍以降の久々のトークイベントという事もあって、イベント予約した3ヶ月以上も前から、
「久々に、生の中村さんに会える🥰」
と、めっちゃ楽しみにイベントの日が近づくのを、指折り数えて待ちわびていました…😊

そして、トークイベントに参加したわけだけど、、、
久々の、生の中村さんのトークを聞いていて、
「アレ…? 中村さんって、こんなに自己顕示欲強かったっけ…?」
と感じる内容の話題がチラホラあった…😥

更に、、、
同じゲスト登壇者である、井上稔浩シェフが、丸の内・大手町エリアが初めてで、ガチガチに緊張しながら話していたのに、一切フォローしなかった事、、、
トークイベント終了後、一緒にスマホで写真撮ってもらおうと順番待ちしていたら、途中でお手洗いに行ってしまい、5分以上戻らず、、、
戻ってきたら、メディア向けの取材が始まってしまい、結局、一緒に写真撮ってもらえなかった…😓
この事で、一気にスンッ!⤵と冷めてしまった…😓
今でも『推し』である事に変わりはないんだけど、、、
コロナ禍以前みたいに、中村さんに対しての『メロメロ感』が薄れてきていた…😓

で、、、
そのちょうど同じ時期ぐらいに、MさんがTwitter登録している事を知り、、、
ランニングしてるツイートとかをUPしているのを閲覧(たまに?リプしていた)しているうち、2月14日にLIVE開催されるのを知り、
「そういえば、MさんのLIVEって、一度も行った事無かったな…🤔」
と思い、予約受付開始日に、チケット予約…😅


LIVE当日、、、
ちょうどこの時期は、各デパートでバレンタインの催事が開催されていて、当日と翌日、休暇を取っていた私は、新宿エリアのデパートを数ヶ所ハシゴして、催事場限定のチョコレートやらイートインメニューを堪能しているうち、
「そういえば、LIVE、今日だったっけ…?🤔」
と、予約していた事を思い出し、
「…錦糸町って、新宿から電車で、どのくらいかかるのかな…?🤔」
と、脳内でグルグルと考えが廻っていた…😅
LIVEを予約していたけど、
「めっちゃ行きたい!」
というより、
「気が向いたら…🤔」
程度にしか思っていなくて、、、
あの時、もしLIVEに行かなければ、MさんのLIVEには、今頃まだ行っていなかったかもしれない…😅
ただ、、、
この時、私にしては珍しく(?)、
「…今から行けば、開演時間、間に合うかな…?🤔」
と思い立ち、、、
その直後、新宿駅に向かい、錦糸町駅方面へ行く電車に乗りました…🚃

錦糸町に着くと、LIVE会場を探しましたが、、、
最初、場所が全く分からなくて、錦糸町駅前周辺とかPARCO周辺を、同じトコを何度もグルグル歩き回り、ようやく、開場待ちの行列を見つけ、、、
恐る恐る、行列に並んでいる方に、
「この行列って、MさんのLIVEの行列で合ってますか?」
と声を掛け、確認してから、最後尾に並びました😅

開場時間になり、実際に会場入りして、
「えっ?!😳 待って、ステージと最後列、こんなに距離近いの?!😳」
と驚いたと同時に、
「ヤバい、近過ぎるっ😱 これじゃ、私の不細工な顔が見られてしまう😰」
と瞬時に判断し、ステージ上から一番離れた最後列の、更に、ステージ上から最も見えにくいであろう、壁の出ている出入り口付近から観る事に…😅
(以降、この場所が『定位置』となりました😅)

そして、、、
開場から30分後、ステージ上にスモークが出てきて、カウントダウンが始まり、会場内が暗転、、、
直後、ステージ袖から、Mさんが登場すると、パッ!とライトで照らされた…😳
この時、初めて、生のMさんを観て、生の歌声を聴く事に…😳

まず、実際に見た、Mさんの印象は、
「K先生に、めっちゃ似てる…🫣」
でした…😅
(K先生については、別記事で詳細を記述しているので、そちらを参照して下さい😓)
そして、初めて生の歌声聴いた印象は、
「デビュー当時から数年間ぐらいの、ウツさんの歌声に似てる…🤔」
です…😅

