イタリアの泉

今は日本にいますが、在イタリア10年の経験を生かして、イタリア美術を中心に更新中。

Villa Medici その2

2016年11月07日 06時55分56秒 | イタリア・美術

イタリアサッカーチームにはセリエA、B、Cなどのクラス分けがある。
芸術家にも同じクラス分けができるのではと常々思っている。
「突然何を言いだすの?」って感じですよね。

私はサッカーには全然詳しくない。
それでも辛うじて名前の分かる選手はいる。 
芸術家もそういうものではないでしょうか?
例えば世界中の大抵の人がレオナルド・ダ・ヴィンチの名前は知っている。
彼がどんな作品を作成したかはさておき。
反対にセリエCのサッカーチームの選手を私は知らない。
でも好きな人ならきっと知ってし、彼らは一応プロのサッカー選手である。
最近ではセリエAで長友や本田などの日本人が活躍するようになったように、
芸術家セリエAに北斎などの日本人芸術家がランクインしているのは非常にうれしいことである。

ということで、(どういうことだよ)今日お話しするのは芸術界のセリエCの画家。
これ、決してセリエCだから質が悪いってことではないですよ。
そこはサッカー選手とは違います。いや、芸術家も同じなのかなぁ???
確かにクオリティーが名前に反映するのは否めないですが、知名度は低くても素晴らしい作品を残した芸術家は大勢います。
そんな芸術家の1人になるのかなぁ、彼も。
まぁ所詮セリエAなんて一握り。
世の中にはセリエCにも入れない無名のサッカー選手があふれているように、
名前も残らないアーティストは山のようにいるんだから、名前が残っていて、ある程度作品が分かり、資料が有るのはセリエCではなくBくらいなのかもしれません。

前回のVilla Mediciの続きになりますが、石膏の部屋を見た後に向かったのが、私にとってはここで2つ目に感動した場所。
勿論一番は…これはまた次回ですね。
ウィーン&ブタペスト弾丸ツアーの前にこれだけでも更新したことを褒めて下さいませ。

さて、その場所とは…
「La stanza degli uccelli」とガイドさんがこう言った時、私は「えっ、鳥小屋?えっ、じゃあさっき見たオウムはそこから逃げて来たのか?」と思ってしまいました。

分かるかなぁ?オウムも緑なので…中央にいるんですけどね。
鳴き方が特殊ですぐ分かりましたが。
しかし、その鳥小屋、もとい”鳥の部屋”に入ってびっくり

生きた鳥は居ませんでした。(当たり前だよ)
小さな部屋なのですが壁一面に鳥や草木が描かれています。

すっ、すごい。これには感動。
リアルでしょう?

当時イタリアにはいなかったドードー鳥がどこかに居ますよ。

七面鳥。リアル。
とにかく細かいんです。
よく見ると蛇とかの小動物(?)も描かれているんです。

そしてこの猫のなめている部分(赤くなってるところ?)に画家のサインが描かれている…と言っていたのですが、ちょっと分からない。
ネコの上にイタチみたいなのもいるし、”鳥の部屋”と言うけど鳥だけじゃなくて動物もいましたね。
このフレスコ画の画家がJacopo Zucchi
Giorgio Vasariの弟子であり協力者であると言われています。

花もすごいねぇ。
リアルな上に時代の先端も行っています。
当時ヨーロッパに渡って来たばかりのこちらの植物。

トウモロコシは入り口ドアのところに描かれていました。
そして画家のいたずら心が出ているのはここ

置き忘れた?筆と絵具が入っていると思われる容器が描かれています。
これはすごいですよ。
実はここ、長い間上塗りされて隠されていたので、フレスコ画の保存状態もすごく良いんです。
実はこれよりも重要なのはこの奥にある小さな部屋、Lo stanzino di Aurora

こちらです。

この絵が描かれたころは塔は既に2本有りますね。

Stanzinoというくらいですから本当に小さな部屋なんですけど、全面フレスコで覆われています。
これ見て何か思い出しませんか?
Palazzo VecchioのStudiolo
実はあそこもJacopo Zucchiの手が入っているんです。

