昨晩NHKの歴史秘話ヒストリア「ペスト 最悪のパンデミック」という番組を見て衝撃を受けた。
ペストがヨーロッパにやって来たのは、東方貿易をしていたGenovaだったという話は知っていたけど、それがなんとモンゴル人から来たとはねぇ…
14世紀ジェノバの植民都市だったカッファ(現在のフェオドシヤ)は1346年にモンゴル軍に包囲されていた。
そのモンゴル軍の内部ではペストが広まっていた。
番組によると、そのモンゴル軍は頼にも寄って、このペストで死んだ人の遺体をカッファの城壁内に投げ込んだ!?というではないか。
遺体を城壁の向こうに投げ込むって…恐ろしい。
まぁ実際は、モンゴル軍の戦列の間をうろちょろするネズミにたかっていたノミが市内にペスト菌を持ち込んだ可能性のほうが高いというからちょっとホッとしたけど。
まぁ、結果は同じ。
結局、船で本国に戻ったジェノバ人によってあっという間にヨーロッパ中に広がった。
ブリューゲルの「死の勝利」
骸骨姿(死)は生者の身分に関係なくあらゆる人間に襲いかかり、容赦なく蹂躙している。
「死の舞踏」と「死の勝利」はペスト禍でよく描かれた様式だが、「死の勝利」は特にイタリアでフレスコ画として発達、第2次世界大戦で大打撃を受けたPisa(ピサ)のCampo Santo(カンポサント)や、Palermo(パレルモ)のcortile di palazzo Sclafani(スクラファーニ宮殿の回廊。現在はパレルモ州立絵画館 Galleria regionale di Palazzo Abatellis所蔵)などで発展した。
写真:https://it.wikipedia.org/wiki/Trionfo_della_Morte_(Palermo)
ブリューゲルは1552年にフランスのリヨンとスイスを経てイタリア旅行へ.
1554年ないし55年にアントウェルペンに帰るまでイタリア各地に滞在したが、このイタリア旅行の間に前述の壁画を始めとしたいずれかの「死の勝利」の作例を目にしていた可能性が高い。
例えばClusone(クルゾーネ)のGiacomo Borlone de Buschisは「死の舞踏」と「死の勝利」を描いている。
写真:https://it.wikipedia.org/wiki/
しかしブリューゲルが描いたもの「死の舞踏」と「死の勝利」という2つの伝統的様式を融合して描かれたものなのだが、随分違う。
ブリューゲルの作品がいつ制作されたものかは不明だが、その世界観は初期フランドル派の先人ヒエロニムス・ボスの影響がみられるものの、ブリューゲル独自の解釈がなされていることから、近似の作例である『悪女フリート』や『叛逆天使の墜落』に近い1562年頃の制作と推定されている。
現在の所蔵館であるプラド美術館には1827年から所蔵されている。
ナショナルジオグラフックをベースにしたこの記事、よくまとまっている。
ペストが一番最初に流行ったのは14世紀。
ペスト菌が発見され、何とかその脅威から解放されたのはなんと19世紀の終わり。
いくら当時より文明が進んでいるとはいえ、今回も長期戦は必至。
先程過去最悪の感染者数が東京で発表された。
あ~どこにもどこにも出かけられない日々が続く。
仕方がないので、家で紙物の断捨離に励みましょ。
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科学も医学もこれからあとに進んでいくので、この時代は医者や指導的立場の人のカンが頼りというところがありますね。
日曜美術館でボス、カラバッジョ、フェルメール、ゴヤ、レンブランド ファン レインを紹介している番組を見ました。
ローマやデルフト、マドリッドには行ったことがあり、ほとんど美術館や教会で見たことのある絵でした。行った時のことを思い出しながら見ました。
私も「日曜美術館」見ました。実物を見たことが有る作品を見ると、まさかこんな時代が来るとは夢にも思わず、貴重な体験だったんだなぁ、と思ってしまいます。
毎日じめじめしている上に、首都圏の感染者増加に鬱々としてしまいますが、カンサンさんのブログの写真を拝見して和めせて頂いています。自然はこんな時期でも何の影響も受けずに移り変わっていますね。