高校卒業以降、諸事情により、Mさんの情報を一旦遮断していた事もあり、聴いていなかった曲が殆どでしたが、
「今迄、私、何でMさんのLIVE、ちゃんと観に来なかったんだろう…😥」
と後悔するくらい、生のMさん(ナマモノ扱い😂)の歌唱力・表現力は、想像以上でした…😳

LIVEは、MさんのワンマンLIVEで、普通ならいるはずのギター🎸やベース、ドラム🥁、キーボード🎹といった演奏者が居らず、、、会場内に居たスタッフさん達は、LIVE配信映像を撮影したり、ステージ上のライトやオケの調整をしているに留まっていて、、、
ヘタすると、有観客で『お一人様カラオケ』を披露しているように観えなくもないトコだけど、、、
そういう事を微塵も感じさせない程、Mさんの表現力と歌声には説得力がありました…🥹
LIVEの後半、『◯et Me Alone』を歌い始めた時、
「ヤバいっ…🫢 この曲歌ってる時の声、めっちゃカッコイイんだけど…🫢」
と思いながら観ていた際、、、
一瞬、Mさんと目が合ったような気がして(今思うと、多分、勘違いだったかもしれないけど😅)、、、
その時のMさんの目線が、妖しい色香を帯びていたように見えてしまった私は、
「えっ…?!😳 ヤバいヤバいヤバいっ…🫣」
と、、、
LIVE終わった頃には、『Mさん沼』(😅)に片足を突っ込んでしまっていました…😅

でも、、、
今にして思えば、この時はまだ、片足を突っ込んだ程度だったのかもしれません…😥
Twitterの事がなければ…😓

https://news.yahoo.co.jp/articles/986976214c3d9c127f585d6d72e4f9228ab97c9b

今日もカフェでコーヒーを飲みながら④ 3.恐怖の給食時間…

2023-10-19 13:48:04 | コラム&エッセイ
当時の小中学校の給食時間は、昼休み時間と合わせて、せいぜい30〜45分程度でした。
しかも、クラスの全員が残さず完食しなければ、『連帯責任』で居残りしなければならないという、今考えてみると、相当くだらないルールがありました…。
また、給食に使われていた先割れスプーンは、物をきちんと刺す事が出来ない上、スープや味噌汁といった汁物をすくう際、先の方からこぼれ落ちてしまうような、非常に使い勝手の悪い代物でした…。
その為、他の同級生達は、食べる際、背中を丸めて猫背になり、口の中に流し込むかのように、殆ど咀嚼する事なく、かっ込んで食べていました。男子達は大体5〜10分程、女子達でも15分程で給食を食べ終えてしまい、まだ食べ終わっていない子を待っていました。全員食べ終わって空でなければ、体育館やグラウンドへ遊びに行けないからです…。
そして、私はというと、いつも最後まで残ってしまいました…。
それというのも、小さい頃から、祖父母や両親から、
「ゆっくり、よく噛みなさい」
「出来るだけ、食器の音を立てないようにしなさい」
「犬猫じゃないんだから、かっ込んで食べるんじゃない」
「背中を丸めたらみっともない。きちんと背筋を伸ばしなさい」
と、普段の食事の時や、外食の時に、いつも厳しく言われて育ってきた為に、皆のようにして給食を食べる事が出来なかったのです。
私は、皆が一斉に背中を丸め、犬猫のようにかっ込み、ガチャガチャ、クチャクチャと音を立てて食べている、異様な光景を目の当たりにして、食欲が失せ、食べられなくなってしまうのです…。
先に食べ終わっている同級生は、イライラして私を見たり、しびれを切らして私の周りを取り囲み、
「おいっ! Y内っ! さっさとしろっ!」
「いつまでチンタラ食ってんだよっ!」
「てめぇが食い終わんねーと、休み時間なくなるだろっ!」
「トロくせーなっ!」
「そんなの、一気に口ん中に流し込んで飲んじまえばいいだろっ!」
と、野次を飛ばしてきました。
私は、その野次に耐え切れず、いつも泣き出してしまい、
「もう、食べられませんっ…」
と、泣きながらO瀬先生に言い、給食を残してしまいました。
パンと牛乳など、袋やパックに入っている物は、手を付けず、家に持って帰るか、体格の良い男子や、おかずをおかわりするような食欲旺盛な子達に先にあげたりするようにして、少しでも時間を短縮しようとしました。
けれど、午後の授業中、お腹が空いてきて、授業に集中出来なくなったり、体育の授業ではスタミナがなくなり、悪循環になってしまいました…。

