イタリアの泉

今は日本にいますが、在イタリア10年の経験を生かして、イタリア美術を中心に更新中。

エステルハージの聖母ー年末強行Milano その1

2014年12月28日 00時00分55秒 | イタリア・美術

1週間が、いや一年が過ぎるのが早すぎる…
12月だって既に3分の1終わっちゃったし。
うわ~今年もここに載せられなかったこと山ほど有りましたよぉ。

さて、ミラノの話。
はるばるミラノくんだりまで行ったのはItaloの陰謀だったという話はしましたが、行くからにはそれなりの目的があるんです。
まぁItaloの件がなければ行かなくても良いかな、とも思っていたけど、行ったらやはり俺の青春ラブコメはまちがっている。行って良かった、と思ってしまうわけです。

う~ん集中して書きたいのですが、今丁度テレビでミラノの特集をしていて、そのせいで集中出来ん。
ということで少々お待ちを。

ということで20日以上この状態で放置しておいたんですよ、私。
あっ、しまったお湯沸かしてるんだ。
おっとと、お茶も入れて改めてスタート。
え~とMilanoに行った最初の理由はこちら

このPalazzo Marinoでは毎年12月頭から翌年1月頭まで、結構重要な作品を無料で公開しています。
ミラノ市民へのクリスマスプレゼントかしら?
過去にもCaravaggioの作品が有ったし、あのSan SpiritoのMichelangeloの作品と言われている"キリスト磔刑"もこのからみじゃなかったかな?
昨年は日本に帰国する前だったし(試験勉強も忙しかったんだ)
Canovaだったので見に行かなかったんです。
でも今年は


Raffaelloだっていうから、はるばるやってきたわけです。
更にこの作品ブタペストからだっていうし・・・ブタペストに行く可能性は薄いので。
まぁ想像通り1時間弱待たされました。

見学はガイド付き。
一回に30人くらいが入れるのかな?
丁度この時期は学校の課外授業の時期だったようで、私が並んでいる間も3組くらいが次々と入って行きました。
展示作品は3点。
このメインの「エステルハージの聖母」(なんて読むのかわからなかった・・・)

写真で見ている限りではわからないですがこれすごく小さい作品なんです。
縦横20センチちょっと。 

この作品はすごく興味深い作品で、この大きさから個人がプライベート使用で注文したものではないかと言われているのですが、確かな記録は残っていません。
1508年、Raffaelloが25歳の作品と言われていて、この1508年は彼にとっては転換期、フィレンツェからローマへ移った年なんです。
ということでこの作品はフィレンツェ最後の作品と考えられているのですが、背景にローマの遺跡群が描かれていることから作品をローマに持って行き、描き加えたのだろうと考えられています。
3角形の構図にレオナルド・ダ・ヴィンチの影響が色濃く見られるということで、会場にはダ・ヴィンチの"la Vergine delle rocce"(岩窟の聖母)のコピーでFrancesco Melziのla Vergine del Borghetto

こちらの作品
岩窟の聖母、2バージョンあることはご存知でしょうか?
私はお恥ずかしいことにこの展覧会に行くまで知らなかった(もしかしたら知っていたけど忘れていたのかも) 
そのどちらもミラノ描かれたといわれています。
1枚はルーヴル、

もう一枚はロンドンのナショナルギャラリーが保管しています。
このロンドンの方は

1508年以前に描かれたレオナルドの作品だといわれている。
以前はレオナルドの弟子が描いた箇所がある程度存在すると考えられていたが、ナショナル・ギャラリーが実施した修復作業の過程で、ほとんどの箇所がレオナルドの手によるものであると発表した。
ロンドン・ヴァージョンは、ミラノのサン・フランチェスコ・グランデ教会にある聖母無原罪の御宿り信心会の礼拝堂の祭壇画として描かれた。1781年ごろに教会がこの作品を売りに出し、遅くとも1785年にはスコットランド人画家ギャヴィン・ハミルトン (en:Gavin Hamilton (artist)) が購入して、イングランドへ持ち込んでいる。その後複数の収集家の手を経て、1880年にナショナル・ギャラリーが購入した(wikipediaより)

