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姉妹たちへの懇願

2022-09-08 04:49:00 | 日記
姉妹たちへの懇願
ラッセル・M・ネルソン会長
十二使徒定員会会長

わたしたちは,皆さんの力,改心,確信,指導力,知恵,そして声を必要としています。

愛するラズバンド長老,スティーブンソン長老,そしてレンランド長老,皆さんの兄弟であるわたしたちは,皆さんを十二使徒定員会に歓迎します。わたしたちは神が御自分の預言者であるトーマス・S・モンソン大管長にこの啓示を与えてくださったことに感謝しています。

兄弟姉妹の皆さん,6か月前の総大会でお会いしたとき,わたしたちは誰一人として,全教会員の心を揺り動かす今回の変更を予期していませんでした。L・トム・ペリー長老は,主の計画にあって,結婚と家族が占めるかけがえのない役割について力強いメッセージを伝えてくれました。それからほんの数日して,長老ががんで余命いくばくもないことを知り,わたしたちはがく然としました。

ボイド・K・パッカー会長の健康は衰えていましたが,長老は主の業に「邁進し」続けました。4月にはかなり衰弱していましたが,それでも息の続く限り,証を宣べ伝える決意をしていました。ペリー長老が亡くなってわずか34日後,パッカー長老も幕のかなたへと旅立ちました。

リチャード・G・スコット長老は先の総大会を欠席しました。しかしわたしたちは,それまでの多くの大会で,彼が述べた救い主に関する力強い証を振り返りました。そしてほんの12日前に,スコット長老は,天に召され,愛するジェニーン姉妹と再会しました。

わたしはこの兄弟たちの最後の日々をともに過ごす機会にあずかりました。パッカー会長とスコット長老の家族とは,お二人が亡くなる直前まで,一緒に過ごしました。この三人の大切な友人,主の偉大な僕たちが,突然,この世からいなくなったことは,今でも信じがたいことです。彼らがいなくなって,言葉では表現できないほど寂しく思います。

この一連の予期せぬ出来事について振り返るときに,わたしの心にいつもよみがえってくる印象の一つは,彼らの奥様方から受けた印象です。わたしの心に刻み込まれているのは,枕元で夫を見守るドナ・スミス・パッカー姉妹とバーバラ・デイトン・ペリー姉妹の穏やかな姿です。二人とも,愛と真理,純粋な信仰にあふれていました。

パッカー会長の亡くなる数時間前,夫の横に座るパッカー姉妹には,人知ではとうてい測り知ることのできないあの平安があふれていました。
70年近く連れ添った愛する伴侶が間もなく旅立つことを知りながらも,彼女の姿から信仰にあふれる女性の落ち着きが感じられました。彼女はまるで天使のようでした。ユタ州ブリガムシティー神殿の奉献式のときに二人を写したこの写真の彼女とまったく同じでした。




同じような愛と信仰が,ペリー姉妹にもあふれていました。彼女が夫と主に献身していることは明白でした。それを見て,わたしは深い感動を覚えました。




夫が亡くなる前の数時間,そして,それから今日に至るまでずっと,この確固たる強さを持つ女性たちは,聖約を守る女性たちが常に体現している力と勇気を示してきました。
そのような女性たちが,妻として,母として,祖母として,姉として,妹として,おばとして,また,教師として,指導者として,そして特に,模範を示す者として,敬虔な信仰の擁護者として,家の中のみならず,主の教会の中において及ぼす影響を測り知ることは不可能でしょう。
それはアダムとエバの時代から今日までのあらゆる福音の神権時代において真実です。しかし,この神権時代の女性は,他のいかなる時代の女性よりも際立っています。なぜなら,この時代は他のいかなる時代よりも際立っているからです。
この違いは特権と責任の両方をもたらします。