そんな事が積み重なり、次第に、『いじめ』をエスカレートさせていく要因に結び付いてしまいました…。


そして…、
ある日の給食時間、当番の子が、私の机の上に袋に入ったパンを置いた直後、近くにいたN良君という小柄な男子が、そのパンを取り上げ、
「お前、どうせまた、残すんだろっ?」
と言って、バーンッ!と床に叩きつけるように投げました。更に、次の瞬間、N良君はパンを思い切り踏みつけました。
「ホラッ、お前なんか、これで十分だろっ」
と言い、ニヤッと笑うと、踏み潰したパンを拾って、私の机の上に投げつけました。
「うわっ…、汚ねぇっ…」
「ザマーミロ…」
他の子達は、その様子を見て、ニヤニヤと笑っていました。

そんな事が、給食時間の度に続くうち、私は、給食時間が恐くなっていき、学校では殆ど食べられなくなってしまいました。
また、それまで私がパンや牛乳をあげていた子達は、
「もうお前からパンとかもらうなって言われた…」
「Y内のを食べたら、バイ菌だらけになるって…」
と言い出し、私からパンや牛乳を受け取らなくなりました…。

今日もカフェでコーヒーを飲みながら③ 2.クラス替え…

2023-10-19 13:43:50 | コラム&エッセイ
K小学校へ転校した最初の3年生のクラスでは、一部の男子から、ごくたまに暴力を振るわれる事もありました。が、当時の担任のS井先生が、きちんと私達生徒に目を配っていてくれた為、3年生の頃は陰湿な『いじめ』に遭う事はありませんでした。


しかし…、
小学4年生になる頃、S井先生は別の小学校へ異動になってしまいました。
また、クラス替えによって、それまで比較的よく同じ班になっていた子達と、クラスが分かれてしまいました。
更に…、
私のいた1組には、同じ学年の男子の中でも、1クセも2クセもあるような問題児が寄せ集まってしまい、クラスの担任も、他校から異動してきたばかりのO瀬先生でした。
そして、ちょうどその頃、それまで男子達から『いじめ』を受けていたN島さんが、家庭の事情で転校していきました…。

1学期の間は、皆、クラス替えしたばかりという事もあってか、互いに様子を伺っているような状態でした。
女子達は、自分が『仲間外れ』にされないよう、新しい友達作りに必死になって、誰彼構わず、『交換日記』をする相手を探していました。
私も、数人ぐらいの女子に、「私と交換日記しようよ♪」と誘われ、あまり深く考える事なく、『交換日記』を始めました。
その『交換日記』に書き込んだ内容が、後々、『いじめ』の標的(ターゲット)を決める為の『弱み』にされてしまう事など、考えもせずに…。
大抵の子達は、「ここに書いた事は、みんなに内緒にしてね」「お互いに、何か秘密にしている事があったら、ここに書いて打ち明けて、秘密を共有しよう」などと言って誘いますが…、
言葉巧みに相手を油断させて様子を伺い、相手の弱みや欠点を探ろうとします。もちろん、そんな目的の場合、本気で相手と仲良くするつもりなんて、最初からありません…。

やがて、夏休みも終わり、2学期に入ってしばらく経つと…、
それまで、私と『交換日記』をしていた子達が、「ごめんね。他の子達とも交換日記してて忙しいから…」などと、様々な口実をつけて、1人、また1人と、次々と私から離れていき、他の仲良しグループに入ってしまいました。
更に、3年生の頃から同級生だったY崎さんも、次第に私と距離を置くようになり、他の子達と仲良しグループを作って遊ぶようになり、私は、少しずつ、同級生達から『シカト』され始めていきました…。
今思うと、この頃から既に私は、『いじめの標的』にされていたのかもしれません…。

