イタリアの泉

今は日本にいますが、在イタリア10年の経験を生かして、イタリア美術を中心に更新中。

Luccaに行ってきましたーその3

2014年09月09日 22時19分25秒 | イタリアの小さな街・大きな街(Fi以外)

これで終わりにしましょうねぇ、ということでLuccaのその3です。
もう残すところは一箇所なんですけどねぇ・・・


こちらです。
前回紹介したDuomo(大聖堂)からすぐそばのChiesa dei Santi Giovanni e Reparata

実はここに入る前に共通券でMuseo della Cattedrale(大聖堂博物館)にも寄りましたが、この博物館には特に言及するものはありませんでした。

テラスから下の噴水が良く見えたくらい・・・

教会のほうに戻りましょう。
こちら1992年までかなり長い間修復と考古学調査のために閉まっていたそうです。
92年、最近のことのようですが、もう20年も前ですね・・・こわいこわい

入り口にはまたまたこんなステキな彫刻がありました。
Maestro Villanoの作品でMadonna orante tra due angeli e gli apostoli
(天使とキリストの使徒の間で祈る聖母)
がテーマです。
中へ入ると

中はかなり直されてしまっていますが

かろうじてこんなのも残っていました。
現在はここは宗教的機能はほとんどしていなくて、コンサートやイベントの会場として使われているそうです。
通りでグランドピアノが置いてあったわけだ。

ふと、横を見ると、鐘楼に登れると書いてあるじゃないですか。

何度も言っていますが、私かなり高所恐怖症。
しかし、登れると聞いたら登りたくなるのが人の常。
しかしこれは結構有るなぁ・・・

って思ったんですけど、登りました。

網があるので、こんな感じなんですけど。
実はここが一番上ではなく、一番上にははしごで上っていくんです。
あれは階段じゃない!!
直角に近かった・・・

この風景を見るために上がってきたわけですが、頂上には私しかいなくて・・・
写真を撮ってさっさと降りてきました。

いやいや、さっさではなかったですけどね。
そして降りてすぐ筋肉痛・・・という感じでしたが、緊張でがくがくしていただけだったんですかね?
翌日は平気でしたから。

実はこの鐘楼のことは知らなかったんです。
でもこちらは知っていました、というよりこれが見たくてお金を払ったのですが・・・

実はここ、元々はSanta Reparataと呼ばれる教会でした。
えっ、Firenzeの大聖堂も前身はSanta Reparata(聖レパラータ)そして礼拝堂はSan Giovanni
ということで同じじゃん。
ということは何か関連があるんだろうなぁ・・・

ここでひとつピンときた。
昨日大聖堂の誕生日だったって話をしたじゃないですか。
そう、1296年9月8日までは大聖堂はSan Reparataだったのに、その上に定礎したのが718年前の昨日。
しかし元々教会が建てられたのは初期キリスト教の時代だったようです。
San Zenobiの聖遺物が保管されていたようです。
こちらも現在見学できますよ。

教会として建てられたのは紀元前1世紀のようです。
今でこそ宗教的に機能はしていないですが、長い間Battistero(洗礼堂)として活躍していたことがこの遺跡から分かります。
これがFonte battesimaleつまり”洗礼用の泉”です。
これは5-6世紀に作られたものらしく、この初期の教会は洗礼堂としての役割も兼ねていた(chiesa-battesimo 併設していた?)ようです。
更に周囲は墓地だったようですが8世紀に新たな役割変更がなされます。
本来のモザイクの床の上に新たな床を作り、洗礼堂もこの四角い石から新たなものに変更されたようです。

8世紀の始めCattedra(司教のいすのことを意味します。このいすがある教会をカテドラルと呼びます)がSan Martinoに移ってしまった後も、洗礼堂としての役割を担っていましたし、この二つの教会の関係は非常に大事なものでした。
9世紀後陣部分が改築され、下にCripta(地下礼拝堂)が作られます。
そこにSanto Pantaleoneの聖遺物が保管されました。(1714年に再発掘されています)
10世紀の終わりから11世紀にかけて更なる大改修が施され、
12世紀にはこの古い遺跡は忘れ去られてしました。
今の部分にたどり着くまでになんと5層にもなっているそうですから、どれだけ修復を加えられたかは簡単に想像できることでしょう。
この初期の部分が再発見されるのは17世紀に入ってから、また最初の発掘作業1885年Ridolfiによるものだったそうです。
現在この遺跡を私たちは見ることが出来るのですが、見学できる状態に整備が出来たのが1960年代、1975-76年に本格的な考古学的調査が入り、1990年最後の調査を終え、ようやく1992年から一般公開されるようになったそうです。
いやいや、なんて長い道のりだ。

いやいやとっても広いんですよこの地下

地下にもぐりました。

さっき言っていたモザイクの後や

写真では分かりにくいですが、絵が描いてあったと思われる後。

こちらは台所だったようです。

ここには何か文字が書いてありますね。
とまぁこんな感じで地下は面白かったですが、ここでも私は一人・・・

ということでLuccaの最終回は思ったよりあっさり終了しました。
実は明日、試験前にどうしても見ておきたいものが有ったので朝早くから出かけようと思ったのですが、どうも全国的に雨らしい・・・縁がなかったのかな?
木曜日には水道屋が来てくれるというし・・・
知らなかったけど、車が入れない中心街にきてくれる水道屋さんを見つけるのは結構難しいことなんですって。
色々な意味で不便なんだよね、この国は。
仕方がないから明日もおとなしく図書館にこもりましょう。

次回からすこしずつLazioの話をアップして・・・いけるかな?
期待しないでお待ちくださいねぇ。



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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ここ! (美紀)
2014-09-11 00:19:33
こんにちは!
多分以前にコメントしたことがあると思うのですが、
フィレンツェ在住の美紀です。
実はここで蝶々夫人ハイライト歌ったことがあるのですよ~!
若い日のプッチーニがオルガンを弾いていた教会なんです。
何度もコンサートの為に訪れたのですが教会の歴史は全く知らなかったので、
詳しい説明、勉強になりました。
ありがとうございます!
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こちらこそ!! (fontana)
2014-09-11 03:50:54
美紀さん

ご無沙汰しています。
若い日のプッチーニがオルガンをねぇ・・・それは知りませんでした。
こうしてためになったと言っていただけると書き甲斐があります。
こちらこそありがとうございます!
また遊びにきてくださいね。(^.^)
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