イタリアの泉

今は日本にいますが、在イタリア10年の経験を生かして、イタリア美術を中心に更新中。

遥かなるルネサンス展、東京富士美術館

2017年11月24日 09時18分48秒 | 展覧会 日本

JR八王子駅からバスで20分弱。
そしてまたGoogle mapの悪口ですが、こいつを信用したばっかりに…
北口から「ひ02 創価大正門・東京富士美術館」行きに乗車したのですが、Googleは「谷野町」で降りるよう指示してくるのですが、それに従ったばっかりに、すごく遠回りしてしまいました。
これは「谷野町」の次、終点の「創価大正門・東京富士美術館」で下車するべきです。


ちなみに「谷野町」で下車すると、突如としてこんな建物が

美術館?結婚式場?ナニコレ???
って実は頭に「もしや…」という案は有りました。
そう、この辺りは創価大学の土地。ということは…ですね。
だって、この後向かう東京富士美術館も創価学会が母体。
全然気が付かなくて、気が付いたのは、展覧会の挨拶に池田大作の名前が連なっていたのを見た時。
どうりで立派なわけだし、フィレンツェの名誉市民ですから、こういう企画がすんなり出来るんだよね、と。

美術館の入り口。中に入ると2階が展示室で、まず常設展がありました。
こちらの方はほとんど撮影もできます。
フランス絵画が多め。印象派や現代アートなどもありました。
そして今回のお目当てはこちら

「日本にキリスト教を広めたのはイエズス会だった」と学校で習った記憶があると思います。
そのイエズス会の巡察師として、天正7(1579)年に来日したアレッサンドロ・ヴァリニャーノ(Alessandro Valignano)は、日本人信徒の育成に非常に熱心に取り組んでいました。
そして、日本での布教活動の成果をポルトガル王とローマ教皇に伝えることと、西洋の文化を日本に広く広めるために、日本人の使節団をヨーロッパに派遣することを思いつきます。
そしてその計画が実現され、日本を代表する使節に選ばれたのは、有馬(現在の長崎県島原地方)のセミナリオで学んでいた4人の少年たちでした。
1582年、伊東マンショ、千々石(ちぢわ)ミゲル、原マルチノ、中浦ジュリアンの4人の若者が長崎からヨーロッパへ向かいました。

そして彼らがイタリアのリヴォルノ(Livorno)に到着したのは、なんと3年後、1585年の3月の事でした。
「天正遣欧使節団」は5か月の間イタリアの各地を巡り、歓待を受けました。
そして1590年、8年半の長旅を終えようやく日本に帰国しました。
今回の展覧会は日本人で初めてヨーロッパを見た彼らのイタリアでの足取りを美術品と共に追っています。


イタリア語のサブタイトルは
Sol Levnte nel Rinascimento Italiano、イタリアルネサンス時代の太陽の出(いずる)る国。

この展示会の見どころは2枚の肖像画です。
まずはトスカーナ大公の歓待を受けた一行は、フランチェスコ1世に招かれ、当時住居だったヴェッキオ宮殿やフィレンツェ郊外のメディチの別荘に招かれます。
そこでは伊東マンショがフランチェス1世の愛人ビアンカ・カペッロとダンスを踊らされたりしていますが、小さな侍は慣れないダンスもしっかりこなしたらしく、フランチェスコ1世からお褒めの言葉をいただいた、とか。

実はこの伊東マンショの肖像画が、2014年発見されました。
2016年既に東京、長崎、宮崎で展示されていたのですが、私はようやくこのタイミングで作品を見ることが出来ました。

この肖像画は、少年使節がVeneziaを訪問した時、ドージェのニコロ・ダ・ポンテがヤコポ・ティントレットに頼んだもので、彼の没後、作品を完成させたのは息子のドメニコ・ティントレット。
当時の文献に肖像画が注文された記録は残っていたのですが、作品は長い間行方不明になっていたのでした。
この展覧会の広報物のキャッチコピーには「美魔女と踊った少年」と書かれているらしい…っておいおい。

そしてもう1枚の見どころが、このポスターにもなっている、小さなプリンセス。
こちらはウフィツィ美術館で何度か見たことが有ります。
Bronzino(ブロンズィーノ)の描いた、Cosimo I(コジモ1世)の娘、ピアの肖像画です。
彼女はCosimo IがEleonora di Toredo(エレオノーラ・ディ・トレド)と結婚する前に生まれていたことから、私生児だったようですが、他の子どもたちと同じように育てられていたそうです。
ただ、彼女は5歳くらいでこの世を去ってしまいます。
実はこの作品はBronzinoが彼女の死後残されていたデスマスクを用いてこの肖像画を描いたと言われています。
CosimoIがどれだけ彼女を愛していたかわかるようなエピソードですね。

とまぁメインディッシュはこれかもしれませんが、他にも結構面白い作品が出展されていましたよ。
個人的にはGiovanni Bellini(ジョバンニ・ベリーニ)の作品が出ていたのがうれしかったけど。
絵画のほかにも紹介したいのは、ここ数か月一番の興味の対象になっていた陶器。
中でもヨーロッパ初の磁器と言われるフランチェスコ1世の工房で作られた

この青一色で装飾された磁器。
展示の仕方でしっかり確認することは出来なかったんだけど、裏にちゃんとメディチの陶工で作った印のフィレンツェ大聖堂のクーポラマークが入っている。

そしてフィレンツェからローマに向かう途中、Caprarola(カプラローラ)ではAlessandro Chigi(アレッサンドロ・キージ)枢機卿に熱狂的な歓待を受けたことから、

カポディモンテ美術館に収蔵されている「トルコブルー」シリーズと言われるマヨリカ焼きの皿とか
彼らも見たのかもしれませんが、ラファエロがローマのファルネジーナ宮に描いたフレスコ画をモチーフにした

イストリア―トのマヨリカ焼きとか。
色々気になる作品がありました。

命がけの旅路の後、彼らを待ち受けていたのは、悲惨な運命でした。
彼らはきっと西洋で見たものを、経験を日本に生かしたい、生かせると思って意気揚々と帰国したはずなのに…
そうか、でも私も同じか。
向こうで吸収したものを生かさないといけないね、とフィレンツェに思いを馳せた午後でした。

たっぷり2時間かけて展覧会を見たあと、売店などを見ていたらなんと

無料でお茶が飲める休憩所

キッズルームまで発見。
お金有るなぁ…


ここはどこだ?という異色の風景を見ながら一服して帰路につきました。
展覧会は12月3日まで開催

参考:「遥かなるルネサンス」カタログより(作品の写真はカタログより借用)



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