今から36年前の1979年に,スペンサー・W・キンボール大管長は,聖約を守る女性がこれからの主の教会に及ぼす影響について深遠な預言をし,次のように述べました。「終わりの時に教会に大きな発展がもたらされようとしていますが,その多くは,世界中にいる善良な女性たち……が大勢教会に引き寄せられることが理由となって起きるでしょう。これがどの程度の規模になるかは,教会の女性たちがどの程度まで義を反映した生活を送り,自分をしっかりと表現できるか,また,どの程度まで世の中の女性と良い意味で区別され,異なって見られるかによって決まるでしょう。」
愛する姉妹の皆さん,この締めくくりの時代にあって,わたしたちの大切な同僚である皆さん,キンボール大管長が見た時代は,今この時代です。皆さんこそ,彼が予見した女性たちなのです! 皆さんの徳,光,愛,知識,勇気,人格,信仰,義にかなった生活は,世の善良な女性たちを,その家族とともに,前例がないほど多く,教会へ引きつけるでしょう。
皆さんの兄弟であるわたしたちは,皆さんの力,改心,確信,指導力,知恵,そして声を必要としています。神聖な聖約を交わし,それを守る女性,神の力と権能をもって語ることのできる女性がいなければ,神の王国は完全ではありませんし,そうなれないのです。
パッカー会長はこう宣言しました。
「教会には,組織的に考える女性,物事や人を組織できる女性が必要です。計画,指導,管理ができる実行力のある女性,教えることのできる女性,躊躇することなく意見を述べることのできる女性が必要です。……
世の風潮を見極め,たとえどんなにもてはやされても浅薄なものや危険なものを確実に判別する識別の賜物を持った女性が,教会には必要です。」
今日,さらに付け加えたいと思います。わたしたちは信仰を行使して,価値あることを起こす方法を知っている女性,罪の蔓延する世界で道徳や家族を雄々しく擁護する女性が必要です。聖約の道を昇栄を目指して歩めるように,神の子供たちを献身的に導く女性が必要です。個人の啓示を受ける方法を知っている女性,神殿のエンダウメントから得られる力と平安を理解している女性,子供と家族を守り,強めるために天の力を呼び求める方法を知っている女性,恐れることなく教える女性が必要です。
わたしは自らの人生を通して,そのような女性たちから祝福を受けてきました。亡くなったわたしの妻,ダンツェルもそのような女性でした。彼女から人生が変わるような影響を受けたことにいつまでも感謝することでしょう。その影響力は,開胸手術の道を切り開く取り組みを含め,わたしの人生の あらゆる 面に及んでいます。

58年前に,先天性の重い心臓疾患の少女の手術を依頼されました。少女の兄も同じ病気で亡くなっていました。両親は助けを懇願しました。予断を許さない状況でしたが,少女の命を救うために,全力を尽くすと約束しました。最善を尽くしたにもかかわらず,少女は亡くなりました。後に,その両親は,当時まだ16か月だったもう一人の娘を連れて来ました。この子も生まれつき心臓の構造に問題がありました。もう一度,彼らの要請に応えて,手術を行いました。しかし,この子も亡くなったのです。この家族にとって3度目となるこの悲痛な死は,文字どおり,わたしを打ちのめしました。

わたしは気落ちして帰宅しました。居間の床に身を投げ出し,一晩中泣きました。「もう二度と心臓の手術はしない」と,わたしが何度も繰り返している間,ダンツェルはそばで聞いていてくれました。それから,朝の5時ぐらいになって,ダンツェルはわたしを見詰め,愛情を込めてこう言いました。「泣くのは終わった?じゃあ,着替えて。研究室に戻るの。仕事に行くの!もっと学ぶのよ。今やめたら,あなたがすでに知っていることを,他の人たちが苦労して学ばなければならなくなるわ。」

妻のあのときのビジョンと,不屈の精神と,愛が,どれほど必要だったでしょう! わたしは仕事に戻り,もっと学びました。ダンツェルの霊感あふれる励ましがなかったら,開胸手術の腕を磨くことも,1972年にスペンサー・W・キンボール大管長の命を救った手術を執刀する備えもできていなかったことでしょう。
姉妹の皆さん,皆さんは,御霊の導きを受けているときに皆さんが考え,感じていることを語るときに,皆さんの影響力がどれほど広範囲に及ぶか気づいているでしょうか。ある優れたステーク会長が,ステーク評議会集会で難しい問題を解決するために悪戦苦闘したときのことを話してくれました。集会中に,初等協会の会長がまだ話していないことに気づいた彼は,彼女に何か考えがないかと尋ねました。「実は,あります。」彼女がその考えを述べると,集会の流れがすっかり変わりました。ステーク会長はこう語っています。「彼女が話しているとき,御霊がわたしに証しました。彼女が述べたことこそ,この評議会が求めていた啓示なのだと。」

