イエス・キリストの福音をご紹介します。

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どうすれば偏見を克服するのを助けられるでしょうか

2021-10-23 04:57:33 | 日記
どうすれば偏見を克服するのを助けられるでしょうか
偏見を捨て去り敬意を広めるための6つの方法を紹介します。




偏見を克服するためにわたしは何ができるでしょうか

1.まず自分の内面に目を向ける。わたしたちは自分自身の中に何らかの「偏見に基づく態度や行動」があればそれを認め,捨て去ろうと決意することができます。

ラッセル・M・ネルソン大管長は,「異なる人種に対して偏見を抱いている人がいれば,悔い改める必要があります」と述べています。

2.理解するよう努める。時間を取り,偏見を経験した人たちの話に耳を傾けましょう。このテーマについての信頼できる本や映画,報道でもかまいません。

アフリカ系アメリカ人の著名な会員であり教会指導者でもあるダリウス・グレーは次のように述べています。「自分たちが『他者』と見なしている人たちに真に耳を傾けようと努めるなら,またその人たちに自身の生活,歴史,家族,希望,痛みを語ってもらうことに誠心誠意,力を入れるなら,わたしたちは理解を深められるだけでなく,そうした取り組みを人種差別の傷を癒すために大いに役立てられるでしょう。

3.声を上げる。だれかが人種についての誤った考えや否定的な考えを述べているのを耳にしたら,優しい口調で,しかしはっきりと声を上げてください。

大管長会第一顧問のダリン・H・オークス管長は次のように述べています。「末日聖徒イエス・キリスト教会の会員として,わたしたちは,すべての人が人種差別を根絶できるようにもっとよく助けなければなりません。」
十二使徒定員会のゲレット・W・ゴング長老は次のように教えています。「わたしたちは世の中を内側から外側へと,すなわち個人を,一つの家族を,一地域をさらに良くしていくよう招かれています。


差別を経験したときにわたしは何ができるでしょうか



1.赦し,友人を得る。ほかの人たちの行動によって傷ついたとき,わたしたちは教え,赦し,関係を築こうと努めることができます。

地域七十人として奉仕していたとき,フレッド・A・“トニー”・パーカー長老は次のように述べました。「人種差別の被害者となるとき,わたしは相手を赦し,問題に対処し,それに面と向かって対応することで成功を見いだしてきました。だれかがわたしの気持ちを傷つけることを言ったら,わたしはそれが人を傷つける理由を相手に理解してもらう方法を見つける必要があります。それは相手を赦すだけでなく,トニー・パーカーを単にアフリカ系アメリカ人としてでなく神の子供として見てもらえるよう,関係を築く機会になります。イエスは赦すことを教えられました(マタイ18:21-35参照)。また,傷つけられたときは相手のところに話しに行き,解決するように教えられました(マタイ18:15参照)。」

2.傷ついた経験から有益な教訓を学ぶ(教義と聖約122:7参照)。

エーモス・C・ブラウン牧師は,ハワード・ワシントン・サーマンについての話を語っています。ハワードの暮らす家の隣に住む女性は,ハワードの家族が黒人であるという理由で,彼らを不当に扱っていました。自分の鶏小屋から出た糞をサーマン家の庭に投げ入れることさえしていました。

その女性が病気になったとき,ハワードの母親はスープとバラの花を女性に持って行きました。女性は感謝して,その花がどこから来たのかと尋ねました。サーマン夫人はこう説明しました。「あなたが鶏糞を投げ入れている一方,神は土を整えておられたのですよ。」

「これこそ,わたしたちが悪意のただ中で行わなければならないことです」とブラウン牧師は言っています。「糞を受けながらも,神を信じる信仰を持ち,それを使って庭のバラを育てるのです。

3.癒しと導きを求めてキリストに頼る。救い主に痛みを打ち明け,主に従うことで,平安がもたらされます。

イエス・キリストはわたしたちに課せられた正義の要求を満たすことでわたしたちを罪から贖うことに加えて,「罪のない人が被るあらゆる苦しみを癒し,償うことにより,正義が負う負債を補償し〔てくださいます〕」と,十二使徒定員会のD・トッド・クリストファーソン長老は教えています。

救い主はわたしたちが従うべき完全な模範を示しておられます。救い主は傷つけられたとき(マタイ18:15参照),迫害されたとき(マタイ5:38-48参照),さらには不当に死刑を宣告されたとき(ルカ23:34参照)になすべきことを,わたしたちに教えられました。


