ミカエル館長の蔵出し見歩録

世界のかえる博物館館長が、見て歩き録ったここでしか見られないのもある”かえる(@..@)”たちの日記です。●~ ●~

私事

2008-08-08 20:56:00 | 日記
私事ですが、うちの親父が亡くなりました。

突然ではないのと高齢で老衰と言う事だったので若くして突然ではないのでこうしてブログも書く余裕があります。

大正生まれの頑固者。電気、大工、左官、農業、生活に関する事から炊事、洗濯なんでも自分でする器用者でした。その反面、昔人間だったからかもしれないけど、『女・子供は、黙っとれ』でした
最近では、認知症も進行し夜中には、足の運動やと言って家族が寝静まってから家中をウロウロ歩いてそんな事を叱咤すると『ははは、お前も歳しったらこうなるんじゃ』と切り返されたり、戦争経験者ですから『天皇陛下』が出たりそりゃもう、笑わせてもらいました(笑わんとやってられませんからね

最期2日前、呼吸も止まって意識も無くもうダメやと覚悟して呼びかけたらなんと、数分後に復~活。『腹減った』とお粥を食べ出したんです。お茶をのんで『うまい』。ほんと驚きでしたわ血圧もパルスも計ったら僕よりしっかりしてましたわ

『わしも最期やから、写真撮れ』と言うんで
よっしゃ、撮ったるわ!パチリどうやこれで。そうしたら
『なんでそんなん撮るねん』でしたわ

と、最期までそんな悪態をついて逝ってしまいました。
米俵、2俵(120Kg)担いだなんて自慢げに話したり人望は厚かった?スーパーマンと思った父親も小さな骨壺に入ってしまったけど最期に自分に生を与えてくれたことに感謝します
なにより、先に逝った母親を看病、そして最期まで悪態をつかれても父親を畳の上で看取ってくれた嫁、娘に感謝します

嫁に言ってます。『俺は、200まで生きるからお前を看取ってやるからな
嫁曰く、『そうやな、なんとか世にはばかると言うしほんまにあんたは、200まで生きるわ頼むわな。』