2020/03/14 その1
事務所の本棚を整理していこうと思い、片付けようとした本の中に本書があった。本の整理の時にはまず間違いなく生じることとして、片付けようとした本のページを開きぱらぱらとめくる。文章に惹かれるとしばらくその本の世界に入り込む。そして片付けできずじまいに手元に残す。今回もそうなった。
読み始めて、訳がすてきだなと感じた。序文を見ると、初版を1970年に著し、今回はその25年後のものとあった。まず、そこに惹かれた。1970年の25年後というと1995年。阪神淡路大震災の年だ。そして、次に自閉症研究の略史が紹介されその上に自らの研究に基づいた自閉症論が紹介されている。そこには、現在の自閉症論の基本があった。本書に描かれた自閉症論が現在の自閉症理解をカタチ作っていることがよく伝わり、それにあらためて感銘を受けたのだった。
そこで、この本は本棚の奥に片付けるのは止めて、ていねいに読み直そうと思った。
僕が自閉症臨床に関わるようになったのが1980年代初期。自閉症を巡っては混乱の時代であった。教育の分野では。自閉症は情緒障害児と呼ばれ、情緒障害教育の対象とされていた。やがて、自閉症は、脳の問題が元になっている障害であることが明らかにされていき、情緒障害児とは呼ばれなくなった。自閉症のある子どもの情緒的な問題は一次的なものではなく二次的なものとされ、適切に療育・教育がなされれば情緒的問題は生じないだろうという、この点では楽観的な理解が広がっていった。それは僕には疑問であった。ADHDではそれは言えても、ASDについてはそんなに割り切ってとらえることのできる問題だとはとうてい思えなかったのだ。では、情緒的問題とはいったい何なのか、情緒障害とは何なのかを問わざるを得なかった。それと自閉症など脳の問題が一時的要因とされている発達障害との関係も問わざるを得なかった。それは脳とこころとの関係の問題でもあった...
・・・と思いは、自分の問題意識へと向かってしまうが、ここではウイングの本との対話を記していこうと
思ったのだった。そこに立ち戻ろうと思う。
☆日本の読者へのメッセージ
1981年に一度来日した折に感じたことを書かれている。一番貴重な体験となったのは、日本の自閉症の子どもをもつ親御さんと会う機会をもったことだという。そこでの苦労は英国でも同じであり、子ども達が示す具体的な問題については違いがあっても、そこには一環して同じ性質のものがあり、とても親近感を覚えたとのこと。自閉症は、文化を越えて一貫した特徴をもつ問題なのだということがここでは示されている。
※しかし、これだけで自閉症が脳の問題だとは断じることはできない。文化を越えての問題は、情緒障害とて同じであるので。
☆はじめに
初版が著されたカナー型自閉症にもっぱら関心が寄せられていたことを1970年頃と1995年現在の研究状況の大きな違いが記されている。「自閉症については障害を最小限にし潜在的スキルを最大限に発揮させるような環境とか日課プログラムを作り出す方法がわかった」けれども「根底にある神経学的および心理学的な欠陥を改善するものではない」というのが1995年時点の状況であり、それは2020年現在もそう変わっていはいないように思われる。
この20年間の変化は、研究面だけではなく、社会状況の変化を受けて使用する用語にも変化をもたらしてきた。両親ではなく「単数形の親、もしくは親としての役割を分担しているパートナーと一緒にいる親」など、自閉症児という表現は差別的であるのでそれは止め、heやsheなど性の区別を避けてtheyという表現を使うよになったこと、精神遅滞mental handicapは、学習困難learning difficulties にt置き換えられています。しかし、これとてlearning disabirity という用語が公に使用されていてなお混乱があるとのことです。ウイング自身は「この新しい用語は、差別を排除するためのものですが。表現上のぎこちなさを生み出しており、実生活のうえで女性や障害のある人たちにどんな違いをもたらしたのか、私にはわかりません」と述べており、どうも用語にこだわりすぎることについてはすっきりしない思いを抱いているように感じられる。日本でも同様のことが生じているので、このウイングの表現は共感を覚える。
