高校生になって、バトミントン部と科学部コンピュータ班に入った。
コンピュータ班は私が部長(班長)になったけど卒業時には消滅したはず。
バトミントン部は何かと金がかかるので、半年もせずにやめた。
入った当初よくわからないコンピュータ(家庭用ではない)と
たしか松下のキーボードぐらいのサイズの小型パソコンがあった。
最初部員は8人ぐらいいたけど、
6人は幽霊部員で出席日数が足りず。やめていった。
活動はというと、何をしていたのかサッパリ覚えていない。
文化祭で簡易に遊べるソフトを作って発表して、
あと富士通主催のコンテストに2度応募したぐらい。
2年次、生徒会にMSXを申請したけど、
生徒会とは関係ない人物におもちゃと反論されて通らなかったらしい。
私はそんな謎の会合に出る必要なし と判断していて参加せず、
いたら論破できたはずと少し悔しかった記憶がある。
そのあと2度めのコンテストに応募したら、
貸し出されていたFM-7をそのままもらった。
(1度目の参加予定で貸出、2度目の応募で贈与という形式)
部室はなく、科学室をまるごと借り切ってやっていた。
(隣の先生の宿直室も自由に使っていました。3年の頃)
面識はまったくないけど、そのあとその部屋には
でんじろう先生が在籍していたはずです。
映像研には手を出すなのドラマをまとめ見して、そんな記憶を思い出しました。
なぜこのアニメを見ていない。悔やまれるばかりです。
このアニメのコンテンツは”金になる!”とGHQが判断したようで、当分見れない気がします。
2期待ち中。
ドラマでは生徒会から予算を取るとか部として認めてもらうとか最初、重視されてますが、
コンピュータ班は予算とかまったくなかったし、自由にやってました。
生徒会、3年次には会長とか中心にうちのクラスのやんちゃグループが多く入って行った記憶があるのですが、
何をしていたのか不明です。他の高校とかだと、生徒会vs生徒という図式は聞いた記憶がなく。
生徒会vs学校(校則)という図式だった気がします。生徒会入ったことないけど。
コンテストの参加作品は全部一人で作りました。
というのも学校の下校時間まででは、作れるはずもなかったので、
同じ中学の友達が別の高校で1回目のコンテストで佳作を取ったので、(洞窟アドベンチャー)
2度目はがんばって、高校全体を歩けるテキストアドベンチャーを作ってました。
全ての教室を動き回れるデータ構造と移動と表示で力尽きた。
(まったく覚えていないけど40x40ぐらいで地下から屋上まで)
大風呂敷を広げて、登場人物を配置するでもなく、アイテムを置くわけでもなく。
イベントはつくらなかったはず。(時間切れか力尽きたか)
今もあまり変わっていない。