イタリアの泉

今は日本にいますが、在イタリア10年の経験を生かして、イタリア美術を中心に更新中。

ロダン カミーユと永遠のアトリエ

2017年11月15日 16時06分00秒 | 映画

月日の経つのはなんて早いのでしょう。
11月もすでに半分が過ぎてしまいました。
ようやくライターのお仕事の方も一段落して、今日は久しぶりに映画を観に行ってきました。


ロダンの没後100年を記念した作品。
作品は知っていても、人となりはほとんど知らなかったので、期待して行ったのですが…
う~ん、ちょっと残念。
なんか全然集中できないし、この映画見ただけだと、ロダンは単なる女好きのおやじにしか見えなかった。

メインテーマはロダンの弟子で愛人のカミーユ・クローデルとの蜜月から破局まで、なのだが、なんかわかりにくくて。
実際事実(と言われていること)には忠実なのでしょうが…

19歳の時に彫刻家オーギュスト・ロダンの弟子となったカミーユは若さと美貌に加え、才能にも満ち溢れていた。
その時ロダンは既に42歳、ようやく認められ「地獄の門」を製作中。
常に近くにいる2人が愛し合うようになるまで時間はかからなかった。
しかしロダンには内妻ローズがいた。
ローズは田舎の冴えない村娘。
(映画では既に中年太りした、あか抜けなさが一目瞭然。)
カミーユはロダンとの結婚を望むが、彼にとっては大きな心の安らぎであるローズと別れることは出来ず、15年間に及ぶ泥沼の三角関係が続いている。
カミーユの作品は世間に認められず、芸術家として窮地に立たされていた上に、20代後半にロダンの子を妊娠するも中絶。
やがて2人の関係は破綻する。
遂にはカミーユは心を病み、40代後半に統合失調症を発症し、さみしい生涯を終える。
カミーユと別れたロダンはローザのところに戻るが、その後も弟子やモデルと関係を繰り返す。

驚いたのは映画の中に登場した日本。
これはふりだったのかもしれないが、「花子」という日本人のヌードモデルが登場。
ちょっと調べたら、これも本当に話だった。
”映画には、ロダンがほれ抜いた日本人モデルで女芸人の花子(本名・太田ひさ)が登場する。彼女をモデルにした作品は彫刻58点、素描30点以上。「パリ巡業のたびにロダンは花子と会っていた。彼女はロダンのお好みのモデルだった。絶世の美女だったからではない。ロダンがひかれたのは花子の顔に浮かぶ表情。その表現力に多大な感銘を受け、直感的なひらめきの源になった」とドワイヨン監督。「花子の秀作は自分の喜びのために作っていたんだ」”(産経ニュースより抜粋

そして最後に箱根彫刻の森美術館の「バルザック像」が。

この写真、箱根彫刻の森美術館のオフィシャルサイトから借りて来たのですが、なんか質が悪いですね。
この作品は映画の中でも結構重要なものでした。

ロダンは文芸家協会から、小説家オノレ・ド・バルザック(1799-1850)の記念像の制作を依頼されます。
映画の中でも言い切っていましたが、ロダンは「モデルがいないと何も作れない」のです。
だからバルザック像を作るために肖像写真を見たり、同じ村出身のモデルを使ったりしたのです。
この作品は人体像の上にガウンを石膏に浸して着せた、今までにない斬新なスタイルでした。
だから1898年のサロンにガウンをまとった石膏像を発表しますが、「雪だるま」、「溶岩」、「異教神」などとこっぴどく批判された上、「フランスが誇る偉大な作家を侮辱した」と、協会から作品の引き取りを拒否されてしまいます。
最終的にロダンは石膏像を引き取り、終生外に出さなかった…時代を先取りしすぎていたんですね、ロダンは。
ロダン最後の大作で、「私の生涯の帰結であり、美学の根本だ」と言ったそうです。
ロダンの死から19年後、再評価され、パリ市民の募金によりブロンズに鋳造され、1939年モンパルナスの中心に、このバルザック像が設置されました。
台座には、「バルザックに捧ぐ、ロダンに捧ぐ」と刻まれているそうです。

このバルザック像は、「最初の近代彫刻」と呼ばれています。
彫刻の森美術館にあるものは、フランスのロダン美術館に保存されている、石膏の原型から、パリのジョルジョ・ルリエ鋳造所で十二体鋳造された内の十番目の作品なんだそうです。
この時代のパリの芸術家の御多分に漏れず、ロダンも日本好きだったそうで、自分の作品が日本に渡ったことをさぞ嬉しく思っていることでしょう。



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