日本では『新生』と訳されていますが、いきなりですが、今日はそれの話をしようと思ったのですが・・・
イタリア文学講座(いつから"講座"になったんだ?)
第2弾はイタリア文学の父、Dante Alighieriでございます。
この人なしにイタリア文学は語れません!(それがこんな簡単でいいのか?)
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イタリアの2€硬貨のこの人です。
この頭にかぶった月桂樹の葉の冠、これはローマ時代に行われていた詩作競技の勝利者に贈られていた。
Petrarcaが1341年にローマの元老院から桂冠詩人の称号を与えられたのは有名。
Danteの肖像には必ずこの冠が乗っています。
清酒酒造の"月桂冠"の社名もここら辺から来ているようですね。(「勝利」と「栄光」の意味から取ったとのこと。)
現在もイタリアでは大学を卒業すると、この月桂樹の冠を被る習慣があります。(昨日もDuomoの前で見た。)
私はいつかぶれるのでしょうか???
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いやいや、そんなことはさて置き、
Piazza Santa Croce(サンタ・クローチェ広場)にも像が立っていますが、
イタリア人に「イタリア人で一番有名な人は?」と聞いても、その名がトップに挙がるほどの有名人。
一番有名な作品は言わずと知れたDivina Commedia
何で日本語では「神曲」というのだろうか?
Wikipediaを見たら原題は神聖喜劇と書いてあったのに???そのまんまだね、この訳も。
日本語訳名『神曲』は、森鴎外翻訳の代表作アンデルセン『即興詩人』の中で用いられた。その一章「神曲、吾友なる貴公子」において『神曲』の魅力が語られ、上田敏や正宗白鳥ら同時代の文人を魅了し、翻訳紹介の試みが始まった。『即興詩人』が最初期の『神曲』紹介であり、日本における『神曲』受容はここから始まったとも言える。故に今日でもほぼ全ての訳題が、原題直訳の『神聖喜劇』ではなく『神曲』で統一されている。
Maturita’と呼ばれる、イタリアの高校卒業試験の課題に登場したりするので、有名なcanto(詩)の大抵1つや2つは暗唱できる人が多い。
日本人ですが、歌を勉強している友人も暗唱してくれました。
ちなみに、こちらは日本語でもかなり翻訳が出ています。私も数冊読んでみましたが、未だに良く分からん・・・
最近読んだのは、友人の紅子さんお勧めのこちら
ドレの挿絵がとてもいいです。
それほど読みにくい日本語でもないし・・・
しかし、ちょっと気になったのはWikipediaのこの表記
イタリアにおいてダンテは国民的詩人とされ、義務教育では『神曲』の学科が設けられている。
『神曲』の学科って何?
訳がおかしいと思うんですけど・・・
この"学科"に匹敵するイタリア語を模索中
ちなみに"Divina Commedia"と呼び始めたのはBoccaccioだと言われています。
Danteは"Commedia"としか言っていません。
BoccaccioはDanteも敬愛していましたのでねぇ。
「これは単なる『Commedia』(喜劇)ではない。神が創ったものだ」と思った、かどうかは知りませんが、まぁそんなところでしょう。
それにしても、この話のどこら辺が"喜劇"なんだか・・・と常々思っていたのですが、
今Wikipediaで確認したら「ラストが悲劇じゃないから」と書いて有った。
えっ、そんな単純なことなのかしらん?
Divina Commediaの話はここではおいておいて、la Vita nuovaに戻るとしましょう。
実はこれも試験の範囲。時代の流れとしてはPetrarcaより前ですが、授業の流れで、こちらが後になりました。
Dante,Petrarca,Boccaccioがイタリア文学の祖と呼ばれています。
さて、こちらは更に翻訳が難しい。
ラテン語が混じったり、隠喩が多かったり・・・一筋縄では行きませぬ。
例えばこれが序文、というか1番目と言いますか・・・人によって、意見が分かれるところです。
In quella parte del libro de la mia memoria dinanzi a la quale poco si potrebbe leggere,
si trova una rubrica la quale dice:Incipit vita nova.Sotto la quale rubrica io trovo scritte le parole le quali e' mio intendimento d'assemplare in questo libello;e se non tutte,almeno la loro sentenzia.
"本"という形をとった私の記憶は、とてもあいまいだ。
タイトルには「新しい人生が始まった」とある。
このタイトルの元に、詩を使ってここに書き記そうと思う。
記憶のすべてではなく、少なくともその意味を。
ちょっと意訳しすぎかな???
うちの教授の話を私なりに理解した結果がこうなりました。
何が「新しい人生」かと言いますと、これ、Danteが永遠のマドンナBeatriceとの愛を語った作品です。
愛と言っても一方的な片思いですからねぇ・・・
制作年ははっきりしないものの、Beatriceが亡くなった後(1291年)以降、1294-95年と言うのが有力。
物語は、9歳でBetariceに出会い、一目ぼれしたところから始まる。
「僕の前に、天使が現れた」と言っています。
そういえばバレンタインデーも近いことですし、調度いい時期だったかな?
prosimetro、という日本の辞書には出ていない方法を使って書かれたこの作品は、prosa(散文)とpoesia(詩)を交互に使う、Danteが考え出した新しい方法を使っている。
内容の方はと言えば、まぁこの片思いがすごいんですわ。
有名なのは"donnna schermo"(Ⅴ)
Beatriceのことを直視できないDanteは自分とBeatriceの間に、第3の女(正確には2?)をおいて、彼女を見ているふりをして、Beatriceを眺めたりする。何とも内気な性格。
というより、ある意味こちらの方が怖かったりする。
最終的に彼女は先に死んでしまうわけですが、というより彼女が死んだショックでこの作品を書く気になっていますからね。
まぁ、天国(Divina Commediaの中)で再会しますからねぇ。執念だなぁ・・・
えっ、こんな簡単じゃあ、「講座」とか呼べないって?
とりあえず、授業のメインはBoccaccioなので、Dante、それも"新生"に関してはこの程度。
まだ読むものがあって、未だに図書館で色々と資料を探している現在。
言い訳ではないですが(いや、言い訳なんですけど)原文で読むので、本文より注の方が長いんですよ。
日本語でも、古文を読む場合は、注や古語辞典が必要なのと同じです。
間に合うかなぁ・・・ってこんなことしてる場合じゃないね。
とか言いながら疲れているので寝ちゃうよ~
イタリア語推しとは言え、
『ザ・ゴッデス・コメディ』
の方が通じそう。
タイトルからして片想いのキモ男観を出した
『女神喜劇』か『天女喜劇』と直訳した方が良い。
これは正直、芸術的にも信仰的にも質が低く、
異教的なイタリア内輪作品かと。
コメント&貴重なご意見ありがとうございます。