愛する姉妹の皆さん,皆さんの召しが何であれ,皆さんの置かれた環境がどうであれ,わたしたちには皆さんの考えや,洞察,霊感が必要です。ワードやステークの評議会で,気兼ねなく率直に意見を述べてください。伴侶と協力して家族を管理するときに, 献身的 かつ 全面的 な協力者として口を開いてください。既婚の姉妹も,独身の姉妹も,神の賜物として与えられた独特な能力と特別な直感力があります。皆さんの比類ない影響力は,わたしたち兄弟にはまねのできないものなのです。
創造の全ての業の中で有終の美を飾ったのは女性の創造であったことをわたしたちは知っています!
わたしたちは皆さんの力を必要としています。
教会とその教義,教会員の生き方に対する攻撃は激しくなっていきます。だからこそ,キリストの教義を根本から理解している女性,その理解を用いて教え,罪に対抗する世代の成長を助けられる女性が必要なのです。
あらゆる形の欺きを見抜くことのできる女性が必要です。神が聖約を守る人に提供しておられる力にアクセスする方法を知っている女性,信じていることを確信と慈愛をもって伝えられる女性が必要です。母なるエバの勇気とビジョンを持った女性が必要なのです。

愛する姉妹の皆さん,皆さんの永遠の命にとって何より大切なのは,皆さん自身の改心です。それは,改心し,聖約を守る女性たち,わたしの愛する妻ウェンディのような女性たちです。その義にかなった生活は,道徳的に腐敗していく世界にあってますます際立ち,そのため彼女たちは,その 真に幸福な 生き方によって際立ち,異なって見られるでしょう。

ですから今日,わたしは末日聖徒イエス・キリスト教会の姉妹の皆さんに懇願します。前に踏み出してください! これまで以上に,家庭,地域社会,神の王国において皆さんの本来果たすべき役割を果たしてください。スペンサー・W・キンボール大管長の預言を成就するよう,皆さんに懇願します。そしてイエス・キリストの御名によって約束します。皆さんがそうするときに,聖霊が皆さんの影響力をこれまでになかったほど強めてくださいます。

主イエス・キリストが実在の御方であり,人を贖い戻し,罪を贖い取り,人を聖める主の力が現実のものであることを証します。また,使徒の一人として,愛する姉妹の皆さんに感謝し,わたしたちがともに主の御業に携わるとき,皆さんが自分の可能性に到達し,皆さんが創造された目的を成就することができるよう祝福します。ともに手を携えることにより,わたしたち主の再臨に世を備える助けをすることができるのです。そのことを,皆さんの兄弟として,イエス・キリストの御名によって証します,アーメン。

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✱このお話は、末日聖徒イエス・キリスト教会総大会2015年10月の総大会から、ご紹介しました。

再掲になります。

女性の力の偉大なところは、以下の聖句からも、伺えます。

創世記 3:6女がその木を見ると、それは食べるに良く、目には美しく、賢くなるには好ましいと思われたから、その実を取って食べ、また共にいた夫にも与えたので、彼も食べた。

アダムとエバの重要な決断は、先ずエバが行っています。

次回は、夫と妻の一致して助け合うことについて,お伝えしたいと思います。



2022/09/05

2022-09-05 05:07:30 | 日記
もし,あなたの証のかがり火が消え失せ,暗闇が迫っていると感じたら,勇気を持ちましょう。神との約束を守りましょう。

扶助協会ビルにあるわたしの事務所から,ソルトレーク神殿の見事な光景が見えます。毎晩,時計仕掛けのように規則正しく,夕暮れ時に神殿の屋外の照明が点灯します。わたしの部屋の窓からすぐ近くに見える神殿は,変わることなく心安らぐかがり火なのです。

今年の2月のある夜,太陽が沈むと,わたしの事務所はいつもとは違って薄暗いままでした。窓の外を見ると,神殿が暗く見えました。照明が点灯していなかったのです。突然憂鬱に感じました。長年,毎晩見ていた神殿の尖塔を見ることができなかったのです。


光が見えず暗闇を見たときに思いました。わたしたちが成長するうえで基本的に必要なことの一つは,光の源であるイエス・キリストにつながり続けていることです。イエス・キリストは,わたしたちの力の源であり,世の光であり命です。主にしっかりとつながっていないと,わたしたちは霊的に命を失い始めます。そのことを知っているサタンは,わたしたち皆が経験するこの世の重圧を利用します。わたしたちの光を弱め,主との接続をショートさせ,電源を切り,わたしたちを暗闇の中で独りになるよう追いやろうとします。その重圧は,この死すべき世ではよく見られることですが,サタンはわたしたちを懸命に孤立させようとし,それを経験しているのは自分だけだと言うのです。

