あっという間に8月も最終日。
明日から新学期~では今はないんですね。
さて、昨日の続き。
特別展のチケットで常設展と谷内六郎のコレクションを見ることができます。
常設展は、藤田嗣治など名前を聞いたことが有る人の作品もありましたが、特記するものはなく、この辺りにゆかりのある人の作品が主でした。
ただ、その常設展の最後が中園孔二という人の個展になっていました。
私は彼の名前を聞いたこともなく、作品も好みではなかったので、さっと流してしまったのですが、家に戻ってきてちょっと後悔。
もっとじっくり見ればよかった…
写真:横須賀美術館オフィシャルサイトより
今どきの画家なんだな、と思っていましたが、中園さん、2年前に不慮の事故でお亡くなりになっていたんですね。
生前のビデオも会場で流れていたので、その事実を知った時はちょっと驚きでした。
東京藝術大学在学中から、多彩かつ様々な技法でおびただしい数の作品を残し、型にはまらない、奔放なイメージの新進気鋭の作家として注目されていたそうです。
そんな彼の作品50点が展示されていました。
彼の死後もなお海外の重要な展覧会に作品が出展されているそうです。
こちらの個展は9月30日まで開催しています。
そしてもう1か所
横須賀美術館には「谷内六郎館」があります。
谷内六郎の名は知らずとも、この絵をみれば「あ~」と思う人は多いと思います。
”谷内六郎は1956(昭和31)年から26年間、『週刊新潮』の表紙絵を担当しました。
その原画総数は約1,300枚になります。その中には、昔なつかしい、郷愁を誘う情景だけでなく、不安や恐怖といった暗い感情をテーマとしている原画や、谷内らしい機知の効いた場面を描いた原画があります。
谷内六郎館では、そうした表紙絵原画を中心とした展示を行っています。
また、谷内六郎は〈週刊新潮 表紙絵〉1枚につき約400字の「表紙の言葉」を書き残しています。谷内ならではの視点で書かれた言葉から、表紙絵に隠された思いや、社会に向けたまなざしをうかがうことができます。”(横須賀美術館サイトより抜粋)
なんとなく最近までこの絵が身近にあった気がするのですが、谷内さんのイラストが使われていたのは1981年までなんですね。
1975年美術館の目と鼻の先にアトリエを構えた谷内氏、そんな縁も有って谷内さんの死後、1998年に多くの作品が横須賀市に寄付され、2007年、横須賀美術館の別館として谷内六郎さんの絵を常設する「谷内六郎館」がオープンしました。
絵もさることながら、一枚一枚に添えられた「表紙の言葉」という表紙の情景を説明したり、その時々谷内氏が考えていたことなどを書き記した文章が、非常に”昭和”で思わず読みながら、くすっと笑ってしまいました。
中でも非常に心に残った、というより、これ最近どこかで読んだ気がするんです…
しっかりは覚えていないのですが、田舎の村を訪れると、そこがかなり近代化していて良かったですねというと農家の人が「便利になったのはいいけど、現金が必要になって困るよ」というようなことが書かれていました。
また、当時はテレビが流行り出し、そのことを憂う文章がそこここに。
テレビのせいで最近は影絵などする子がめっきり減ったとか。
まるで今のPCばかりにのめり込んでいる現代人への不満のように聞こえました。
他にも同じように1980年代、めっきり目にすることが少なくなったと空き缶で缶馬(ぽっくり、缶の竹馬とも)の絵など、非常に懐かしいものが画面いっぱいにあふれていました。(私は昔この缶馬やったことが有るけど、そんな名前だったかしらん?)
こちらは一年に数回展示替えがあり、今回の展示は9月30日まで。
10月7日からは「みんなが選んだ谷内六郎」という2016年から2017年にかけて、厳選された123点の原画を対象に行われた人気投票の結果に基づく展示が始まります。
古き良き時代にノスタルジーを馳せながら、心の洗濯がしっかりできた1日でした。
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