本書を手に取ったのは、数年前に母の米寿祝いに母と妹と三人で北海道旅行を
計画したときであった。自分の無知さ加減に衝撃を受けた本である。自分が持っ
ていた、あるいは持たされたアイヌのイメージとは全く違うアイヌと姿がそこに
は描かれていたのだ。自分の持っていたイメージは、アイヌの人たちへの差別的
にも繋がるものだ。それはやはり、ショックであった。
たまたまではあるが、今夕大江健三郎氏の出演したラジオ番組の録画を聞いた。
そこで語られていた、unlearnig そして unteaching ということばが、今胸に響き
渡っている。僕がアイヌについて教えられたこと、与えられたイメージについて、
unteachingし、unlearningしようとしているのだという思いは、僕をネガティブに
吹く心の風を包み返すように方向付けてくれる。これは論語の「過ちて改めざる、
これを過ちという」ということばと繋がってくる。また、安冨歩氏のいう学び=
魂の植民地化とその脱植民地化という思想と重なってもくる。
※学習の“学=learning”は、魂の植民地化の面を持っている。すると習
がunlearnigにあたるのであろうか?疑問が生じてくる。ただ、「習
=身につける」というプロセスにおいて絶えざる自分の心の声・魂
の声との対話が重ねられているとすれば、習=脱植民地化と言える
だろう。
大江健三郎氏は、この話の前段で“reread”の大切さを語ってもいた。一度目の
readは地図なし、印なしの中での読書であり、rereadはある程度の地図・印をも
っての読書となる。その営みが、unteaching そして unlearningとつながるのだ。
僕もまた、大江氏の教えを受け止めてrereadに取り組もうと思う。
☆はじめに
小見出しは「グローバリズムでもなく民族主義でもなく」とある。僕は知らな
いが、アイヌのミュージシャンOKIの音楽を語りながら、また、「ゴジラ」の音
楽で有名な伊福部昭の思想を引きながら、そのめざしているところを紹介してい
る。それが、この見出しに書かれているところである。これを読んですぐに僕は
「複合」という概念を連想した。複合とは、性質の違う矛盾対立しあうものを共
に重要なものとして受け止めてその両方を大切にする姿勢と力を意味する。
著者は本書の意図を「複雑なアイヌの歴史や文化の一端を提示し、そのカオス
の中から単純な二項対立の論理を乗り越えていこうとする」点にあるとしている。
著者はそれを「相乗」と呼んでいる。複合と同じ意味合いである。
「はじめに」で最も印象的であるのは、世界中のどの民族とも異なるアイヌの
特徴を一言であらわすとすれば、『日本列島の縄文人の特徴を色濃くとどめる人
びと』」という一文である。アイヌが縄文人と最もつながりの深い人たちである
ことを明言している。
【序章】
(1)著者はアイヌについての自らの研究を3つのテーマから関わってきたと言う。
それは、①変わってきたアイヌ、②変わらなかったアイヌ、③つながるアイヌ
ということである。
①については、アイヌが縄文人の末裔ということからアイヌ社会も縄文時代と
変わらない狩猟採集の暮らしを送ってきたと考えられがちであり、人類学者の渡
辺仁はそれを自然利用の視点から「アイヌ・エコシステム」としてモデル化して
いる。しかし、著者はそれを批判的に検討し、アイヌの自然利用は縄文時代のそ
れではなく、とりわけ日本との交易が大きな課題となった10世紀以降は、交易に
即した自然利用=猟・漁に積極的に従事してきたとしている。つまり、渡辺がア
イヌ・エコシステムと呼んだものは、縄文時代から変わらなかった自然利用や社
会のありかたではなく、アイヌが交易民として生きる中で作り上げていきた歴史
的な姿に他ならないとしている。
著者は、「はじめに」でアイヌが縄文人と最もつながりの深い人たちであるこ
とを明言しながら、このように「かわらないアイヌ」ということにかなり批判的
である。その上で、「かわらないアイヌ」という点にも注意深く目を向けておく
必要があるとも考えており、それは第1章で述べられることになる。
(2)シカの話
意外で面白い事実がいくつも紹介されており、それこそそのすべてをここに記
したいくらいであるが、まずのシカのことから。
15、6世紀頃までは北海道にはシカがあふれるほどにいたようであるが、中
世以降アイヌの乱獲によって激減し、1879年の記録的な豪雪によってほぼ死に絶
えてしまったそうだ。現在また相当に増殖して食害や交通事故などの深刻な問題
が起きているが、わずかに生き残った子孫たちなのである。命の不思議が思われ
るし、アイヌに限らず人類が生物にどんなことをしていたかが強烈に印象づけら
れる。
※アイヌが乱獲を行ったのは、本州の和人たちとの交易のためであった。
一方、人類がアフリカを出てすべての大陸に進出する、その都度に大型
哺乳類が絶滅していったそうであるが、これはなぜだろう?自分たちの
食用のためだけに絶滅をもらたすような乱獲を人類は行ったのであろう
か?
