イタリアの泉

今は日本にいますが、在イタリア10年の経験を生かして、イタリア美術を中心に更新中。

San Lorenzo Maggiore a Milano

2014年08月28日 22時46分52秒 | イタリア・美術

今回は本当は先週行っていたViterboの話をしようと思っていたのですが、
なにせそちら写真が多くてまずそれを整理しないと始められない・・・
というのと今日勉強していたら、「お~これ忘れてたよ~!!」
ということを発見したので、それを書くことにしました。

と書き始めたのは実は昨日の夜。
色々調べていたら眠くなっちゃって・・・
日中頭を酷使しているので、家に帰ってイタリア語を読むとすぐ眠くなる。
だから今朝勉強する前に、必要なものは読んでおきましたよ~
ということで、久しぶりに食べ物じゃない、まじめなお話です。

実は先日仕事でMilanoに行った時、わずかに空き時間が出来ました。
せっかくだから何か見たい(貧乏性だなぁ・・・)
ということで、ホテルから一番近かったSan Lorenzo Maggiore(サン・ロレンツォ・マッジョーレ教会)に行ったんです。
「Milanoに来たからショッピング~」じゃないところがいかにも私らしい・・・

ここかつて1度来たことが有るのですが、かなり前だし、確か閉まる寸前だったので、お目当てのものが見られなかった気がしてたんです。

San Lorenzo(サン・ロレンツォ教会)はミラノの初期キリスト教建築ではSant'Ambrogio(サンタンブロージョ教会)と同じくらい重要な教会・・・だってこと昨日知りました。
そんなことで大丈夫なの、私???

なんとなくミラノにローマの遺跡!?
とピンと来ないのですが(私だけ?)、これがミラノ市内でも一番きれいと言われているローマ時代の痕跡。
1世紀ごろのものです。
ここはナボリア運河に近い割りに栄えたエリアなので、この柱を見ると結構びっくりします。
実はこの柱は元々ここに有ったものではなく、キリスト教の栄光をたたえる為に移築されたものなんだそうです。
更に建築当時ここが丘の上だったというからそれもまた驚き。

これ、ちょっと分かりにくいですが、300年ごろのミラノの地図。
赤い丸がSan Lorenzoでその左下の楕円はArena,野外劇場ですね。
一番大きな中央の青はCirco e termeということで円形劇場と温泉ですよ、温泉。
教会を作るための石はこの円形劇場のものだそうで、ここには6万席あったそうですよ。
こうやって見るとMilanoはローマの街だったんですねぇ・・・日本語がおかしいですが。

この柱の後ろにSan Lorenzo教会はあります。

現在広場にいる(ある?)騎馬像を修復中のようです。誰だったっけ?
あっ、すみませんCostantino(コンスタンティヌス)って書いてありました。
コスタンティヌス帝が313年ミラノ勅令を出したことでキリスト教が公認されるわけですが、このSan Lorenzoはその勅令が出て一番初めに建てられた教会なんだそうです。

暑いので中に入ります。
イタリア、特に北の方はこの夏本当に天気が悪かったので、この日は数少ない夏日だったのでした。
中に入ってびっくり

でかい!
それもそのはず、この教会ミラノではDuomoの次に大きいそうです。(高さも2番目)
Romaのmausoleo di S.Costanza(サン・コスタンツァ霊廟)などにも見られるこの8角形のフォームは、本来は東の方、コスタンティノープル(現イスタンブール)のアヤソフィアが代表的です。
本来ローマのSan Lorenzoを奉った教会では壁をモザイクで飾るのが伝統的ですが、11世紀の火災や1500年代にcupola(丸天井)が落ちたりと度重なる災難で、今は一部しか残っていません・・・って実はこれが見たくてやって来たんです。
中央の主祭壇は1600年代のもので、Garavagliaという人のプロジェクトだそうです。
マトロネオと呼ばれる本来は女性用の歩廊がありますが、この教会の場合は女性ではなく、皇帝の家族用に作られたもののようです。

