いやいや、長い道のりでしたがValle d'Aosta(ヴァレ・ダオスタ)州も今回が最終回。
ここばかり特集していたらなんかAostaの観光関係の人にフォローされてしまいました。
もう今回で終わりですよ・・・
さて最終日。
この日もハードだったなぁ・・・と写真を見て改めて振り返る。
朝
ホテルの部屋から見えた朝日。
あ~この日も天気は良かった。
いや~今日も3時ごろまでは天気が良かったのに、天候急変。
今日はこの時間図書館にいたのですが、遠くでごろごろ聞こえて急いで家に帰って洗濯を取り込み、また図書館に逆戻り。
その間10分かかってないですけど。
程なくゲリラ豪雨・・・
1時間ほどで止みましたが、今日も気温は20度以下。
夏、ないです今年。冬もなかったけど・・・
木曜から10日くらいは天気が良くなるとは言っていますが・・・なってくれないと困るぞ。
そうそうこの日はそんな雨の心配はなかったのですが、他に心配事が。
気になったのでネットで検索したらなんと切符がない!?
いや、売り切れ!!
しまった・・・
この日はAostaからVeronaへ移動だったのですが、既に安いチケットがなかったので、駅で買おうと思っていたのに、前日買うの忘れちゃったんです。
でも大丈夫だろうと思っていたら・・・
しかし、よ~く見たら到着時間同じ電車がある。
出発が1時間早い、ということで遠回りをしていく線ね。
それにしてもおかしい。
同じ電車なのに、Milanoからの切符は売り切れていて、その1個手前のNovaraからなら切符が買える。
逆なら分かるけど・・・
なんか変だけど、これしかないので、即ネットで予約。
Aosta11:32発の電車に乗らなくていけなくなりました。
刻々と時間は過ぎるけど、ここは朝食も良かったです。
胡桃がくるみを割る機械(?)と一緒に出ていたり、チーズは自分で切り分けたり。
時間が掛かるわけです。
出発前、窓からのぞいてちょっと変と思ったこの建物。
建物の外にエレベーターが着いています。
後からつけたものだというのは分かりますが・・・
こんなことしているので益々遅くなるわけです、はい。
とりあえず2時間あれば小さな街だから周りきれるかなぁ・・・なんておお間違いでしたけど。
まずはホテルから一番近かったCattedraledi Santa Maria(大聖堂)へ。
現在の建物は19世紀に建てられたらしいですが、もともとこの場所には4世紀ごろAostaの大聖堂が建てられていました。
表の感じからは全然分からなかったのですが、教会はもともと994年から1026年にアンセルモという司教が建てたロマネスク様式が核になっているそうです。
私の興味を引いたのは
この部分だけですけど・・・資料がなくて詳しいことは分かりません。
いや、調べれば分かるのですが・・・はいはい。
ということでWikipediaを読み出したら、色々面白いことが分かり、その反面がっかり。
知らないと見落とし本当に多いです。
ということでwikipediaを頼りに、久々に少しまじめに美術の話をすることに急遽したため、
今回は最終回にはなりそうもありません。
この彫刻はルネサンス期のもので、この囲い(Atrio:柱廊玄関)は1800年代のものだそうです。
時間もなかったしあまり興味がわかなかったのもありよく見てなかったのですが、これすごく良く出来てるんです。
wikiでも15行に渡って説明されているじゃないですか。
このファサードには4つの物語がフレスコ画で描かれています。
3つの聖母のエピソードと幼少期のキリストです。
この教会自体がSanta Mariaということで聖母マリアに捧げられた教会ですから、聖母のエピソードがメインなのは当然です。
物語は右から左に向かって、下の門の大きさに合わせて
Annunciazione(受胎告知),
Natività (キリスト誕生。真ん中の門の上の月型)