マタイ18:15もしあなたの兄弟が罪を犯すなら、行って、彼とふたりだけの所で忠告しなさい。もし聞いてくれたら、あなたの兄弟を得たことになる。

マタイ5:38『目には目を、歯には歯を』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。

5:39しかし、わたしはあなたがたに言う。悪人に手向かうな。もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい。

5:40あなたを訴えて、下着を取ろうとする者には、上着をも与えなさい。

5:41もし、だれかが、あなたをしいて一マイル行かせようとするなら、その人と共に二マイル行きなさい。

5:42求める者には与え、借りようとする者を断るな。

5:43『隣り人を愛し、敵を憎め』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。

5:44しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。

5:45こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである。

5:46あなたがたが自分を愛する者を愛したからとて、なんの報いがあろうか。そのようなことは取税人でもするではないか。

5:47兄弟だけにあいさつをしたからとて、なんのすぐれた事をしているだろうか。そのようなことは異邦人でもしているではないか。

5:48それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。

ルカ23:34そのとき、イエスは言われた、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」。人々はイエスの着物をくじ引きで分け合った。

お読みいただいてありがとうございます。青字は追加しています。

2021年9月号末日聖徒イエス・キリスト教会リアホナからご紹介しました。

良い土曜日となりますように。

イエス・キリストはわたしたちが偏見から感じる痛みを御存じです

2021-10-22 04:58:45 | 日記
イエス・キリストはわたしたちが偏見から感じる痛みを御存じです
ソニア・N

   筆者は南アフリカのハウテン州在住です。

  わたしの目標は,人々を救い主が御覧になっているように見ることです。




 イタリア・ローマ神殿のオープンハウスで,会員たちと友人たちがクリスタス像を囲んでいるのをビジターセンターの窓を通して見た様子。

 わたしは20年近くにわたり,いろいろな形で偏見や差別を経験してきました。

  モザンビークで教会に入った後,わたしは南アフリカに引っ越しました。そこは美しく,アフリカで最も繁栄している国の一つでした。その美しさは人々の多様性と,文化の豊かさによっていっそう引き立てられています。

  南アフリカは,いまだに人種隔離という歴史の暗い影から癒される途上にある国です。アパルトヘイトは1994年に正式に廃止されましたが,この政府による過去の人種差別政策の傷跡は今もなお残っています。

  モザンビーク系黒人女性の末日聖徒として過去18年間にわたり南アフリカに暮らしてきたわたしは,マイクロアグレッション〔訳注:無意識のうちに行われる差別のこと〕として表れることが多い差別や排斥と隣り合わせで生活しています。社会が今でも直面している差別問題の例を幾つか挙げると,人種差別や階級差別,部族主義,性差別,外国人嫌悪があります。生まれながらの人には何か衝動のようなものが備わっており,それが社会を分断し,異なっていることは悪いことだと信じさせようとしているように思われます。

 わたしたちが努力していること

  教会員もそのような考え方の影響を受ける恐れがあるでしょうか。間違いなくあります。わたしたちは皆,生涯にわたる努力の中で,イエス・キリストの贖罪により,生まれながらの人を捨てて聖徒とならなければなりません(モーサヤ3:19参照)。

 孤立したり,軽視されたり,ステレオタイプで判断されたり,好奇の目で見られたりしたと感じたときはいつも,わたしと子供たちは家に帰り,そのことについて話し合います。わたしたちはこのように言います。「何が起こったのかしら。そのことについて分析してみましょう。人々がこんなふうに振る舞う理由について話し合いましょう。」こうした点について話すことは,胸のわだかまりが深まるのを防ぐ助けになります。

  わたしが自分の子供たちに教えようと努めているのは,人の偉大さは社会で軽んじられていたり,排斥されていたりする人たちにどのような態度で接するかによって決まるということです(マタイ25:40参照)。それは,ほかの人たちを排除することのないよう手を差し伸べる方法を探すこととも言えるかもしれません。

 イエスのようになる努力をしています

  一部の経験には苦痛を覚えますが,わたしたちが学んでいる教訓は,子供たちがより良い人になる助けとなっています。また,わたしがより良い人になる助けにもなっています。わたしたちの失望は,ほかの人への思いやりと共感を育むための助けになっています。

 偏見にさらされる経験は,わたしに選択の機会を与えてくれます。恨みを持って報復するのか,それとも相手に2度目のチャンスだけでなく,3度目,4度目のチャンスを与えるのか。社会を恐ろしい場所と見なすのか,それとも好ましい変化を推進する人になるのか。