写真では分かりにくいのですが主祭壇の両脇にはAngeli adoranti(祈りの天使?とでも訳せばいいのか?)
祭壇にはMadonna dei miracoli(奇跡の聖母)があります。
この聖母図は教会のそばに有った墓所の小さな礼拝堂からはがしてきた(フレスコなのかしら?)ものだそうです。
実は全死刑囚が最後のお祈りをするためにこの聖母の前を通ったと言われ、最後に”母”のまなざしに触れることが出来たといわれています。
ちなみに絞首台はここから約50mのところSan Giovanni nepomucenoの像があるところにあった、とこれに書いてあるのですが、

この像までは1.5キロあるんですよねぇ???
これ、教会で買った(1€)本当に簡単な説明書。
なんか文章が飛び飛びで、理解に苦しみました・・・

お目当ての場所はここ
Cappella di San Aquilino(聖アクイリーノ礼拝堂)
地球の歩き方にも必見!と書かれていました。
教会入って右の奥です。

こちらは有料。確か2€だったと思います。
係りのおじさんがいます。
さっきの説明書もここで買いました。
実は私が恐ろしく興味を示していたので、このおじさんこの後ちょっと教会内を案内してくれたんです。
そして最後に
「もっと詳しく知りたかったら、資料も売ってるから」
って単なる勧誘だったのか?
本はい~っぱい買ったけど、ほとんど読めていないので、最近は極力買わないようにしているんです。
だからここも1€のピラピラパンフレットだけにしたのに・・・やはり本が欲しくなります。
でも読めないんだよねぇ、
いや読まないんだよね何かきっかけがないと・・・
このジレンマどうしたら良いのでしょうか?

この礼拝堂は元々4世紀、San Genesio(聖ジェネージオ)に献じられた小さな教会として独立して建てられたものでした。
中に入ります。

正面左は”キリスト磔刑”1300年始め頃のMaestro lombardo(ロンバルドの師匠)の作品とされていますが未完です。
丁度後ろ側の壁にはモザイクが残っていました。

多分これのことを言っているのだと思うのですが、こちらは
dodici trubù d'israele(古代イスラエル人の12の種族)、聖書の人物たちで、角の一番上が救世主(キリスト)を輩出したユダ族の祖だそうです。
そして他の二人はSimeone(シメオン族)、Zabulon(ザブロン族)の祖だそうです。

そして2番目の部屋に入ります。
手前の部屋は長方形だったのに対して、ここも八角形。
八角形も確か宗教的に意味があるんですよね・・・

壁には結構フレスコ画残っていますが・・・

興味深いのはフレスコではなく、モザイク

テーマは旧約聖書、福音書、黙示録から取られています。

すごく劣化しています。

この部分だけ完璧。
Cristo tra gli Apostli(使徒に囲まれるキリスト)

実はこの礼拝堂"cappella della Regina"(女王の礼拝堂)とも呼ばれていたんです。
なぜならGalla Placidia・・・彼女の名前を聞いたらRavennaですが。
ローマ皇帝Onorio(ホノリウス)の妹でValentiniano(ヴァレンティニアヌス3世)の母。
彼女が自分の墓所としてこの礼拝堂の装飾をさせたといわれていて、墓もあるんです。

2枚の巨大なブロックで出来た石棺で

不死の魂の象徴と

キリスト教の洗礼の象徴を彫りこんでいます。
ちょっと見難いですね。

そこから奥に
こちらが一番奥の部屋

祭壇です。
ここには1600年代、Carlo Caravagliaのデザインで作られた、銀とクリスタルの壺に入った聖殉教者Aquilinoの骨が入っているそうです。
そして背後のフレスコ画は・・・よく見えませんが、Aquilinoの遺体を発見したシーンがCarlo Urbubini di Cremaという画家によって描かれているそうです。
というのもこのAquilinoは1000年頃に生きていた人なのですが、ミラノで異端の罪によって殺害(殉教)されます。
当時の荷物運搬人によってその遺体は発見され、ここへ運ばれたそうです。