わたしたちの中には悲しみのために無力に感じている人がいます

悲劇が不意にわたしたちを襲うとき,息ができなくなるほど人生に傷つくとき,そしてエリコに向かう道で死にそうなまま放置された男のように打たれるとき,イエスは近寄って来られ,わたしたちの傷に油を注がれ,優しく起こしてくださり,宿屋に連れて行ってくださり,世話をしてくださるのです。
悲しんでいるわたしたちに主はこう言われます。「わたしは……あなたがたの肩に負わせられる荷を軽くし,……あなたがたの背にその荷が感じられないほどにしよう。……主なる神であるわたしが,苦難の中にいる自分の民を訪れるということを,あなたがたが確かに知ることができるようにするためである。」
キリストが傷を癒してくださいます。

わたしたちの中にはとても疲れている人がいます

ジェフリー・R・ホランド長老はこう述べました。「わたしたちは自分の力以上に速く走ることは求められていません……〔しかし〕,わたしは皆さんの多くが非常に速く走り,時として,体力と気力が底を突かんばかりであることを知っています。」
期待に圧倒されるとき,一歩下がって,何を手放すべきか天の御父に尋ねることができます。何をしないかを選び学ぶのも,人生経験の一部です。そうであっても,時に人生はあまりにも大変なものです。イエスはこう約束しておられます。「すべて重荷を負うて苦労している者は,わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。」
キリストは進んでわたしたちのもとに来られ,ともにくびきを負い,荷が軽くなるように引っ張ってくださいます。キリストは安らぎです。

自分は教会の伝統的な型に合っていないと感じる人がいます

様々な理由により,わたしたちは受け入れられていないと感じたり,受け入れられることはないと感じたりします。新約聖書には,イエスが次のようなすべての人に手を差し伸べるためにとても尽力されたことが示されています。重い皮膚病患者,取税人,子供,ガリラヤ人,遊女,女性,パリサイ人,罪人,サマリヤ人,やもめ,ローマの兵士,姦淫をする者,儀式によって清められていない者。ほとんどすべての物語の中で,イエスは慣習によって社会に受け入れられていない人々に手を差し伸べています。
ルカ19章には,ザアカイという名前のエリコの取税人のかしらの話が載っています。彼は歩いて来るイエスを見るために木に登りました。ローマの政府に雇われていたザアカイは,腐敗した者,罪人と見られていました。イエスは木に登ったザアカイを見上げて声をかけられ,こう言われました。「ザアカイよ,急いで下りてきなさい。きょう,あなたの家に泊まることにしているから。」 ザアカイの心が善良で人のために良いことをしているのを御覧になったとき,イエスはザアカイの申し出を受け入れられて言われました。「きょう,救いがこの家にきた。この人もアブラハムの子なのだから。」
キリストは優しくニーファイ人にこう語られました。「わたしはあなたがたのだれにも立ち去るように命じること〔はない〕。」ペテロには重要な気づきがあり,使徒10章でこう言明しました。「神は,どんな人間をも清くないとか,汚れているとか言ってはならないと,わたしにお示しになりました。」
ほんとうの愛を互いに示し合うというのが,キリストの弟子と末日聖徒に対する不可欠な条件です。イエスはザアカイになされたのと同じ招きをわたしちにしておられます。「見よ,わたしは戸の外に立って,たたいている。〔あなたが〕わたしの声を聞いて戸をあけるなら,わたしは〔あなたのいるところ〕にはいって〔あなた〕と食を共にし,〔あなた〕もまたわたしと食を共にするであろう。」
キリストは木に登ったわたしたちを目に留めてくださいます。