 救い主もまた,御自分が何者であられるか,何を信じておられるか,どこの出身であられるかといったことのゆえに偏見をお受けになりました(ヨハネ1:46参照)。しかし主は暴力,怒り,恨み,憎しみをもって応じられることはありませんでした。主はそうしたことと反対のことを教え,愛と真理をもって行動されました。力と影響力は,説得,寛容,温厚,柔和,愛を通じてもたらされると教えられました(教義と聖約121:41参照)。だれかに傷つけられたときは,その兄弟のところに行き一緒に話し合うべきであると教えられました(マタイ18:15参照)。自分のことを迫害する人のために祈るよう教えられました(マタイ5:38-48参照)。さらに,不当に裁かれ,死刑のために十字架にかけられたとき,主はわたしたちに人を赦すように教えられました(ルカ23:34参照)。

 結局のところ,わたしたちと世を変えるのは主の愛なのです(2ニーファイ26:24参照)。

そしてこれからも努力を続けます

  わたしは完璧な人間ではありません。だれかに侮辱された後,いつもすぐに赦せるわけではありません。赦すためには時間と,癒しと,そしてわたしを助けてくださる聖霊が必要です。時折,わたしは怒ることを選んでしまい,聖霊の促しをすぐには受け入れないことがあります。しかし,わたしが御霊を受け入れるなら,この状況にどう対処するよう天の御父が望んでおられるかを理解できるまで,御霊は忍耐強くわたしを助けてくださいます。

  わたしの目標は,人々を救い主が御覧になっているようにありのままに見ることです。そうするには,自分たちはすべての答えを知っているわけではないと進んで認める必要があります。「わたしは完全ではありません。学ぶべきことがたくさんあります。ほかの人たちの視点から何を学べるでしょうか」と進んで言えるとき,それこそが,わたしたちが真に耳を傾けられる時です。それこそが,真に見ることのできる時です。

  自分は目的があってここにいること,人生の試練は一時的なものであって現世に欠かせない一部であること,そして自分は独りではないことを思い出すことは,わたしがこの旅を進んでいくうえでの助けになっています。そのすべてを通じて,わたしはイエスのようになろうと努めています。努力することには意義があり,たとえ失敗しても再び挑むことができます。


※ 今日もお読みいただいてありがとうございます。

この記事は、2021年9月号末日聖徒イエス・キリスト教会 リアホナから、ご紹介しました。

赤字青字は、追加しています。

良い1日をお祈りします。

信仰をもって歳を重ねる

2021-10-21 04:57:08 | 日記
信仰をもって歳を重ねる
わたしの忠実な顧問
リチャード・M・ロムニー
教会機関誌
奉仕に関して,ラリーは決して年齢を障害とは見なしませんでした。


イラスト/キャロリン・ビバート
わたしの育った町に家族で戻って来たとき,わたしたちは地域が変化を遂げつつあることに気がつきました。かつては若い家族のための場所として知られていた地域でしたが,今は伴侶を亡くした人たちや,子供が大きくなって家を出て行った夫婦が多く住む町になっていました。また数は少ないものの,利用できるようになった住宅があるときに引っ越して来る若い家族も増えていました。

人口の変化を受け,ワードの境界線が再編されました。三つのワードの一部区域が一つのワードに統合され,わたしはビショップに召されました。顧問について考える時間が数日間ありました。最初の名前はすぐに浮かび,御霊の確認を得られました。しかし,もう一人の顧問をだれにすべきかは,すぐには確信が持てませんでした。

新しいワードに所属する数人の比較的若い兄弟たちについて検討しましたが,わたしは彼らのことをよく知りませんでした。わたしには,彼らはむしろ若い男性の組織に必要だと思われました。

わたしはその地域に長い間住んでいるラリー・モーガンという年配の男性を知っていました。さらに言えば,彼はわたしが十代のころに青少年の指導者を務めていました。今では76歳でした。わたしはラリーと話すよう促しを感じました。「わたしの知らない人の何人かと親しくなれるよう助けてくれるかもしれない」とわたしは思いました。

ラリーの家に着いたとき,彼は家の前に立っていました。そして一言も話さないうちから,わたしはラリーこそもう一人の顧問になる人だと分かりました。数分間会話をしてから,家に戻ってステーク会長に電話をしました。その週の日曜日,ラリーを第二顧問として,ビショップリックが支持されました。