Presentazione di Gesù al Tempio(キリスト奉献)が描かれています。
3つじゃん、と思わないで下さいね。
一番重要なのはこれ。
この写真は2度目の登場ですが、このまぐさ(trabeazione)の上の人たちはテラコッタという粘土の素焼きで出来ています。
何処かで見覚えが・・・と思った人はすばらしい。
昨年ちょっと紹介しましたがピエモンテ、ロンバルディア州の伝統Sacro Monte(聖なる山)の影響を受けていると思われます。(詳しくはこちら)
人間のほぼ等身大で出来ていて、上の三角のところに両脇を天使に抱えられた”聖母被昇天”のシーンがあるのですが、それを見ている使徒たち・・・11人ですね。
それから写真でかろうじて見えているメインのアーチ
この内側には聖母を迎える準備が整った、8人(?)の音楽を奏でる天使が描かれています(Angeli musicanti)
そうそう、この教会の正式名称は
La cattedrale di Santa Maria Assunta e San Giovanni Battista
マリア被昇天と洗礼者ヨハネに奉じられた大聖堂でした。
更に詳しく見ていくと左右の門の上とこの偽物の窓みたいな四角の上の月型の中から顔を出している人たちは4人の預言者。
これもテラコッタで出来ています。
まぐさの下の丸の中から飛び出しているのは
San Giovanni Battista(洗礼者ヨハネ)
San Grato(聖グラート)
San Giocondo(聖ジョコンド)だそうです。
この街はこうしてちゃんと観光案内表示がしてありました。(読む時間はなかったので撮影のみ)
そして見逃してはいけないのが大聖堂の左にあるここ
criptoporticoという聞きなれない言葉ですが
cripta(地下礼拝堂)+portico(アーケード)
を一緒にした言葉であることは分かります。
なんだ?と思って中に入ってみると・・・
ここは撮影が禁止だったので、Wikipediaから写真を拝借しました。
ローマ時代のアーチの跡。それもこんなに綺麗に残っています。
もともとTempio(寺院)を囲んでいたこのアーチの上に建物が建ってしまい、長年ここは倉庫として使われたいたそうです。
これがアオスタに残されたローマ遺跡で最も保存状態がいいもの、というのも分かります。
実はこの用途が全然分からなかったので、入り口にいたおじさんに説明してもらったんです。
でも・・・すっかり忘れちゃった。(パンフレット英語が残っていたけど両親が持って帰ってしまいました。)
1つ覚えているのはたしかSの字だったかな、ローマ時代のものらしいんだけど、それをトリノのエジプト博物館を作った人が発見した、と言っていました。
その字もおじさんに案内してもらわなかったら気が付かないところにありました。
Aostaの街はローマ皇帝Augusto(アウグストゥス) が紀元前25年にアウグスタ・プレトリア、所謂植民地として建設したそうです。ローマ人はこの地を5世紀に渡り支配していたということで、街中には今でもローマ時代の遺跡が多く残されています。
ここの見て、大聖堂の中へ
フレスコも残っています。
これは教会に入ってすぐ右側にあったものでAltare di Santa Lucia(聖ルチアの祭壇)
と呼ばれていて、フレスコ画で聖母子、聖ヨハネが聖ピエトロ、洗礼者ヨハネ、聖カテリーナ、聖ルチアに囲まれている1526年頃の作品で、ファサードのフレスコ画を描いたのと同じ画家の手によるもので、この画家はGiovanni Martino Spanzotti(ルネサンス期のピエモンテの絵画の改革者と言われているの元で修行したと思われている画家だそうです。
ほっ、これは説明がない。
こちらは時代がもう少し下るかな?
建築は新しいけど、装飾はそうでもないですね。
これなんかは完全にロマネスクでしょう?