と何の目的で描かれたかはっきりしているのに対して、なぜコピーが作られたのかは疑問。
更にこれ正確なコピーじゃないんですよねぇ
よ~く見るとわかりますが、ルーヴルバージョンでは天使が洗礼者ヨハネを指差しているのに対して
ロンドン版は手を挙げていない。
そしてこのコピーはといいますと 挙げてる~ということでルーヴルバージョンのコピーなんです。
ただ実際ミラノで目にすることが出来たのはこのロンドン版の方。
ルーヴル版はダ・ヴィンチがフランスへ持って行ったといわれています。
だから持ち運びがしやすいようにキャンバスに描かれていたというのもうなづけます。 

とこんな説明を会場ではしてくれました。
説明してくれたお姉さんはとてもわかりやすかったのに、もう1つのこちらの作品についてはよく覚えてないなぁ・・・
他にもこれを書くのに色々調べていると、聞いたのと違うことを書いている人もいるので、もしかしたら間違えているかも・・・
間違えていたらごめんなさい!(最初から誤っておこう!)

Madonna della Rosa(バラの聖母子)
バラは純潔の印、でしたね。
Giovanni Antonio Boltraffioの作品でこちらは地元MilanoのMuseo Poldi Pezzoliに所蔵されているダ・ヴィンチの影響を受けた作品です。

さて、Raffaelloの作品に話を戻しますと
1508年ローマに向かったのはGiulioⅡ(ユリウス2世)に招かれて、のことでした。

これはRaffaelloが描いたPapaの肖像画。
本名というか俗名でしょうwikipediaさんGiuliano della Rovere
あのシスティーナ礼拝堂を建設したSistoⅣの甥に当たります。
悪名高きAlessandroⅥ(つまりRodrigo Borgia チェーザレ・ボルジアの父と言った方が早いかな?)とはライバルで・・・ってこの話を始めたら絵の話には戻れないので止めましょう。
とにかくSistoⅣの甥ですから、こちらも芸術に関しては非常に関心が高く、多くの芸術家を支援し、ルネサンスの最盛期を花開かせた、と言っても過言ではないでしょう。 
また彼がMichelangeloにシスティーナ礼拝堂の天井画を依頼し、San Pietro大聖堂の新設を発案したりもしています。

さてこの"エステルハージの聖母”の記録が残されているのはClementeXI(クレメンス11世)の頃、詰まり1700年代になる。
それまでどこをどうさまよっていたのか、バチカンの中に残されていたのか、などなどの詳しい資料は残っていない。
このClementeXIの手から エリーザベト・クリスティーネ・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル
ってなんて長い名前なんだ・・・
神聖ローマ帝国の皇帝カール6世の皇后で神聖ローマ皇后、オーストリア女大公、ハンガリー女王、ボヘミア女王とどれだけのタイトル持ってるの?というマリアテレジアの母です。
彼女にこの"聖母"は献上されます。

そしてその後また行方不明。
19世紀にハンガリーの名門貴族エステルハーシ家が購入したところから今もこの名前で呼ばれています。
ちっ、もっと簡単な名前ならいいのに・・・ 
その後ブタベスト国立西洋美術館に保管されています。

ところでこの作品を含めて同じくRaffaello作の il Ri­tratto di gio­vane(若者の肖像画。現在はcar­di­nale Ip­po­lito d’Esteと断定されている)他 e al­Gior­gione, Tin­to­retto 、Tiepolo.多くの有名なイタリア絵画のみが1983年11月5日の夜中に盗みだされてしまいます。
そしてイタリアのCo­mando per la Tu­tela del Pa­tri­mo­nio Cul­tu­rale(文化財保護を専門にする警察の機関)がハンガリー、ギリシャの警察と協力して盗まれた作品を探し出します。
作品はギリシャの使われていない修道院にありました。
ちなみにこの捜索活動のことは”Operazione Budapest”と呼ばれているそうです。

作品が無事に戻ったのは良かったのですが、劣悪な場所で保管されていたため、この作品はたゆがんでしまい、更に半分に割れてしまいます。
今ではきれいに修復されていますが、さすがにたわみは近くによるとよ~くわかります。
それくらい近くに寄ることができ、更に無料ですから1時間ぐらいなら並びますよね。

あ~あ時間をあけずにせめてどこかに書き付けておけば、もう少し詳しくお伝えできたのに・・・と思うことが今年も多かったな。
来年はそこらへんを少しでも改善できるようにがんばりましょう。



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