疑問に心を悩ませる人がいます

何年か前,わたしは,答えを見つけることができない疑問に対して心に重荷を感じ,いらいらしていました。ある土曜日の早朝に,わたしはちょっとした夢を見ました。その夢の中で見晴らし小屋が見えて,行ってその中に入るべきだと思いました。それは5つのアーチで囲まれていましたが,窓は石でできていました。そこは非常に狭苦しかったので中に入りたくないと思い,夢の中で不平を漏らしました。そうしていると,ヤレドの兄弟は忍耐強く石を溶かして透明なガラスを作ったという思いがわたしの心に浮かびました。ガラスは状態の変化を経た石です。主がヤレドの兄弟の石に触れたとき,暗い船の中で光輝きました。突然,ほかのどの場所よりもその見晴らし小屋の中に入りたいという思いに満たされました。その場所はまさに,わたしが真に「見る」ことのできるたった一つの場所だったのです。目を覚ますと,わたしを悩ませていた疑問は解けませんでしたが,よりはっきりと次の疑問が心に思い浮かびました。「ヤレドの兄弟のように石を光に変えられるよう,信仰を強めるために何を行えばよいだろうか。」
わたしたちの死すべき体の脳は,少しずつ理解し,少しずつ意味を知るように造られています。死すべき体を覆うベールがどうしてそれほど厚いのか,すべての理由は分かりません。永遠の進歩において,この世はすべての答えを受ける段階ではありません。わたしたちがまだ見ていない事実を確信する(または時には希望を持つ)ことを積み重ねる段階なのです。確信は簡単には分析できない方法でやって来ることもありますが,わたしたちの暗闇の中には光があります。イエスは言われました。「わたしは……光であり,命であり,世の真理である。」
真理を探し求めている人にとって,最初は石で作られた愚かで閉塞感のある窓に思えるかもしれません。しかし,忍耐と信仰を持って問い続けるならば,イエスは石で作られた窓をガラスと光へと変えることができるのです。キリストは目を向けるべき光です。

善良に成り切れていないと感じている人がいます

旧約聖書の緋色の染料は色彩豊かなだけでなく,色あせませんでした。それは,その鮮やかな色が羊毛に染み込み,どれほど洗っても消えることはないことを意味しています。
サタンはこの論法をこん棒のように振り回し,緋色の染みの付いた羊毛は決して白くならないと言います。しかしイエス・キリストはこう言明しています。「わが道は,あなたがたの道よりも高〔い〕。」
そしてキリストの恵みによる奇跡は,罪を悔い改めたときに,キリストの赤い血がわたしたちを清めてくださるのです。これは論理的ではありませんが,真実です。
「たといあなたがたの罪は緋のようであっても,雪のように白くなるのだ。紅のように赤くても,羊の毛のようになるのだ。」主は次のように強調しておられます。「自分の罪を悔い改めた者は赦され,主なるわたしはもうそれを思い起こさない。」つまりこう言っておられるのです。さあ,互いに論じよう。あなたは間違いを犯した。皆失敗することがある。わたしのもとに来て悔い改めなさい。
わたしはあなたの罪を二度と思い起こさない。あなたは再び傷のない者となる。わたしが備えた業を果たしなさい。キリストは羊の毛を白くしてくださいます。
でも,そのために実際は何を行うのでしょうか。わたしたちが揺れ動いているとき,イエス・キリストの力に再びつながるための鍵は何でしょうか。ラッセル・M・ネルソン大管長は,そのことを簡潔に述べています。「その鍵は,神聖な聖約を交わして守ることです。……それは複雑な道ではありません。」キリストを人生の中心に据えましょう。
もし,あなたの証のかがり火が消えうせ,暗闇が迫っていると感じたら,勇気を持ちましょう。神との約束を守りましょう。疑問について尋ねましょう。忍耐して石を溶かし,ガラスへと変えましょう。常に愛してくださっているイエス・キリストに頼りましょう。

イエスは言われました。「わたしは暗闇の中に輝いている光である。そして,暗闇はそれを理解しない。」 これは暗闇がどれほど励もうと,暗闇は決してその光を消すことができないことを意味しています。 主の光があなたのすぐ傍らにあることを信じてください。


わたしたち,またはわたしたちの愛する人が,一時的に暗闇に行くかもしれません。ソルトレーク神殿の場合,施設マネージャーのバル・ホワイト兄弟の電話がほぼすぐに鳴りました。人が見て気づいたからです。神殿の照明のどこが悪かったのでしょうか。最初に,職員が直接神殿のすべての配電盤を点検し,手動で照明を戻しました。その後,自動電源のバッテリーを交換し,どこが故障したかを見つけ出すためにテストを行いました。

自分の力だけで光を戻すのは簡単ではありません。友だちが必要です。互いを必要としています。ちょうど神殿の施設職員のように,直接姿を現し,霊的なバッテリーを充電し,悪くなった所を直すことにより,互いに助け合うことができるのです。