(3)狩猟の数量的規模
1804年のアイヌの総人口は2万3797人。内陸の上川盆地(旭川市のある盆地)
では、明治時代が始まる前後には300人、70戸ほどが暮らしていた。一戸あたり
4、5人というところか。核家族がイメージされるが、祖父母とはどうしていた
のだろう?それはさておき、その人口で移出していた狩猟品を見ると、年間キツ
ネ800枚、カワウソ200枚、イタチ1000枚、クマ150枚、そして、干鮭9万匹だ
ったという。鮭はこの時期まだ少ないそうで、最盛期には一戸あたり3000~500
0尾、上川アイヌ全体では20万~50万尾ほど出荷していた。これだけの量の狩猟
をしていたのだ。鮭は、卵を産むために川を遡上してそのまま死んでいくので、
漁獲量にあまり影響はなかったのだろうか?
翻って現代、私たち人類はその暮らしのためにどれほどの生物を殺しまくって
いるのだろうか?人口70億ともいわれるこの時代、すさまじい量であるには違い
ないであろう。それでも生物資源は枯渇しないのであろうか?資源という言い方
も傲慢であるが、生物は死に絶えていくことはないのであろうか?
(4)縄文とアイヌの違い-ゴミ捨て場エピソードから
縄文時代の社会の特徴は多様性にあり、10世紀以降の社会の特徴は一様性・偏
向性にある。縄文時代は、時に遺体でさえ貝塚というゴミ捨て場に捨てていた。
アイヌは、ごみにランク付けをしてそれはその捨て場の家からの距離に示されて
いた。縄文時代の貝塚は、ハエやネズミがたかり、悪臭に満ちていたと思われるが
それこそが生命や活力を意味していたのかもしれないと著者は言う。
(5)③つながるアイヌ
アイヌ神話における神と人間の関係と、実生活におけるアイヌと和人との関係が
並行していることにアイヌ語学者の知里真志保(ちりましほ)は言及している。
アイヌはこのように和人との交易を繰り返しを通して自らの文化を築いてきたの
である。ただこれは和人との関係だけでなく、北東アジアの人々、その人々の暮らし
に大きな影響を与えた唐~明などとも関係しあっていたこともわかってきている。
文化は交流の中で形成され、変容するものであり、文化的なオリジナリティとは、
その混淆と変容の仕方のなかにも見出されるべきもの、と著者は訴える。
現今の、他国を下に見ての「日本スゴイ!」「日本の伝統文化」論の風潮を思うと
貴重な指摘であると僕は思う。
計画したときであった。自分の無知さ加減に衝撃を受けた本である。自分が持っ
ていた、あるいは持たされたアイヌのイメージとは全く違うアイヌと姿がそこに
は描かれていたのだ。自分の持っていたイメージは、アイヌの人たちへの差別的
にも繋がるものだ。それはやはり、ショックであった。
たまたまではあるが、今夕大江健三郎氏の出演したラジオ番組の録画を聞いた。
そこで語られていた、unlearnig そして unteaching ということばが、今胸に響き
渡っている。僕がアイヌについて教えられたこと、与えられたイメージについて、
unteachingし、unlearningしようとしているのだという思いは、僕をネガティブに
吹く心の風を包み返すように方向付けてくれる。これは論語の「過ちて改めざる、
これを過ちという」ということばと繋がってくる。また、安冨歩氏のいう学び=
魂の植民地化とその脱植民地化という思想と重なってもくる。
※学習の“学=learning”は、魂の植民地化の面を持っている。すると習
がunlearnigにあたるのであろうか?疑問が生じてくる。ただ、「習
=身につける」というプロセスにおいて絶えざる自分の心の声・魂
の声との対話が重ねられているとすれば、習=脱植民地化と言える
だろう。
大江健三郎氏は、この話の前段で“reread”の大切さを語ってもいた。一度目の
readは地図なし、印なしの中での読書であり、rereadはある程度の地図・印をも
っての読書となる。その営みが、unteaching そして unlearningとつながるのだ。
僕もまた、大江氏の教えを受け止めてrereadに取り組もうと思う。
☆はじめに
小見出しは「グローバリズムでもなく民族主義でもなく」とある。僕は知らな
いが、アイヌのミュージシャンOKIの音楽を語りながら、また、「ゴジラ」の音
楽で有名な伊福部昭の思想を引きながら、そのめざしているところを紹介してい
る。それが、この見出しに書かれているところである。これを読んですぐに僕は
「複合」という概念を連想した。複合とは、性質の違う矛盾対立しあうものを共
に重要なものとして受け止めてその両方を大切にする姿勢と力を意味する。
著者は本書の意図を「複雑なアイヌの歴史や文化の一端を提示し、そのカオス
の中から単純な二項対立の論理を乗り越えていこうとする」点にあるとしている。
著者はそれを「相乗」と呼んでいる。複合と同じ意味合いである。
「はじめに」で最も印象的であるのは、世界中のどの民族とも異なるアイヌの