ラリーは穏やかな口調で話す落ち着いた態度の人でしたが,彼が語るとき,人々は耳を傾けました。ラリーは主を信じる揺るぎない信仰を持つ人でもありました。わたしはすぐに彼の助言を信頼するようになりました。
「わたしたちが訪問しましょう」
ホームティーチャー(現在はミニスタリングブラザーと呼ばれています)たちは,伴侶を亡くした人たちを訪問し,彼らの様子をビショップリックに知らせるすばらしい働きをしてくれていました。今日では,そうした人たちの福祉に対する責任の多くは長老定員会と扶助協会が担っています。しかし当時は,わたしもそうした人たちを訪問する義務があると感じていました。そのため,週に一人か二人を訪ねるよう努めていました。そのペースだと,全員を訪問するのに1年近くかかることになります。ある若い家族にも時間を使う必要があり,わたしは限界を感じました。

このことについてビショップリック集会で話したところ,ラリーが意見を出してくれました。
「妻とわたしが手伝いましょうか」とラリーは言いました。「わたしたちには訪問の時間がたっぷりあります。ホームティーチャーを頼るべきではありますが,エリザベスとわたしにも,配慮がもう少し必要な人たちに会いに行かせてください。ビショップはあなたたちのことを心にかけていますと伝えておきますよ。」

その後,わたしの忠実な顧問とその奥さんは多数の訪問を行い,多くの人を元気づけました。二人はわたしの荷をかなり軽くしてくれました。
「預言者は何歳ですか」
あるとき,わたしたちのワードは日曜学校の福音の教義の教師を必要としていました。ビショップリックとして,わたしたちは祈り,日曜学校の会長とともに数人の候補者について検討しました。しかし,どうすべきかについて,確認を得ることができませんでした。今度も,ラリーが意見を出してくれました。「イーラ・ギブはどうでしょう。」イーラは70代でしたが,わたしたちは皆,彼女は良い教師になるだろうという印象を受けました。日曜学校会長も同意しました。

ラリーとわたしが召しを伝えたとき,ギブ姉妹は笑って言いました。「わたしは年を取っています。こんな老人を選ぶことはありませんよ。」

ラリーが「ギブ姉妹,年齢を言うなら……」と応じたとき,わたしは彼が自分自身を例に挙げるのだと思いました。しかしラリーはそうせずに,「年齢を言うなら,預言者は何歳ですか」と優しく言いました。当時は,ゴードン・B・ヒンクレー大管長(1910-2008年)が84歳で大管長になったばかりのときでした。

「おっしゃりたいことは分かりました」とイーラは答えました。「奉仕するのに年を取りすぎていることは決してないということでしょう。」そして,それからの3年間,イーラは福音の教義のすばらしい教師として奉仕しました。

わたしは今,69歳です。しばしばラリーのことを思い,彼が信仰を示し,ビショップリックの顧問として奉仕する召しを76歳で受け入れたことについて考えます。ラリーの奉仕について考えるとき,神の王国を築き続けるために自分ができること,そして60代,70代,80代の多くの人たちができることが,まだたくさんあると思えてきます。

※お祈りいただいてありがとうございます。

この記事は、2021年9月号リアホナからご紹介しました。

良い1日をお祈りします。

心の清い者はどのような祝福を受けるか

2021-10-20 05:01:21 | 日記
わたしに従ってきなさい
心の清い者はどのような祝福を受けるか
教義と聖約94-97章


イラスト/ダン・バー
   これらの章では,主が神殿を建てるよう初期の聖徒たちに命じられたことについて学べます。
「心の清い者は皆,神を見るであろう」
主は97章で,聖徒たちが神殿を建ててそれを清く保つなら,「そこに入って来る心の清い者は皆,神を見るであろう」と約束しておられます。十二使徒定員会のデビッド・B・ヘイト長老(1906-2004年)は,総大会の説教でこの節を引用した後,次のように言っています。

「確かに中には実際に救い主とまみえた人もいます。しかし,辞書を引くと,この『見る』(英文「see」)という言葉にはほかにも多くの意味があることが分かります。例えば,主を知るようになる,主を識別する,主と主の業を認識する,主が大切な存在であることに気づく,主を理解するようになるなどです。

こうした天からの悟りと祝福がわたしたち一人一人に与えられるのです。」

あなたはどのような形で,神が神殿で御自身を現されるのを見たことがありますか。

※2021年9月号リアホナから。

お読みいただいてありがとうございます。

良い1日をお祈りします。

予期せぬ必要に備えるようほかの人たちを助ける

2021-10-19 04:51:16 | 日記
ミニスタリングの原則

 予期せぬ必要に備えるようほかの人たちを助ける

ミニスタリングブラザーやシスターとして,わたしたちは兄弟姉妹が不確実な世界に備えるよう助けることができます



パンデミック,自然災害,景気後退,政治的混乱,暴力的な衝突——昨年は,世界でこのようなことが数多く起こりました。そういった大規模な出来事に加え,わたしたちは病気,離婚,収入減など,個人の生活における予期せぬ問題にも直面します。