Jacopo ZucchiはVasariの通称Le Vite(画家・彫刻家・建築家列伝)にも出てきていて、1568年には25歳か26歳だったということです。
洗礼の記録がないので、フィレンツェの出身ではないようですが、かなり小さい時期からフィレンツェで生活していたようです。
最初の記録は1557年、画家への支払い記録が残されています。
この頃からZucchiはVasariと一緒に仕事をしていますが、当時はVasariの画風よりも、Giovanni Stradanoの影響を強く受けています。
Giovanni StradanoもセリエCの画家ですね。
大体この人イタリア人じゃないし。(本名Jan Van der Straet フランドルの画家です)
私も名前ではなく、作品を見て、ああ、と思った人でした。

代表作はこれ。
まさにPalazzo Vecchio内に有るStudiolo di Francesco Iに描かれた作品です。
ここでVasari, Zucchi,Stradanoは一緒にしごとをしたんですね。
でもメインはやはりVasari、VasariはCosimo Iのお抱え芸術家、というよりCosimo Iの芸術コンサルタント兼専属建築家でしたからね。

ZucchiはVasariの弟子、と言われながらも彼の画風から離れたいと何度も思っていたようです。
しかし、協力者として数々のVasariの作品に携わっているんだから不思議ですよね。
1570年Vasariに従ってRomaへ赴きます。(マゾだったのか?)
ここでもVasariが教皇Pio Vから受けた3つの教会の礼拝堂のフレスコ画の制作などなど、多数の作品制作に手を貸しています。

丁度この頃ですね、いよいよVasariと別れて単独で作品を制作し始めるのは。
ってVasariは1582年からFirenzeのDuomoのCupolaの内側に「最後の審判」のフレスコ画を描き(こちらのお手伝いはFederico Zuccari)、1574年に逝去しています。
Zucchiは1572年からFerdinando Iの元へ赴き、彼からの注文で作品を制作し始め、1576年このLa stanza degli uccelli, lo stanzino di Auroraのフレスコ画を手掛けます。
これ以降、有力なパトロンたちのお陰で教会や修道院から多数の注文を受け、1584-87年Villa Mediciの建物内部の装飾を手掛けます。

stanza delle Muse(ミューズの部屋)
Piano nobileと言われる貴族の館の主要階には3つの部屋がつながって有るのですが、
ガイドツアーで現在みられるのは2部屋。一番奥のstanza degli elementiは現在入場不可です。
Zucchiが手掛けたこの3部屋の装飾は宇宙論や占星術を盛り込んでPietro Angeli da Bargaという人文学者のアイデアを元にすごく複雑な意味を持った絵が描かれています。
ってそこら辺、話が難しかったこともあって、既に忘れてます。

壁の上の部分のフリーズです。

一番入り口に近い部屋(Stanza degli amori)

現在壁にはつづれ織りの布がかかっていますが、壁の装飾は消えつつあります。
更にひどいのは天井。
天井の装飾は1700年に完全に破壊されています。
実はこの破壊、Cosimo IIIがこの作品があまりにもふしだらだと考えて自ら火をつけたと言われています。
このCosimo IIIですが、
”キリスト教の信仰のみに力を入れ、反ユダヤ的な政策や異端の取り締まりを強化したが、肝心な政治の方には興味を全く示さず、メディチ家の伝統でもある芸術・学問のパトロンとしての資質もなかった。
また妻との間も不仲で3人の子をもうけたものの、放蕩な妻は結婚後13年でフランスへ帰ってしまい、また3人の子供達は皆跡継ぎが出来なかったため、近い将来の家門断絶が明らかになるという状態であった。
コジモはメディチ家の歴代当主の中でも最も長命な81歳で没し、彼の在位は53年もの長きにわたった。
しかし、政治を顧みない彼の治世の間にメディチ家およびトスカーナ大公国の力はすっかり衰え、市民は困窮し、2度の飢饉さえ起きるほどであった。彼の死後、唯一残った次男ジャン・ガストーネが大公位を継いだ。”Wikipediaより
とこういう人だったので、Zucchiの作品の芸術性や人文学的意味なんて全然理解できなかったんでしょうね。
この火事が有って以降、この部屋の壁はそのまま、キャンバスの描かれた絵が貼られていた天井の格間には粗野な木製の羽目板が入れられていました。 