わたしたち個人の光は木につるしてある電球の一つに過ぎないかもしれません。それでもその小さな光を輝かせるとき,すべての電球が合わさることにより,クリスマスのときのテンプル・スクウェアがそうであるように何百万もの人を主の宮へと招くのです。とりわけ,ネルソン大管長が勧めているように,わたしたちは聖約を守るという単純な行いによって,わたしたち自身とわたしたちとって大切な人々に救い主の光をもたらすことができます。様々な方法によって,主はその信仰深い行いに力と喜びで報いてくださいます。
皆さんが愛されていることを証します。主は,皆さんがどれほど一生懸命に努力しているかを御存じです。皆さんは進歩しています。前進し続けてください。主は皆さんの隠れた犠牲のすべてを御覧になり,あなたとあなたが愛する人に報いてくださいます。あなたの働きが無駄になることはありません。あなたは独りではありません。主の名前であるインマヌエルは,まさに「神われらと共にいます」という意味です。 主は確かに皆さんとともにおられます。

暗くて遠くが見えないとしても,聖約の道をもう数歩進みましょう。光が戻って来るでしょう。イエスの言葉に真理があり,光に満ちていることを証します。「すなわち,わたしに近づきなさい。そうすれば,わたしはあなたがたに近づこう。熱心にわたしを求めなさい。そうすれば,あなたがたはわたしを見いだすであろう。求めなさい。そうすれば,与えられるであろう。たたきなさい。そうすれば開かれるであろう。」
イエス・キリストの御名によって,アーメン。

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(聖句ガイドより)

イザヤ
旧約の預言者。紀元前740-701年にかけて預言した。イザヤはヒゼキヤ王の中心的な相談役として,宗教と政治の両面で大きな影響力を持っていた。
イエスは他のどの預言者の預言よりもイザヤの預言を多く引用された。イザヤの言葉は,ペテロ,ヨハネ,パウロによっても,『新約聖書』によく引用されている。『モルモン書』と『教義と聖約』は,他のどの預言者の言葉よりもイザヤの言葉を多く含み,その解釈に大きな貢献をしている。ニーファイはイザヤの言葉を引いて民を教えた(2ニフ12-24章;イザ2-14章)。主はニーファイ人に「イザヤの言葉はまことに偉大」であり,イザヤの預言したすべてのことは成就すると言われた(3ニフ23:1-3)。

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※現在2022年+紀元前約700年
=2722年
イザヤの言葉は、約3000年の間、語り継がれたことになります。
イエス・キリストについては、
3000年の昔から或いはそれ以前から、世界中で説き教えられ続けています。

 なんじの若き日に、なんじの造り主を覚えよ

2022-09-04 07:24:00 | 日記

伝道の書 第12章


12:1あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。
悪しき日がきたり、年が寄って、「わたしにはなんの楽しみもない」と言うようにならない前に、
 12:2また日や光や、月や星の暗くならない前に、雨の後にまた雲が帰らないうちに、そのようにせよ。 

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( 続 1日一生 内村鑑三 からご紹介します。)

世に恥ずかしきこととて、時間に裕取(ゆとり)を与えざりしがゆえに汽車に乗りおくれし場合のごときはない。
少し早く家を出れば、この恥を取らずして済んだのである。
そうして、あに、ただ汽車のみならんや。
人生全体がしかりである。
死の間際まで、これを迎うるの準備をなさずして、急いで準備に取り掛かるも、よし全然無効ならずとも、不完全なるはまぬかれない。
「 なんじの若き日に、なんじの造り主を覚えよ 」とあるはこれがためである。
死の準備に充分の裕取あらんためである。
多く遊んで急に働かんとするがゆえに急ぐのである。
常に少しづつ働いて、泰然としてすべての責任に応ずることができる。
人生は長くして短し。
おのが使命を果たすには充分である。
されども、使命以外の事をなさんと欲して、生命が百あっても足りない。
おのが使命を自覚して、ゆったりとしたる、充実せる生涯を送ることができる。
(信22・101)

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( 続 一日一生 は、昭和39年:1964年 初版が発行されています。

編者は、山本泰次郎、武藤陽一
発行者は、中村義治
発行所は、株式会社 教文館 です。

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 内村鑑三は、万延2年:1861年 〜 昭和5年:1930年の人です。
この文章は、詳しく調べたらわかるでしょうが、明治後期あるいは大正時代に書かれていると思います。