今日もカフェでコーヒーを飲みながら② 1.最初のキッカケは、札幌への転校だった…

2023-10-08 03:45:44 | コラム&エッセイ
私は、物心ついた頃には既に、道東・オホーツク海側でも比較的山間部にある、M町という田舎町に住んでいました。
当時、私と2歳上の姉の実父と離婚していた母は、私と姉をM町の祖父母に預け、生活費を稼ぐ為に札幌市内で仕事を幾つか掛け持ちして働いていました。
祖父母に預けられていた私と姉は、屋根裏やトイレ、裏庭の至る所に、大きな蜘蛛がゴロゴロ出るような、築数十年以上は経つ古い木造の家で、祖父母と、当時まだ中高生だった3人の叔母達と一緒に、大家族で暮らしていました。

M町にいた頃から、私は『泣き虫』で、他の子達より動きも鈍く、トロくさかった事もあり、数人ぐらいの意地悪な子達から意地悪をされる事もありましたが、それは、毎日ではなく、母に買ってもらった新品の洋服を着たり、参観日に母が札幌から来た次の日など、普段と違う事があったりした時ぐらいでした。
普段は、近所の子達といつも線路近くの公園で遊んだり、保育園時代から仲の良かったI藤さんの家へ行って遊んだりと、ごく平凡で、当たり前とも言えるような毎日を送っていました…。


そんなある日…、
母は、年下のY内さんという男性と再婚する事になりました…。
母は、小学2年生になったばかりの私と、小学4年生だった姉を、札幌に連れて行き、家族4人で一緒に暮らしたい、と祖父母に言ってきたのです…。
当時の私は、実父の存在を全く覚えていなかった為、事情を把握出来ていませんでした。
その為、Y内さんの事を父親だと勝手に思い込んでしまい、何の疑いも躊躇もせず、札幌へ行く事を決めてしまいました。
その決心が、後々、私自身の価値観や人生を、大きく左右し、『苦悩の始まり』になる事など、全く考えていませんでした…。


かくして…、
私と姉は、1学期の終わり近くになってから、幼少期より住んでいたM町から札幌市へ引っ越し、札幌市内でも有数の『マンモス校』と呼ばれていた、T区のT小学校に転校しました…。
そして、その小学校で、最初の『いじめ』を受ける事になってしまいました…。

転校初日の挨拶で、M町から転校してきた事を言うと、
「M町って、ドコ? それ、日本なの?」
と言われてしまい、更に、
「変な喋り方〜」
「田舎者〜」
「田舎者は、さっさと田舎に帰れ〜」
と、毎日、同級生達から罵られ続けました。
ただ、一旦家に帰ってしまえば、『いじめ』に遭う事もなく、義父のY内さんも、学校で何があったか等、私の話を聞いてくれていました。
義父のY内さんは、実の父親のように接してくれ、勉強を教えてくれたり、一緒に遊んでくれたり、休日にはいろんな所に連れて行ってくれたりしました。
そんな事もあってか、T小学校での『いじめ』は、それほど苦にはなりませんでした…。


小学3年生になる前の春休み、私達家族は、T区からS区へ引っ越し、それに伴い、私と姉は、K小学校へ転校する事になりました…。

そのK小学校への転校が、私にとって、更なる『苦悩の日々』になるなど、知る由もありませんでした…。

今日もカフェでコーヒーを飲みながら① 〜前書き〜

2023-10-08 01:12:44 | コラム&エッセイ
『いじめ』による『自殺』や『いじめ問題』に関するニュースが、各メディアで頻繁に報道されています…。
にもかかわらず、一向に『いじめ』が無くなりません。
それどころか、『いじめ』の手口が年々エスカレートしていき、巧妙かつ陰湿化しているように見受けられます。

恐ろしいのは、『いじめ問題』が連日のように報道され続けていて、次第に『日常茶飯事』と化しているように感じるのです。ある意味、『異常事態』ではないでしょうか…?

『いじめ問題』に関する報道を見聞きしているうち、私は『危機感』を抱き、かつて私自身も『いじめ』に遭っていたという経験を、何かに活かせればと思い、『いじめ問題』を題材(テーマ)に書いてみようという決意に至りました。

これから記述していく様々な事柄は、私がこれまでに経験し、感じた事であり、必ずしも、他の方々の思考や価値観に当てはまる事ではありません。また、『正しい答え』と思っているわけでもありませんので、予めご了承下さい…。