Cripta(地下礼拝堂)です。
これがあるということはロマネスク以前(ゴシックになると極端に少なくなるって、今日勉強したばかり)
criptaは本来ここに重要なお宝を置いておいた場所です。
そのお宝が高位の聖職者や皇帝などだったこともあります。
大体は主祭壇の下にあります。
ちなみにこの教会ではこの場所が一番古い部分で、”アンセルミ時代の大聖堂”の完全な形で保管された証です。
広さは16,3 x 8,6 m., 3つの身廊からなっていてそれぞれが礼拝堂に繋がっています。
ここでは違う装飾、大きさの柱に気が付くと思います。
この太いやつ
これはローマ時代のもので、この礼拝堂の天井が崩れないように支えるために置かれています。
10世紀の柱頭を付けた4本の細い柱が一番古いものだそうです。
ちなみにここには司教も眠っています。
criptaへは右の身廊から入ってください。
そして上に上がってびっくり
こんなすばらしいモザイクを持っているなんて思わなかった。
ちょっと見にくいけど、中央の縁を取り囲んでいる丸の中は一年の様子を擬人化して描かれていて、12世紀の終わりごろの作品だそうです。
こちらは”天国の4本の川”だそうです。
う~ん、とても良く出来ています。
主祭壇
後陣の後ろが博物館になっていますが午後だけでした。
今Wikipediaを読んでいたら、chiostro(回廊)も見てないし、1979年に発見されたフレスコ画も見れていない。
あ~あもう一度ゆっくり訪れたいなぁ。
更にWikipediaを読んでいて、丁度今日勉強していことが出ていたので忘れないように書いておきます。
実はこの教会すごく珍しい建築構造をしていたんです。
イタリアには非常に少ないwestwerkという建築物が有ったとされています。
Westwerkとは塔が教会の一部に組み込まれているんです。
典型的なドイツ様式。
それを壊してしまいまい、塔を独立させました。
こんな感じ。
ステキな螺旋階段発見。
これはオルガンを弾くために上がる時に使うんだと思います。
なんて色々書いてるうちに眠くなって来ちゃったよ・・・
ということで大聖堂の話が終わったところでお開きに。
古代ローマ時代好きには、今回のはたまらなくワクワクしました。ほんの少しの部分しか観光したことないですが、またイタリアに行く楽しみが出来ました。Aostaはとても良い場所って聞くので、将来的には、Fontanaさんのブログを参考に旅も良いかも!
お久しぶりです。元気ですよ~(^^)
アオスタについてはまだ書くことが有りますが、私ももう一度ゆっくり訪れたいです。本当におすすめです。
はじめまして。鷲の巣村、中世の集落、古い街道に興味があり、毎年ヨーロッパを旅している同世代の者です。
訪問先はフランスとイタリアが多いです。
何から書けばよいのかわからないくらいちょっと興奮して書き込みをしております。
とにかくこちらのブログに辿り着いた偶然に感謝です。
えっと、私もこの8月、トリノとヴァッレ・ダオスタ州に旅行しました。約20年前にアオスタ、モンブランは訪れたので、州都アオスタには行きませんでした。アヤス渓谷、ポン・サンマルタン、トリノと移動しました。
アオスタですが、fontanaさんのブログを帰国後に偶然拝見し、あの地下を見ればよかった!と激しく後悔しております。
出発直前にフランチジェナ街道のことを知り、強く惹かれつつもイタリア語の説明がチンプンカンプンのまま出発しました。で、帰国後に日本語で検索したらfontanaさんの訳文がとてもわかりやすく、勉強になりました。街道好きなので、これからも細々と調べたいと思っています。もしかしたら何かお聞きすることがあるかもしれません。
まったく今回はリサーチ不足でして、最後のトリノは不完全燃焼でした。 今回の旅行先、よく考えたらトリノしかかぶっていないのっですが、私も高齢の母を連れての女2人旅で、fontanaさんがご両親をご案内している様子を読んでところどころ共感を覚えた次第です。
fontanaさんの旅ている街や村、とても素敵なところですね。これからも過去の記事をゆっくり拝見したいと思います。もちろん、これからの記事も楽しみにしております。
長文失礼しました。
はじめまして、熱いコメントありがとうございます。とってもうれしいです。
丁度、昨日までLazioのフランチジェナ街道沿いに行ってきたので、そっちも少しずつ載せて行く予定なので、是非また遊びに来てくださいね。コメントも大歓迎です!!
p.s コメントを見て、アオスタまだ終わってなかったんだ、と再確認した次第です。(苦笑)こちらも早く済ませないと・・・