上には

これはかなり新しい感じです。
説明もなかったし・・・

そして、見落としてしまいがちですがこの祭壇の後ろに暗くて細いのですが階段があります。

誰もいないし、いたら更に怖いけど、暗い・・・とりあえず降りてみます。
すると

教会の骨組み部分でしょうね。1910年の発見されたローマ時代の土台だそうです。
こんなところに閉じ込められたら怖いので、そそくさと上に戻りました。

一番手前の部屋に色々な説明がありました。

これが教会の全体図。

この方がSan Acquilino

説明にはごくごく簡単な日本語もありました。
日本人の訪問者が多いのでしょうか?
私が行った時もカップルがいましたが・・・何せ”地球”のお墨付きですからね。

1番目の部屋と2番目の部屋の間にあった柱

大理石です。

最後に入り口というか出口というか・・・の柱にあるフレスコ画もお忘れなく。
12世紀の”キリスト降架”です。

と出てきたら先ほど書いた切符売り場のおじさんが私を招きます。
売り場離れていいの?
そんなことは関係ないんでしょうね。
私が到着した時も、入り口のチェーンかけていなくなってたし・・・
どこに行くのかと思ったら

おお・・・

これは古いものですねぇ。
自分では気が付かなかっただろうと思うとおじさんに感謝、うれしいですねぇ。
更に

これ、変だと思いません?
上にないといけない柱頭が下にくっついています。

おじさんの説明では
「夕方仕事を終えた職人が家に帰り、翌朝やってくると柱頭が逆になっていた。
これが悪魔の仕業に違いないと職人たちは驚いた」という逸話が残っているとか。
この教会の中に2本有るんです。
真相は分かりませんが、パンフレットには、こんな風に書いてあります。
教会建設当初は、異教徒の建物の素材を再利用するのは当たり前のことだった。
柱を反対に使ったことは、別にその宗教を卑下しているわけではありません、と。
実際のところはどうなんでしょうね?
まぁコロッセオの石だって、普通に民家に使われていたくらいですからねぇ・・・

更におじさん、多分私の興味のポイントが分かったんでしょうね、こちらの礼拝堂に案内してくれました。

全体写真がなかった・・・
Cappella Cittadini(庶民の礼拝堂)

劣化していますが13-14世紀のもの(Cristo in Cattedra)です。
私が何よりも気になったのは下の部分

シノピア(下絵)なんですけど、馬とか

象とか

鳥とか
すごくリアル

礼拝堂内は完全に新しくなっています。
こんなものもありました。
この礼拝堂を出たところには

1400年代のDe Robianiという家の石棺。
真ん中の彫刻がその家の家紋だそうです。
後ろのフレスコ画はMadonna in trono col Bambino,San Lorenzo, S.Ambrogio e due devoti
玉座の聖母子像と聖ロレンツォ,聖アンブロージョと二人の信者

そして

入り口のそばに置かれていた”今日の聖人”
誰が書いたのか知りませんが・・・この日は8月11日Santa Chiara d'Assisi(アッシジの聖キアラ)でした。
最後はこれ

背後のフレスコ画は16世紀初期のもので多分Antonio della Cornaの作品
レオナルド・ダ・ヴィンチのコピーというのは明らかですが、技術が違いすぎます。
19世紀末Chiesa di Gravedonaという教会の壁の漆喰の中からこの作品と同じものが見つかったそうです。

前のPietà(ピエタ)はテラコッタ、1775年のもの
ここにも何回か登場していますがSacri Montiにあるのと一緒。
元はCappella S.Aquilinoの入り口に置かれていたそうです。

あつ~
外に出て礼拝堂の外観を確認したくてぐるっとしてみました。
これでしょう。

S.Ambrogioにも行けるかなぁと思いきや、時間がギリギリになってしまい、大急ぎでホテルに戻りました。
ということで、久々のまじめなネタは大変でした。

明日はこの夏最後の野外オペラとなるPuccini festivalでの”トゥーランドット”です。
ついでにLucca辺りのロマネスク建築を回って来る予定です。
ということで次回は日曜日以降ということで、みなさま8月最後ですが良い週末をお過ごしください。
おっ、見たい番組に間に合った。
これから先週行ったTarquinia(タルクイーニア)の特集がテレビで有るのよねぇ。

ってもう終わっちゃった。
15分くらいだったけどとっても興味深かった。
しかし、テレビに出ていた墓はあそこにはなかったんだけどな???



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