ところが2011年から2012年、stanze delle Museとelementiの天井、フリーズの修復が終わった後、アカデミーはこの焼失した天井にVilla Mediciのアイデンティティーを反映した作品を入れることを希望し、
Claudio Parmiggianiに白羽の矢が立ちました。
彼の作品がこの場所の精神に完全に合致すると考えられたからだそうです。

この説明を聞く前は「なんじゃこりゃ~」と思っていたんです。

あ~この右下だけ蝶々が飛んでいないのは何でだったかな???
なぜParmiggianiが選ばれたのかというと、彼が1970年から使っている«delocazione»と呼ばれるテクニックを用いて作られた作品で、火や煙、煤をを用いて破壊するのではなく、印をつけて作品を制作していくという方法のようです。
火事で破壊された作品をまた火を用いて再生させてゆくというわけです。
ここでは蝶をモチーフにしています。
これは単なる蝶ではなくGiove(ジュピター)をも示唆しているそうです。 
それはDosso Dossiが描いたこの絵のように。

蝶は「思考の揮発性」の象徴なんだそうです。 

Zucchiに話を戻すと、1590年初め、最後の大作となるPalazzo Rucellai(現Ruspoli)のフレスコ画を手掛け、多分1596年に死去します。
知名度から言えばセリエCの画家Jacopo Zucchiですが、その作品は素晴らしいものでした。
ガイド付きツアーだとじっくり自分の好きなものだけ眺められないのが残念です。

ではでは「その3」は弾丸ツアーから戻ってきてからということで!!
行ってきま~す。 



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2 コメント

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リベンジしないとだめかしら。 (情報ま。)
2016-11-08 23:55:51
Villa Medici。
というか、写真OKだったんですか!?

私が行ったのはちょうど2年前でしたが、Villa Mediciの外観と庭園以外は
写真NGだったんですよ~(><)
あの鳥の部屋、写真だめならせめてゆっくり見せて欲しかったのにぃぃぃ
うらやましぃぃ
きぃぃぃ~~
ということで悔しさのあまり、まだ途中なのに、ついコメント書いてしまいました。
日暮れが迫っていたというのもあるかもしれませんが、あの部屋の滞在時間5分くらいですよ。
もったいない!
石膏塑型の部屋も見てない気がする。


ちなみにバルテュス展、一昨年日本で開催しましたよ。
行きませんでしたけど。。。それなりに話題にはなってた気がします。
Roma に行ったとき Scuderie del Quirinale の展覧会にはいつも行ってますが
去年はちょうどバルテュス展やっていて、やっぱり行きませんでした。
いや別に嫌いな訳ではないですけど(特に好きでもない)、イタリア人じゃないし
なんとなく。

Villa Medici に行ったとき、ガイドのおじさんに「日本人でしょう?仕事はツアーガイド?」
って聞かれたのが印象的でした。
一人で行くような日本人は、ツアーの下見で行くガイドか、あとはよっぽどのマニアくらいしか
行かないんだろうなぁと思ったのでした。

でもあの鳥の部屋はもう1回観たいなぁ。
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是非! (fontana)
2016-11-14 00:06:00
情報ま。さん

これで終了でも良い気が…(^▽^;)
人数が多く、あぶれたフランス人も一緒で、見るに見かねたガイドさんがイタリア語の後にフランス語でも説明していたので、フランス語の説明している時に写真撮りまくっていました。(私も禁止だと思っていたんですけど、注意はなかったです)

色々聞き逃したので、もう一度行ってもいいかなぁ、と私も思いました。あの部屋だけもう一度行ってもいいですよねぇ~と言っても時間はガイド次第だからなぁ。

バルテュス、全然知らなかったね。知った今でも興味ないしね。(笑)
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