事務所の本棚を整理していこうと思い、片付けようとした本の中に本書があった。本の整理の時にはまず間違いなく生じることとして、片付けようとした本のページを開きぱらぱらとめくる。文章に惹かれるとしばらくその本の世界に入り込む。そして片付けできずじまいに手元に残す。今回もそうなった。
読み始めて、訳がすてきだなと感じた。序文を見ると、初版を1970年に著し、今回はその25年後のものとあった。まず、そこに惹かれた。1970年の25年後というと1995年。阪神淡路大震災の年だ。そして、次に自閉症研究の略史が紹介されその上に自らの研究に基づいた自閉症論が紹介されている。そこには、現在の自閉症論の基本があった。本書に描かれた自閉症論が現在の自閉症理解をカタチ作っていることがよく伝わり、それにあらためて感銘を受けたのだった。
そこで、この本は本棚の奥に片付けるのは止めて、ていねいに読み直そうと思った。
僕が自閉症臨床に関わるようになったのが1980年代初期。自閉症を巡っては混乱の時代であった。教育の分野では。自閉症は情緒障害児と呼ばれ、情緒障害教育の対象とされていた。やがて、自閉症は、脳の問題が元になっている障害であることが明らかにされていき、情緒障害児とは呼ばれなくなった。自閉症のある子どもの情緒的な問題は一次的なものではなく二次的なものとされ、適切に療育・教育がなされれば情緒的問題は生じないだろうという、この点では楽観的な理解が広がっていった。それは僕には疑問であった。ADHDではそれは言えても、ASDについてはそんなに割り切ってとらえることのできる問題だとはとうてい思えなかったのだ。では、情緒的問題とはいったい何なのか、情緒障害とは何なのかを問わざるを得なかった。それと自閉症など脳の問題が一時的要因とされている発達障害との関係も問わざるを得なかった。それは脳とこころとの関係の問題でもあった...
・・・と思いは、自分の問題意識へと向かってしまうが、ここではウイングの本との対話を記していこうと
思ったのだった。そこに立ち戻ろうと思う。
☆日本の読者へのメッセージ
1981年に一度来日した折に感じたことを書かれている。一番貴重な体験となったのは、日本の自閉症の子どもをもつ親御さんと会う機会をもったことだという。そこでの苦労は英国でも同じであり、子ども達が示す具体的な問題については違いがあっても、そこには一環して同じ性質のものがあり、とても親近感を覚えたとのこと。自閉症は、文化を越えて一貫した特徴をもつ問題なのだということがここでは示されている。
※しかし、これだけで自閉症が脳の問題だとは断じることはできない。文化を越えての問題は、情緒障害とて同じであるので。
☆はじめに
初版が著されたカナー型自閉症にもっぱら関心が寄せられていたことを1970年頃と1995年現在の研究状況の大きな違いが記されている。「自閉症については障害を最小限にし潜在的スキルを最大限に発揮させるような環境とか日課プログラムを作り出す方法がわかった」けれども「根底にある神経学的および心理学的な欠陥を改善するものではない」というのが1995年時点の状況であり、それは2020年現在もそう変わっていはいないように思われる。
この20年間の変化は、研究面だけではなく、社会状況の変化を受けて使用する用語にも変化をもたらしてきた。両親ではなく「単数形の親、もしくは親としての役割を分担しているパートナーと一緒にいる親」など、自閉症児という表現は差別的であるのでそれは止め、heやsheなど性の区別を避けてtheyという表現を使うよになったこと、精神遅滞mental handicapは、学習困難learning difficulties にt置き換えられています。しかし、これとてlearning disabirity という用語が公に使用されていてなお混乱があるとのことです。ウイング自身は「この新しい用語は、差別を排除するためのものですが。表現上のぎこちなさを生み出しており、実生活のうえで女性や障害のある人たちにどんな違いをもたらしたのか、私にはわかりません」と述べており、どうも用語にこだわりすぎることについてはすっきりしない思いを抱いているように感じられる。日本でも同様のことが生じているので、このウイングの表現は共感を覚える。
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