予期せぬ出来事に備える努力は,わたしたち自身とほかの人たちに安全と安心をもたらします。愛する人たちが人生における予期せぬ嵐を乗り切れるよう助けるため,わたしたちはミニスタリングブラザーやシスターとして何ができるでしょうか。

その一例を,フィリピンのアンヘレスに住むカルロマグノ・アギラールが示しています。新型コロナウイルス感染症のパンデミックを受けて自分の住む地域が外出自粛の対象になることを知ったとき,カルロマグノは物資を買いに走りました。ただし,彼の買い物リストは周りの人たちと異なっていました。カルロマグノには備えるための計画があり,家庭菜園のために種と肥料を購入したのです。より自立するために,



カルロマグノは何年もの間,都市農業に従事してきました。また,近所の人たちに菜園で取れた農作物を配ったり,自分の食べ物を育てる方法を教えたりすることで,ミニスタリングを行ってきました。さらに,だれでもカルロマグノの助言や手順を知ることができるオンラインチャンネルを開設し,兄弟姉妹がより自立して将来に備えられるように支援しました。

管理ビショップリック第一顧問のW・クリストファー・ワデルビショップは,次のように教えています。「霊的な原則を受け入れ,主から霊感を求めるときに,個人や家族として主が期待しておられることを知り,物質的な備えの原則を最もよく実践する方法について導きを受けるでしょう。一連の流れの中で最も重要なのは始めることです。」(「食物があった」『リアホナ』2020年11月号,44-45)

このような不確実な世界において備えをするよう互いに助け合うことは,キリストのような愛を示すための基本的な方法です。互いに助け合って,上で述べられている「最も重要な」一歩を踏み出しましょう。
ほかの人たちを助けるための提案
常に言えることですが,ミニスタリングは祈りの気持ちで検討し,ともに評議することから始まります。皆さんや皆さんがミニスタリングをする人たちが予期せぬ問題への備えをどのように始められるかについて考えるために,以下の提案が役立つでしょう。
全体を視野に入れて考える。わたしたちは生活の様々な分野に対し,いろいろな方法で備えることができます。可能であれば食料を蓄えたり生産したりすること,経済的に備えること,感情面の強いレジリエンスを育むこと,緊急事態に対する計画を立てることが重要です。
自分たちの住んでいる場所で起こる可能性が高い問題と,その対策について話し合う。世界中の様々な地域が,特有の問題を抱えています。地震がよくある場所に住んでいるなら,重たい家具を壁に固定するなど,安全の維持に向けて家を備えるための方法について話し合いましょう。あるいは台風がよくある場所に住んでいるなら,ニュースを聞くためにラジオをつけておくこと,高台に避難することなど,そうした状況への対応策について話し合うとよいでしょう。
緊急時用の貯金をする方法について話し合う。お金をためておくと,失業した場合や想定外の支出があった場合に役立ちます。少額で始め,目標に達するまで収入がある度に少しずつためていくなど,お金をためる方法について話し合いましょう。
   防災セットのための物資をまとめる。家を短期間離れなければならない場合,防災セットを用意しておくと備えに役立ちます。協力して必要な物について考え,集めましょう。これは一定期間にわたって行うことができます。避難場所の地図,ライト,お金,食料と水,医薬・医療品,通信手段,大事な書類,着替え,娯楽や気晴らしの道具(ゲーム,本,子供用のおもちゃ),そのほかのあらゆる必要な物について検討しましょう。
奉仕する相手との友情を築く。困難に伴う感情に対処するスキルをしっかり身につけるようにすることが重要です。そうしたスキルの一つとして,健全な人間関係を持つことが挙げられます。相手との友情を強めるとき,その人が支援のネットワークを作るのを助けることになります。
食料貯蔵について話し合う。緊急時に向けて手元に予備の食料を用意しておくと役立ちます。まずは日常の料理において使ったり補充したりしているものについて,短期的な蓄えをすることから始めるよう互いに励まし合いましょう。次に,おもな食料の長期的な蓄積に取りかかります。食料を貯蔵できるスペースがあまりない場合や,大量の食料の備蓄が法律で禁じられている場合は,自分の状況に合った適切な量だけを備蓄しましょう。

※リアホナ2021年9月号から、ご紹介しました。

お読みいただいてありがとうございます。

良い1日をお祈りします。