特徴を一言であらわすとすれば、『日本列島の縄文人の特徴を色濃くとどめる人
びと』」という一文である。アイヌが縄文人と最もつながりの深い人たちである
ことを明言している。
【序章】
(1)著者はアイヌについての自らの研究を3つのテーマから関わってきたと言う。
それは、①変わってきたアイヌ、②変わらなかったアイヌ、③つながるアイヌ
ということである。
①については、アイヌが縄文人の末裔ということからアイヌ社会も縄文時代と
変わらない狩猟採集の暮らしを送ってきたと考えられがちであり、人類学者の渡
辺仁はそれを自然利用の視点から「アイヌ・エコシステム」としてモデル化して
いる。しかし、著者はそれを批判的に検討し、アイヌの自然利用は縄文時代のそ
れではなく、とりわけ日本との交易が大きな課題となった10世紀以降は、交易に
即した自然利用=猟・漁に積極的に従事してきたとしている。つまり、渡辺がア
イヌ・エコシステムと呼んだものは、縄文時代から変わらなかった自然利用や社
会のありかたではなく、アイヌが交易民として生きる中で作り上げていきた歴史
的な姿に他ならないとしている。
著者は、「はじめに」でアイヌが縄文人と最もつながりの深い人たちであるこ
とを明言しながら、このように「かわらないアイヌ」ということにかなり批判的
である。その上で、「かわらないアイヌ」という点にも注意深く目を向けておく
必要があるとも考えており、それは第1章で述べられることになる。
(2)シカの話
意外で面白い事実がいくつも紹介されており、それこそそのすべてをここに記
したいくらいであるが、まずのシカのことから。
15、6世紀頃までは北海道にはシカがあふれるほどにいたようであるが、中
世以降アイヌの乱獲によって激減し、1879年の記録的な豪雪によってほぼ死に絶
えてしまったそうだ。現在また相当に増殖して食害や交通事故などの深刻な問題
が起きているが、わずかに生き残った子孫たちなのである。命の不思議が思われ
るし、アイヌに限らず人類が生物にどんなことをしていたかが強烈に印象づけら
れる。
※アイヌが乱獲を行ったのは、本州の和人たちとの交易のためであった。
一方、人類がアフリカを出てすべての大陸に進出する、その都度に大型
哺乳類が絶滅していったそうであるが、これはなぜだろう?自分たちの
食用のためだけに絶滅をもらたすような乱獲を人類は行ったのであろう
か?
(3)狩猟の数量的規模
1804年のアイヌの総人口は2万3797人。内陸の上川盆地(旭川市のある盆地)
では、明治時代が始まる前後には300人、70戸ほどが暮らしていた。一戸あたり
4、5人というところか。核家族がイメージされるが、祖父母とはどうしていた
のだろう?それはさておき、その人口で移出していた狩猟品を見ると、年間キツ
ネ800枚、カワウソ200枚、イタチ1000枚、クマ150枚、そして、干鮭9万匹だ
ったという。鮭はこの時期まだ少ないそうで、最盛期には一戸あたり3000~500
0尾、上川アイヌ全体では20万~50万尾ほど出荷していた。これだけの量の狩猟
をしていたのだ。鮭は、卵を産むために川を遡上してそのまま死んでいくので、
漁獲量にあまり影響はなかったのだろうか?
翻って現代、私たち人類はその暮らしのためにどれほどの生物を殺しまくって
いるのだろうか?人口70億ともいわれるこの時代、すさまじい量であるには違い
ないであろう。それでも生物資源は枯渇しないのであろうか?資源という言い方
も傲慢であるが、生物は死に絶えていくことはないのであろうか?
(4)縄文とアイヌの違い-ゴミ捨て場エピソードから
縄文時代の社会の特徴は多様性にあり、10世紀以降の社会の特徴は一様性・偏
向性にある。縄文時代は、時に遺体でさえ貝塚というゴミ捨て場に捨てていた。
アイヌは、ごみにランク付けをしてそれはその捨て場の家からの距離に示されて
いた。縄文時代の貝塚は、ハエやネズミがたかり、悪臭に満ちていたと思われるが
それこそが生命や活力を意味していたのかもしれないと著者は言う。
(5)③つながるアイヌ
アイヌ神話における神と人間の関係と、実生活におけるアイヌと和人との関係が
並行していることにアイヌ語学者の知里真志保(ちりましほ)は言及している。
アイヌはこのように和人との交易を繰り返しを通して自らの文化を築いてきたの
である。ただこれは和人との関係だけでなく、北東アジアの人々、その人々の暮らし
に大きな影響を与えた唐~明などとも関係しあっていたこともわかってきている。
文化は交流の中で形成され、変容するものであり、文化的なオリジナリティとは、
その混淆と変容の仕方のなかにも見出されるべきもの、と著者は訴える。
現今の、他国を下に見ての「日本スゴイ!」「日本の伝統文化」論の風潮を思うと
貴重な指摘であると僕は思う。
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