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※ 若い時、東京の青山や恵比寿の安いアパートに住んでいました。
ある時、聖書を読んでいて、これはこんな意味ではないかなと、感じる時がありました。
結婚してすぐ、仕事は、江東区に、自転車で通っていました。
山手線を斜めに横切れば、自転車で通える距離でした。
真ん中に、日比谷図書館がありました。
そこに、内村鑑三の全集が置いてありました。
その日、帰りにそこに寄って、調べてみました。
自分の感じたことが、内村鑑三の全集の中に、同じように書いてありました。
どの箇所だったかは、残念ながら、忘れてしまいました。
50年前のことです。
それからです。聖書の解釈にすっかりはまってしまい、現在もそうです。
聖書の勉強は、早朝の静かな、頭の透き通った時間が、深く読むことができます。




イエス・キリストは闇の中に輝く光です。

2022-09-03 04:43:37 | 日記
生まれつき目が見えず,イエス・キリストに癒された人は,隣人やパリサイ人から詰め寄られてこう言いました。
「イエスというかたが,どろをつくって,わたしの目に塗り,『シロアムに行って洗え』と言われました。それで,行って洗うと,見えるようになりました。……
ただ一つのことだけ知っています。わたしは盲人であったが,今は見えるということです。」(ヨハネ9:11,25)
わたしたちも盲目でしたが,今は見えます。それ以来,わたしたちの家族は回復された福音の影響を受けたからです。福音の目的を理解することにより,三世代の家族が祝福を受けました。今後も多くの世代に祝福をもたらすでしょう。
イエス・キリストは闇の中に輝く光です。主に従って来る者は,「やみのうちを歩くことがなく,命の光をもつ」でしょう(ヨハネ8:12)。

(末日聖徒イエス・キリスト教会の総大会から、一部を抜粋して、ご紹介しました。)
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※今は、サタンとその手下が猛威を振るっている暗黒の時代です。
しかし、イエス・キリストを受け入れると、人生に命の光を持つことができます。この光は、信仰と希望と愛の喜びをもたらしてくれます。

※肥料の値上がりで、食料の不足が、予想されています。

対処方法は、皆さんいろいろと工夫されています。

私は、農業の素人ですが、お米を、20年近く栽培しています。肥料は、入れたことがありません。



(夜の映像で、すみません。2022-08-21穂が出たところです。)

又、次のような栽培も、福岡では、試みられています。


将来を、悲観することはありません。

畑を肥料無しで、栽培する方法は、次の機会に。


生まれつきの盲人

2022-09-02 06:48:31 | 日記
ヨハネ

第9章


9:1イエスが道をとおっておられるとき、生れつきの盲人を見られた。

9:2弟子たちはイエスに尋ねて言った、「先生、この人が生れつき盲人なのは、だれが罪を犯したためですか。本人ですか、それともその両親ですか」。

9:3イエスは答えられた、「本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである。

9:4わたしたちは、わたしをつかわされたかたのわざを、昼の間にしなければならない。夜が来る。すると、だれも働けなくなる。

9:5わたしは、この世にいる間は、世の光である」。

9:6イエスはそう言って、地につばきをし、そのつばきで、どろをつくり、そのどろを盲人の目に塗って言われた、

9:7「シロアム(つかわされた者、の意)の池に行って洗いなさい」。そこで彼は行って洗った。そして見えるようになって、帰って行った。

9:8近所の人々や、彼がもと、こじきであったのを見知っていた人々が言った、「この人は、すわってこじきをしていた者ではないか」。

9:9ある人々は「その人だ」と言い、他の人々は「いや、ただあの人に似ているだけだ」と言った。しかし、本人は「わたしがそれだ」と言った。

9:10そこで人々は彼に言った、「では、おまえの目はどうしてあいたのか」。

9:11彼は答えた、「イエスというかたが、どろをつくって、わたしの目に塗り、『シロアムに行って洗え』と言われました。それで、行って洗うと、見えるようになりました」。

9:12人々は彼に言った、「その人はどこにいるのか」。彼は「知りません」と答えた。

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先日、さつま串木野市の、

薩摩藩英国留学生記念館に、行って来ました。



矢内原 忠雄さんの、ヨハネ伝聖書注釈書が、置いてあり、少し読んで見ました。

生まれつきの盲人は、例えであり、
福音を知らない頃の、自分自身であったことが、分かりました。

福音を学ぶと、イエス・キリストの光の世界に、生まれ変わることができます。福音を学んでから、50年が経ちました。

その素晴らしさを、お伝えできればと、思います。